創業のストーリーこそが、企業の資産になる。——「見えないものを読む経営」第3話

創業のストーリーこそが、企業の資産になる。——「見えないものを読む経営」第3話の手書きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール


前回、こんな話を書きました。

提案書を捨てて、未来の情報だけを持って会議室へ向かった日のことです。

「だからこうすべきです」という結論は、何ひとつありませんでした。それなのに、社長が語り始めた・・・。商品のこと、組織のこと、人材のこと。次々と言葉が出てきて、それまで止まっていた時間が、急に動き出したような感覚でした。

答えは、私の中にはありませんでした。答えは最初から、社長の中にあったのだと思います。私はただ、それが言葉になるきっかけを、偶然つくっていただけでした。

そしてその会議には、もうひとつ、思いがけないことがありました。


社長が自社の方針を語り終えたとき、会議室の空気が少し変わりました。

それまで何度会議を重ねても出てこなかった言葉が、その日は次々と出てきました。

たぶん、うちの特徴はここにある。
これからこういう商品が必要になる。
採用の考え方も変えないといけない。

社長自身が、自分の言葉で、自社の方向をはっきりと語れていました。

それだけでも、私には十分すぎるくらいのことでした。

ところが社長は、そこで話を止めませんでした。

資料から目を離して、少し遠くを見るような表情になりました。

そしてぽつりぽつりと、自分のことを話し始めたのです。


どんな境遇で育ったのか。
なぜこの事業を始めたのか。
そしてその原点には、どんな体験があったのか。

聞けば、創業のきっかけはある現場の痛みでした。重労働の現場で働く人たちの苦労を、何とかできないかと考えた。そこから生まれたのが、ひとつの発明でした。その発明が小さな事業になり、やがて数百億円規模の会社になっていった。

私はその話を聞きながら、妙なことを考えていました。

この会社の本当の原点は、市場でも、儲けの話でもなかった。現場にいる人間の痛みだったのだ、と。

戦略の話をしているときには見えなかったものが、そこにありました。この会社がなぜこの事業をしているのか。何を大切にしてきたのか。数字の資料には、どこにも書かれていなかったことが、創業の話の中にはっきりと息づいていました。

広告会社との公式なミーティングというよりも、それはまるで世代を超えた雑談のような時間でした。肩の力が抜けた、その人柄がそのまま流れ込んでくるような。私は心底、驚いていました。

この方は、こんなことを考えていたのか、と思いました。ビジョンがある、とおっしゃっていた。そのビジョンの奥に、こんな物語があったのか、と。


その後、仕事は具体的な段階へと進んでいきました。

商品のブラッシュアップから始まり、ブランドの整理へと動きました。社長の言葉を起点に、ひとつずつ形にしていく作業でした。どんな価値を、誰に、どんな言葉で届けるのか。そうした問いを丁寧に重ねていくうちに、気づけばいくつもの派生ブランドが生まれていました。

それぞれのブランドには、それぞれの物語がありました。会社の歴史から引き出されたもの。社長の思いが凝縮されたもの。現場の技術が言葉になったもの。私たちの仕事は、そのブランドを育て、時代の変化に合わせてメンテナンスし続けることへとシフトしていきました。

提案書を持ち込む仕事から、物語を一緒に守り続ける仕事へ。

気づけば、仕事の性質そのものが変わっていたのだと思います。

その傍らで、ずっと続いていたことがありました。数ヶ月に一度、社会がどう変わっているか、技術はどこへ向かっているか、人々の価値観はどう動いているか。そうした中長期の情報を持ち寄り、社長と対話する時間です。答えを出すためではなく、ただ未来について一緒に考える時間。業務と呼ぶには少し曖昧な何かでしたが、振り返ると、この関係の中でもっとも本質的な仕事は、ずっとここにあったのかもしれないと思っています。


社長が創業の話をしてくれたあの時のことを、私は今でもよく思い出します。

あのとき社長が語ってくれたことは、戦略でも、計画でも、数字でもありませんでした。しかし確かに、その話の中にこそ、この会社の本質があったのだと思います。

なぜこの事業を始めたのか。何を解決しようとしてきたのか。
その原点にある思いが、今の組織にも静かに流れ続けている。

そう考えると、ひとつのことが気になり始めました。

創業者の生い立ちや、起業のストーリーというのは、しばしば「昔話」として扱われます。事業が大きくなるにつれて、それは資料の片隅に追いやられていく。しかしもしかしたら、その話の中にこそ、その企業にとってかけがえのない何かが宿っているのではないでしょうか。

市場データには表れない。財務諸表にも書かれていない。
しかし、確かに存在していて、組織の意思決定に影響を与え続けている何か・・・。

それが何なのかを、次回はもう少し考えていきたいと思います。


この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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