増田みはらし書店・店主の増田浩一です。
旅先の街を歩いていると、人との距離が分からなくなる瞬間があります。 近づいていいのか、距離を取るべきなのか。 頭で判断するよりも先に、身体が戸惑っている。
今回のタイ・バンコクでの滞在では、その感覚が何度も訪れました。
街はにぎやかで、人の流れは密です。 空港に着いた瞬間から、音も匂いも温度も、日本とは違う。 食事の味も、ベースにあるものが全く異なっています。
こうした違いは、情報として知っているだけでは分かりません。
身体がその場に置かれて、初めて感じられるものです。
距離が定まらないまま、関係が生まれる
特に印象的だったのは、人との距離感でした。
子どもと一緒に街を歩いていると、距離がとても近い。ベビーカーを押していると、自然に手を貸してくれる人が現れます。子どもに対しても、ためらいなく声をかけ、触れ、笑いかける。
日本では、こうした場面で一瞬考えます。
「手伝っていいのか」「距離を詰めすぎていないか」。そこには、洗練された作法があります。
一方でバンコクでは、考える間もありません。身体が先に、世界と接触してしまう。
距離が定まらないまま、関係が生まれていきます。
この体験を通して感じたのは、 人との距離感は文化で決まるものではない、ということでした。距離は、頭で測るものではなく、 その場に置かれた身体が毎回つくり直している。
不便さも、はっきりと感じました。ベビーカーで通りにくい場所は多い。日本のようにハードが整っているわけではありません。それでも、その分、人の反応が早い。距離が固定されていないからこそ、手が先に出る。
身体を先に置くという態度
旅先での距離感の戸惑いは、 禅を日本に広めた道元が語った姿勢に似ているかもしれません。
道元は、理解する前に坐れ、と言いました。考えがまとまってから身体を動かすのではない。身体を先に置くことそのものが、理解なのだという態度です。
どう振る舞うべきか分からないまま、身体ごとその場に留まる。
結論を急がず、判断を保留したまま、人と接する。
日本の暮らしは、とても便利です。距離はハードによって管理され、 私たちは身体を意識せずに生活できます。それは安心でもあります。
ただ同時に、距離が固定されることで、 反応する必要がなくなっている場面も多い。便利さと優しさは、必ずしも同じではありません。
AI時代に人が担うべき知性
AIが急速に進化し、 判断や分析、最適解の提示を担うようになった今、 人は何を考え、何を担う存在なのでしょうか。
AIは、与えられた目的に対しては、 驚くほど正確に、速く、合理的に応えます。しかし、その「目的そのもの」を決めることはできません。 何を問い、何を目指すのか。 その前提をつくることは、依然として人の役割です。
そのとき重要になるのが、 頭で考えた正しさではなく、 身体を通じて感じ取った違和感や納得感です。
人との距離が近すぎて戸惑ったこと。 不便なのに、なぜか安心したこと。考える間もなく、関係が生まれたこと。
こうした経験は、数値にも、ロジックにもなりにくい。けれど、目的や目標を定める際の、 最初の「方向」を決めているのは、いつもこの身体感覚です。
AIに何をインプットするのか。 どんな問いを投げるのか。どこを最適化し、どこを残すのか。
それらはすべて、 世界に身体を置いてきた人間にしか、決められません。
旅は、新しい知識を与えてくれるものではありません。 むしろ、いつの間にか信じていた前提を、 身体からほどいていく体験です。 人との距離をどう取るかという、ごく根源的な問いを、 頭ではなく、身体に投げ返してくれる。
判断を急がない身体が、 もう一度、世界との関係を結び直していく。
その積み重ねこそが、 AI時代において人が担うべき、 最も根源的な知性なのではないでしょうか。
身体性について考えるためには、禅の思想がおすすめです。ぜひこちらの1冊「可能性は、いまここに!!『ただ坐る ~生きる自信が湧く 1日15分座禅~』ネルケ無方」もご覧ください。

それでは、また来週お会いしましょう。
