- どうしたら叱らずに、関係性の力を上手に使うことができるでしょうか。
- 実は、なぜ叱るのか?という上位の目的に触れることかもしれません。
- なぜなら、行為にはそもそもの目的が存在し、そのための手段は本来自由であるはずだからです。
- 本書は、叱ることの効用について冷静に触れ、ネガティブ感情をもたらすことの問題を知る1冊です。
- 本書を通じて、叱ることの意味を知り、別の視点で相手と向き合うことを見つめるきっかけを得ます。
叱る場面は、本来学びの機会?
前回の投稿「【叱っても人は、育たない!?】「叱れば人は育つ」は幻想|村中直人」に続き、今回もこちらの1冊『「叱れば人は育つ」は幻想』のレビューを続けてみたいと思います。
叱ることで、人は学ばず、本質的には、よりよい変化をもたらさないことが語られています。また、本書の中では、著者・村中直人さんの叱らない論に沿って、各界の第一人者との対談を追いかけることができます。
学校や教育の界隈からは、工藤勇一先生。
工藤先生は、日本の教育改革を牽引する教育者として知られています。長年の教職経験を持つ工藤先生は、従来の教育システムに疑問を投げかけ、生徒の自主性と創造性を重視する新しい教育方法を提唱しています。
特に注目されているのが、東京都千代田区立麹町中学校での改革です。校長として赴任した工藤先生は、定期テストの廃止、宿題ゼロ政策、教科書を使わない授業など、斬新な取り組みを導入しました。これらの改革は、生徒の主体的な学びを促進し、考える力を育てることを目的としています。
工藤先生の教育理念は、「正解のない問い」に取り組むことの重要性を説くものです。著書や講演を通じてこの考えを広め、日本の教育界に大きな影響を与えています。その革新的なアプローチは賛否両論を呼んでいますが、教育の未来を考える上で重要な視点を提供しています。
そんな工藤先生は、叱ることについて、多くの教師が「叱らなければならない」という前提に立ってしまっていることも問題なのではないかといいます。
生徒が何かトラブルを起こしてしまったとき、教育者としてやるべきは「その体験を、生徒にとっての学びの機会に変える」ことです。
今後、同じような場面にであったときに、自分の頭で考えて、行動を選択できるようにしなければ、問題は繰り返されてしまいます。
工藤先生が、着任されてから、まず行ったのは、先生に対して「どんな時に叱るのか」というアンケートでした。いろんな場面がかいてあって、そこに「叱る」と判断するものに○をかいていくというものですが、こうしたアンケートを通じて、先生同士と叱ることについて、意見を交わしていったといいます。
日本では「叱らないと、叱られてしまう」んですよね。
こうした空気感も手伝って、教育の現場から頭ごなしに叱るという行為はなかなか抜けません。しかし、叱るに対する見解を新たにすることで、教師の心構えを変えていくことは可能です。
重要なのは、そもそもの目的に立ち返ることだと工藤先生は言います。これを「最上位の目的は何か」という言葉遣いで、問い続けているといいます。叱ることは、相手に対して学びを得る機会とすること。
そのためには、脅して行動を辞めさせるようなことではなく、考える機会を提供するということです。問いが重要です。次の3つの問いを生徒と共有し、対話を深めます。
1)「どうしたの?」
2)「きみはこれからどうしたいの?」
3)「先生に手助けできることはある?」
これらの問いは、主体を生徒に置いています。問題行動を指摘するのではなく、その背景に何があるのかを、互いに言語化していこうという眼差しにあふれる問いです。
こうした問いかけを続けていくことは、信頼関係を構築していくことになります。信頼をしていれば、大人も子どもも、互いに本心から言葉を語ることができます。「この人の言葉を受け入れたい」という関係性を作ることによって、互いが感じていることを言葉として表現して、互いに学びにしていくことが可能になります。
先生もチームが大事?
また、工藤先生は、教育の現場でも「チーム」のあり方がすごく大切であるといいます。
相談したい教員を自分で選ぶようにすると、教員に対して不満を言わなくなります。
生徒と先生と言えど、当然人と人。関係性の中で生きているということです。場面やタイミングによっては、互いに反発してしまうということも当然あるでしょう。そうした人であれば当然のことを、柔軟に包み込むような仕組みを学校側に展開させています。
担任の先生が、固定された生徒だけの面倒をみるのではなく、その担任制を廃止しながら、「チーム」で全員の生徒の様子をみていく方式には多くのメリットがあります。また、先生自身も気付きや学びを得る機会となります。
個人の能力ではなく、関係性にこそ人が活きるヒントが有ると説くのは、こちらの1冊『働くということ「能力主義」を超えて』です。非常に示唆深い1冊でした。今後詳しくレビューをしていきたいと思います。
生徒に相談する先生を選ぶということは、ある意味「自己決定」の機会を提供するということにもなります。
自己決定が優先されている状況で、人は自ら考え、自らの行動に責任を持つことができます。そして、自ら決定したことであれば、努力をしたり、我慢をしたり、心から楽しんだり、その中で、多くの学びを得ることが可能になります。一方で、その反対に、「叱る」というシーンを考えると、これは圧倒的に叱る側にロジックがあり、叱られる側の自己決定はないものとされます。
自己決定を重視することには大切な意味があります。それは、子どもたちの学びや成長を促進する対応であることです。
相手にネガティブな感情を抱かせずに、相手をコントロールしようとするのでもなく、状況を自分で解釈していくための支援をすることがポイントであると、工藤先生はいいます。
「間」を大切に?
佐渡島庸平さんとの対談も大変興味深い内容があります。佐渡島庸平さんは、日本の出版業界で革新的な存在として知られる経営者です。1975年生まれの佐渡島さんは、早稲田大学卒業後、リクルートに入社。その後、2008年に株式会社コルクを設立し、代表取締役を務めています。
コルクでは、従来の出版の枠にとらわれない新しいビジネスモデルを展開。特に注目されているのが、作家と読者を直接つなぐプラットフォーム「note」の運営です。noteは、誰もが簡単に文章を発表し、収益化できる場を提供し、多くのクリエイターに支持されています。
佐渡島さんは、デジタル時代における出版のあり方や、クリエイターのエンパワーメントについて積極的に発信。著書「クリエイターが武器になる」などを通じて、新しい創作活動の可能性を提示しています。彼の取り組みは、出版業界にとどまらず、クリエイティブ産業全体に影響を与えています。
過去に、佐渡島さんの1冊「【もう周りに流されない!】ぼくらの仮説が世界をつくる|佐渡島庸平」など、取り上げさせていただいています。noteの中で、村中直人さんの書籍を取り上げられたとのことから、今回の対談に至ったとのことでした。
さて、その対談の中で、とても興味深かったのが、「前さばき」と「後さばき」という考え方です。
「前さばき」のうまい人、「後さばき」のうまい人
「後さばき」が上手い人とは、問題処理能力が高くて、何か困ったことが起きたときにその人が出てくると、パパっといろいろ片付けてものごとが進んでいくという人です。
一方で「前さばき」の人は、プロジェクトで絶対に外してはいけないところの勘どころを読んで、事前に布石を打ったり根回ししておくのが上手い人です。
しかし、「前さばき」の人は、相対的になかなか評価されることが難しいといいます。予測が働いているからこそトラブに遭わずに済み、仕事がスムースに進むのですが、周りからすると、なんであんなに「ラクをしているのか?」「仕事をしていないのではないか?」と疑われてしまったりするからです。
未然に防ぐという観点でいうと、叱るについても同じことが言えます。叱るは「後さばき」。でも、大切にしたいのは、本来、「叱られないようにするために何ができるか?」ということです。
佐渡島さんは、次のように言います。
「後さばき」派の人は、状況を自分自身の意志の力や能力で変えようとする。では「前さばき」派の人がやる準備とは何なのか。予測して人やものごとの「間」を変えておくことだと僕は考えています。
「このプロジェクト、あの社員がちょっとつまづきそうだな」とか、「こういう人材の組み合わせが、プロジェクトで求められるバリューに答えられそうだな」とか、事前に予測することで準備を行います。まさに、「叱らない場面」に出会わないために必要な視点を持つことに触れていく内容です。
「間」とは、関係性についてのことでもあります。人と人の関係性、人とものごとの関係性を、さまざまに調整することに、ヒントを見出すことができそうです。
まとめ
- 叱る場面は、本来学びの機会?――感情をぶつけるのではなく、問いかけをしましょう。
- 先生もチームが大事?――関係性の中で、人はその個性を育み、発揮します。
- 「間」を大切に?――事前に、人と人、人とものごとの関係性を考えておきましょう。