- よりよく生きるということを考えるには、どのような論点を大切にするのがよいでしょうか。
- 実は、ものごとの見方かも知れません。
- なぜなら、ものごとをどう見立てるかで、その人の思考と行動が大きく変わるからです。
- 本書は、2000年も前に人の生き方について考えた方々の知恵の結集です。
- 本書を通じて、人が普遍的に大切にしたい教えに触れることができます。
ストア派が最も重視することとは?
前回の投稿「【ストイックは、生きやすい?】ストア派哲学入門 ──成功者が魅了される思考術|ライアン・ホリデイ」に続き、今回もこちらの1冊『ストア派哲学入門 ──成功者が魅了される思考術』を読んでいきましょう。
これまで見てきたストア哲学の教えを俯瞰してみましょう。
1.欲求/学習 | 2.習慣 | 3.厳しい訓練 | |
---|---|---|---|
3.意志:同意/拒絶 | 論理学:何が自分のもので、公益に役立ち、真理にかなうのか | 判断と真理 | 知恵 |
2.行動:何かしたい衝動/拒みたい気持ち | 倫理学:何が自分のもので公益に役に立つのか | 務めと適切な行為 | 正義と勇気 |
1.ものの見方:欲求/忌避 | 自然学:何が自分のものでそうでないのか? 何がどうでもよいものなのか? | 習慣と性向 | 自制 |
ストア派は繰り返し説かれるように最も重視するのは、ものごとの見方です。何が自分でコントロール可能なものか、あるいはそうではないのかについて知ることが非常に大きな価値観の分かれ目になります。
哲学者たちは、実践の中で学びを深めてきました。毎日の暮らしの中で、日々問いかけ、そして鍛錬を積むことによって、上記のような着眼点と考え方を更新し続けてきたのです。
時間がたてばわれわれは学んだことを忘れ、ついには反対のことをしはじめ、考え方も教わったことと反対になってしまうからだ。
これは哲学者エピクテトスの言葉ですが、私たちはこの言葉を噛みしめる必要があります。
小さなことにこそ、真摯に向き合い、汗を流し、そして、丁寧に実践していくことより、私たちにはよりよい道を行く方法論はないような気がします。
とても大きなことを捉えることはできません。大きな目標を抱くのはとても大切なことです。でも、それを毎日、いまここの瞬間に何をするのか?というところまで落とし込みができなければ、具体的な言動となって、実態化を図ることは難しいのです。
努力をする際は必ず、定まった目的に向けたまえ。そしてその目的を常に頭に入れておくのだ。焦りや戸惑いの原因は、活動そのものにあるのではない。物事の虚像が人を駆り立てて狂わせるのである。
――セネカ『心の平静について』
小さな実践を確実にしてくためには、目標に向けて絶え間ない努力ができるような視点を得ることが大切なのです。その視点こそ、ものごとに対する見立てということになります。
人格を見つめよ?
「人格」ということを検討してみると良いかも知れません。
哲学とは見せびらかすためのものではない。必要なことに注意し、いつも心に留めていること。それこそが哲学というものだ
――ムソニウス・ルフス『清談』
人格というのは、その人の言動をなす、核となるものです。その核がなければ、その人は一貫した言動をすることができずに、他者からも、もっというと自分自身からも信頼を得ることができないでしょう。
そして、人格の輪郭をはっきりと浮かび上がらせてくるものは、問いである、ということになります。どのようなことに目を向けて、それについてどう考えるのか、そしてどういう言動を選択するのか、それらについて日常的に考えて置けるだけの問いが必要です。
例えば、お金儲けが目的の人と、人のために自分の特技を使いたい人を比べてみましょう。これらの人に同じような機会が与えられたとします。顧客が他の人を紹介してくれると言ってくれたことにしてみましょう。
お金儲けが目的の人は、新しい顧客に対して、自分がより高く売れる方法を検討するでしょう。
一方で、人のために自分の特技を使いたい人は、新しい顧客が何を要望しているのかを察知するように動くでしょう。さらには、すでに繋がりのある顧客がなぜ紹介をしてくれたのか?という視点も忘れずに、3社で何かを実践する可能性についても検討できるかも知れません。
これは極端な例かもしれませんが、自分の価値観によって、ものごとは大きく色を変えて目の前に立ち現れてくるということを意識することがいかに大切かを検討しても良さそう!と思うのが大切でしょう。
何を目指すべきか?
ストア哲学は、「善くある」ということも同時に説いてくれています。
ものごとの見立てを調整するのも、最終的には、人の道を行くためなのです。
まずなすべきことは、腹を立てないことだ。すべては自然の摂理にかなっているのだから。遠くないうちに君は何者でもなくなり、どこにもいなくなる。ハドリアヌスやアウグストゥスのような偉大な皇帝さえ、いまはどこにもいない。
次になすべきことは、善き人間になるという目的を胸に抱きながら、今目の前の仕事に集中することだ。人間の欲求に従って務めをまっすぐに果たし、最も公正で適切だと思うことを口にせよ。どんなときも親切と謙虚と誠実を忘れるな
――マルクス・アウレリウス『自省論』
上記のマルクス・アウレリアスの「人間の欲求」とは、ストア哲学が解釈するところの、本来的な人間の欲求、つまり他者のためにいられるかどうか、ということになるでしょう。
その発想の原動力になるのは、「愛」です。
人は、根源的には他者のためにありたいと願う生き物であり、実際に、その後の研究において、自分のために何かをすることよりも、他者のために何かをすることのほうが、幸福度や満足度が高まることが、さまざまな研究でも明らかになっていると見聞きします。
科学的な研究がなされる前から、ストア哲学の原点の時代を生きた人々は、人の本性について見出していました。
義務はひとつだけ
「お前の使命とは何か?善い人間になることだ」
――マルクス・アウレリアス『自省論』
実は、その「善い」というのは、自然の摂理であるとも捉えることができます。自然はすでに生まれたときから、善いことを歓迎する準備ができている。私たちは、その自然に無理なくリンクしていくことが大切なのです。
「やるべきこと」を「やれること」へ変える
「哲学者の仕事とは何だろう。自分の意志を自然の成り行きに調和させることだ。そうすれば、意志に反することは何も起こらず、望んだことが起こらないということもなくなる」
――エピクテトス『語録』
望んだことが起きないということもあるかも知れません、あるいは、望まないことが起きてしまうということも実際にはあるかも知れません。
しかし、それはストア派にとっては、やはり「自分がコントロールできること・できないこと」を見誤っていないか?という問いに立ち返るヒントでしかないのかも知れません。
そして、そうした観点で「善いこと」を絶えず見極めていく姿勢を崩さなければ、あなたという存在は導かれ続けていくのである、ということがすでに2000年以上も前に、見極められていた、論点なのです。
まとめ
- ストア派が最も重視することとは?――ものごとの捉え方です。
- 人格を見つめよ?――自分の言動の震源地=“核”に、自覚的になりましょう。
- 何を目指すべきか?――自然、すなわち“善”との調和です。