日本再考!!『神経症的な美しさ:アウトサイダーがみた日本』モリス・バーマン,込山宏太

『神経症的な美しさ:アウトサイダーがみた日本』モリス・バーマン,込山宏太の書影と手描きアイキャッチ
  • 経済成長が止まった国に、未来はあるんでしょうか?多くの人は「ない」と答えるかもしれません。GDPが伸び悩み、人口が減少し、かつての勢いを失った国――そんな日本を「衰退」の一言で片付けてしまうのは簡単です。
  • 実は、経済停滞の裏側で、日本では別の動きが生まれているんです。
  • なぜなら、成長至上主義が行き詰まったとき、私たちは新しい生き方を模索し始めるからです。
  • 本書は、アメリカの文化史家モリス・バーマンが、アウトサイダーの目で日本を観察し、この国が持つ「ポスト資本主義モデル」としての可能性を論じた一冊です。バーマンは日本の経済停滞を嘆くのではなく、むしろそこに希望を見出しています。彼が注目するのは、江戸時代から続く「補修」「リサイクル」「持続可能性」の文化であり、経済成長に代わる「別の豊かさ」を追求する人々の営みです。
  • 本書を通じて、私たちは「成長」以外の価値軸を持つことの意味と、西欧とは根本的に異なる日本の関係性の文化が、定常世界においてどんな役割を果たせるのかを考えていきます。
モリス・バーマン,込山宏太
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モリス・バーマンは、アメリカの詩人、小説家、エッセイスト、社会批評家、文化史家です。

これまでに17冊の単行本、150本近くの論文を発表しており、ヨーロッパ、北アメリカ、メキシコの様々な大学で教鞭を取ってきました。

1990年にワシントン州の州知事作家賞を受賞し、1992年にはロロ・メイ・センターの人文学を対象とした年間助成の第一号となっています。

著書に『デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化』があり、2000年には『The Twilight of American Culture』が「ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー」紙で「注目すべき本」として紹介されました。

2013年には、メディア・エコロジー協会より、公共的知的活動における業績に対するニール・ポストマン賞を受賞しています。

バーマンの特徴は、文明批評の視点から現代社会の病理を鋭く分析する一方で、オルタナティブな可能性を具体的に提示する点にあります。

彼は単なる批判者ではなく、新しい文化の萌芽を見出し、それを丁寧に記述することで、読者に希望を示す書き手なのです。本書で日本に注目したのも、成長至上主義に代わる「別の道」の可能性を、この国の歴史と文化の中に見出したからです。

訳者の込山宏太さんは、青山学院大学大学院文学研究科英米文学専攻博士前期課程修了で、イギリス文学・文化史を専門とされています。

バーマンの鋭い洞察を、日本の読者に届けるために丁寧な翻訳を施しています。

成長神話の終焉――「二重のプロセス」が示すもの

私たちは長い間、経済成長こそが幸福への道だと信じてきました。

GDPが増え、給料が上がり、消費が拡大する――この循環が永遠に続くと思っていたんです。

でも、その前提が崩れ始めています。

バーマンは本書で、資本主義の構造的な限界を指摘しています。

資本主義には社会経済的・政治的制約の他に、当然ながら環境上の制約もあるんです。

それは他の何にも増して、終わりなき拡張という冷酷な現実ではないでしょうか。

地球の資源は有限であり、環境破壊や海洋汚染といった問題以上に、資源の枯渇という冷酷な現実――つまり「成長の限界」――が立ちはだかっているんです。

成長が止まることは、多くの先進国にとって恐怖でしょう。

なぜなら「成長」とは絶対に記述する際にも使われる言葉であり、攻撃的なレベルまで達した成長によって私たちは死にかけているからです。

資本主義には社会経済的・政治的制約の他に、当然ながら環境上の制約もある。それは他の何にも増して、終わりなき拡張という冷酷な現実ではないか。地球資源のだめ、今や我々は、石油、水、食糧供給、電子機器用の希少金属、その他多くの資源に関して、限界に突き当たっているのである。

社会批評家のナオミ・クラインにしたがえば、問題の核心は「拡張主義、採取主義的な思考様式」にあるとバーマンは述べています。

でも、本当のところ、私たちはこうしたことを無限に続けていくわけにはいかないんです。

バーマンが注目するのは、この絶望的な状況の中で、日本が示している「二重のプロセス」という現象です。

第2の日本像が明らかにするのは、経済停滞に適応する日本の創造的な力なんです。

そして、国際資本主義が破綻へと向かい続けている以上、こうした適応がこの先いかなるかたちをとるかが問題となります。

私が「二重のプロセス」と名づけたのがこれで、すなわち、成長や富を追い求めてはならないかたちで別の道探求が生じてくるということです。

これは革命的な話ではありません。

むしろ、日常の中で静かに進行している変化なんです。

アメリカにおけるオルタナティブな試みについては一つ問題があるとバーマンは指摘します。

すなわち、このモデルが真に非主流を志向するもの(非拡張主義、非採取主義的な思考様式)であるのか、どのモデルがそうなのか、どのモデルが「グリーン」を装った通り一遍のビジネスであるのか、はっきりと見分けるためのリトマス試験紙を我々は持ちあわせていないということです。

後者は「うわべの環境配慮」と呼ばれ、言葉の上では流行に乗りながら、その本質は利益追求に他ならないんです。

しかし、日本には興味深い特徴があります。

調べてみて驚いたのだが、日本には六百以上のエコ世界のどこの国よりも多くの2つ、いわゆる「補修道場」プログラムが存在しているとバーマンは述べているんです。

これは「二重のプロセス」のわかりやすい例――終わりの見えない不況に対する絶望が深まるにしたがって、自由放任主義的な資本主義の外側や裏側で始まるのです。環境保全主義者は、自分の取り組みについて弁護せずに話を持っている――「表彰袋小路にあると彼らは信じています」と彼は語ったんです。

「そしてその実感が続くにつれて、新たなこれまでとは異なるものが求められるでしょう、おそらくです。段々と」ひとつ確実なことがあるとすれば、日本には逃げ場となる一定した伝統があるということです。

米国は実験室のような国なんです。比較論から見た時、日本は、伝統と近代のあいまに浮かぶ世界だとすれば、アメリカは近代と崩壊とのあいまに浮かぶ世界なのです。日本は、持続可能な社会への変容というかたちで応答した、有機栽培、森林管理、漁業、地域経済、食肉工業、そしてあらゆる種のリサイクル文化が育まれたんです。

江戸時代の日本は、究極の「より少ないものでより豊か」文化であるとも描写できるんです。

江戸時代という参照点

江戸時代の日本には、私たちが忘れてしまった何かがあります。

それは、物質的な豊かさを追求しなくても、人は充実した生活を送れるという事実です。

バーマンが指摘するように、江戸時代は究極の「より少ないものでより豊か」な文化でした。

人口は約3000万人で安定し、資源は慎重に管理され、物は修理されて何度も使われたんです。

これは貧しさではなく、持続可能性を追求した結果の豊かさだったと言えるでしょう。

アズビー・ブラウンの言う通り、選択肢は持続可能な社会か、社会そのものの崩壊か、なのだと。

日本には、持続可能な社会を選ぶことを可能にする歴史と一連の精神的習慣が備わっているんです。

今から50年後に世界が我々のこの時代を振り返り、頭を痛くさせながら、次のように言ったら、なんとうらやましく、またこの上なく皮肉なことになるだろうか。

「この地球上のすべての国のなかで、未来の鍵を握っていたのが日本だったなんて、いったい誰が考えただろう?」

この言葉には、深い洞察が込められています。

経済大国として「成功」した日本ではなく、経済停滞を経験している今の日本こそが、未来へのヒントを持っているかもしれないということです。

西欧との根本的な違い――関係性の文化として

日本の持続可能性の文化は、単なるエコ活動ではありません。

その背後には、西欧とは根本的に異なる人間観と関係性の捉え方があるんです。

バーマンがアウトサイダーとして日本を見たとき、彼が発見したのは、この違いの本質でした。

「神経症的な美しさ」という逆説

本書のタイトルにある「神経症的な美しさ」という言葉は、一見矛盾しているように思えます。

でも、これこそが日本文化の核心を突いているんです。

詩人の高橋睦郎はこう書いているとバーマンは引用しています。

「思えば日本文化なるものはすべて本来、海外に取り、国風化するところに本質がある」と。

日本の最も優れた哲学者西田幾多郎は、日本文化を「形なきものの形」と定義し、私たちは「形なきもののなかに、形として成りたつものを見いだし、それ故にどんなものでもなかに入れることのできる容器(これは普遍ではない)と見た」と述べています。

これは一見、自信のなさのように見えるかもしれません。

でも、実はこれこそが日本の強みなんです。

なぜなら、固定的なアイデンティティにこだわらないからこそ、状況に応じて柔軟に変化できるからです。

日本のアイデンティティの中心を占めるものの起源が外国にあるのでそれは、「国民的一文化的な核心における永遠的な裂け目」を示唆することができる、とアイヴィーは述べるんです。

この「裂け目」を欠点だと見るか、可能性だと見るか――ここに西欧との決定的な違いがあります。

個人主義と関係性の対比

西欧文明は、デカルトからベイトソンへという思想の流れの中でも、基本的には個人を中心に据えてきました。

自律した個人が、理性によって世界を認識し、支配する――これが西欧近代の人間観です。

でも日本は違うんです。むしろ、日本は調和を重視しますね。

ここで重視してみたいのが、加藤周一や金森修らが指摘する日本の特質です。

こうまで言い添えた――私が誘導したわけではないと意いて断っておきたい――こういう環境保全主義者は、自分の取り組みについて弁護せずに話を持っている――「表彰袋小路にあると彼は信じています」と彼は語った。「そしてその実感が続くにつれて、新たなこれまでとは異なるものが求められるでしょう、おそらく魅力的になっていくだろう」。勿論、一人の人間から聞いた話では大したことはならない。だが少なくとも彼の言葉がきわめて「二重のプロセス」のことを私は強い印象を受けた。

日本人は「自然との調和」という言葉をよく使います。

でも、それは単に環境に優しいということではないんです。

むしろ、自分と他者、自分と自然、自分と社会――これらの境界が西欧ほど明確ではないということなんです。

関係性の中で育まれる人間

バーマンは、日本文化が持つこの特質を、アメリカ人として新鮮な驚きをもって記述しています。

彼が引用する様々な思想家たちの言葉から浮かび上がるのは、日本における「人間」の捉え方の独自性です。

西欧では、人はまず個人として存在し、その後に社会と関わります。

でも日本では、人は最初から関係性の中に存在しているんです。

親子関係、師弟関係、職場の人間関係――これらは単なる社会的つながりではなく、自己を形成する本質的な要素なんです。

だからこそ、日本では「補修」や「リサイクル」が単なる環境対策ではなく、物との関係性を大切にする文化として根付いているんです。壊れたものを捨てずに直す――それは物を大切にするだけでなく、その物との関わりの歴史を尊重することでもあります。

これは、消費と廃棄を前提とする資本主義とは、根本的に異なる価値観です。

「二重のプロセス」を支える土壌

経済停滞に適応する日本の創造的な力――この「二重のプロセス」が可能なのは、こうした関係性の文化があるからなんです。

成長が止まったとき、西欧的な個人主義では、人は孤立し、不安に陥りやすいかもしれません。

でも、関係性の中で生きる文化では、経済成長以外の豊かさ――人とのつながり、自然との調和、伝統への敬意――を見出すことができるんです。

バーマンが日本に希望を見出したのは、この点においてです。

ポスト資本主義の時代に必要なのは、新しい技術でも、新しい制度でもありません。

それは、人間と世界の関係を捉え直す、新しい(あるいは古くて新しい)人間観なんです。そして日本には、その萌芽がすでに存在している――これがバーマンの核心的な主張なんです。

西欧の環境保護運動は、しばしば「人間 vs 自然」という対立構造の中で語られます。
でも日本では、人間も自然の一部であり、自然と調和して生きることが当然だと考えられてきました。

これは単なる美しい理念ではなく、江戸時代から続く実践的な知恵なんです。

問題は、私たち日本人自身が、この文化的特質をどれだけ自覚しているかということです。

西欧化、近代化の中で、私たちは自分たちの強みを見失ってはいないでしょうか。

バーマンというアウトサイダーの視点は、私たちに鏡を突きつけているんです。

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定常世界における日本の役割――「未来の鍵」とは

バーマンが投げかけた問いに、もう一度向き合ってみましょう。

「この地球上のすべての国のなかで、未来の鍵を握っていたのが日本だったなんて、いったい誰が考えただろう?」

経済大国としての輝きを失った日本が、なぜ未来の鍵を握っているのか。

それは、成長が終わった後の世界で、どう生きるかを示せる可能性があるからなんです。

定常世界という現実

私たちは今、歴史の転換点に立っています。

無限の成長を前提とした資本主義は、物理的な限界に直面しているんです。

どうして米国では支配的なパラダイムとの関係を断ち切ることがこれほど難しいのだろうか。

突き詰めて考えると、過去からの伝統が深く根付いている後には、もはや支配的なパラダイムに代わる役目を果たしうる適度の指針を失ってしまったと述べ、その結果生じた空虚を埋めることに役立ちうる伝統文化が消えさってしまったのである。

私たちは「終わらせる伝統文化」へと逆戻りすることはできないんです。

でも、確実に成長というものはこの世界から神話になりつつある・・・。

もはや成長が見込めないという現実を受け入れ、別の豊かさを追求することはできるはずです。もう一方は、成長神話にしがみつき、破滅へと突き進むこと、という道もまだ確かにあるのですね。

日本が示しているのは、前者の道なんです。

「二重のプロセス」の実践者たち

日本各地で、静かに「二重のプロセス」を実践している人たちがいます。

有機栽培に取り組む農家、伝統工芸を守る職人、地域コミュニティを再生する活動家――彼らは経済成長を追求していません。むしろ、持続可能性、関係性、伝統という、別の価値を大切にしているんです。

こうした人たちは、メディアで大きく取り上げられることもなく、政府から支援を受けることも少ないかもしれません。でも、彼らこそが「未来の鍵」を握っている人たちなんです。

バーマンが会った環境保全主義者の言葉を思い出してください。

「表彰袋小路にあると彼は信じています」「そしてその実感が続くにつれて、新たなこれまでとは異なるものが求められるでしょう、おそらく。段々と魅力的になっていくだろう」

この「段々と」という言葉が重要です。

革命ではなく、静かな変化――それが日本的なやり方なんです。

人としての成長軸の再定義

私が本書を読んで最も考えさせられたのは、「人としての成長」とは何かという問いです。

西欧的な価値観では、成長とは個人の能力を高め、キャリアを積み、富を増やすことを意味してきました。

でも、それだけが成長なんでしょうか。

日本的な関係性の文化が示唆するのは、成長とは関係性を深めることでもあるということです。

家族との絆、地域とのつながり、自然との調和――これらを豊かにすることも、人間の成長なんです。

経済が停滞している今だからこそ、私たちはこの問いに向き合うべきなんです。

GDPが増えなくても、人は成長できる。
消費が拡大しなくても、人は豊かになれる。

この当たり前のことを、私たちは忘れていたのかもしれません。

日本が果たせる役割

バーマンは、日本に過度な期待をかけているわけではありません。

彼も日本の問題点――少子高齢化、格差、政治の硬直性――を認識しています。

でも、それでもなお、日本には可能性があると彼は言うんです。

今から五十年後に世界が我々のこの時代を振り返り、頭を痛くさせながら、次のように言ったら、なんとうらやましく、またこの上なく皮肉なことになるだろうか。「この地球上のすべての国のなかで、未来の鍵を握っていたのが日本だったなんて、いったい誰が考えただろう?」

これは単なる賞賛ではありません。

むしろ、日本への問いかけなんです。

「あなたたちは、自分の持っている可能性に気づいているか?」
「経済停滞を嘆くのではなく、そこに新しい道を見出せるか?」
「西欧の真似をするのではなく、自分たちの文化の強みを活かせるか?」

定常世界において、日本が果たせる役割は、成功モデルを示すことではないかもしれません。

むしろ、失敗から学び、試行錯誤し、少しずつ別の道を探る――その姿勢を示すことなんです。

完璧な答えを持っている国などありません。

でも、誠実に問い続け、実践し続ける国であれば、他の国々にとっても希望になるんです。

私たちにできること

本書を読んで、私が感じたのは、一人ひとりの選択の重要性です。

大きな社会変革を待つのではなく、自分の生活の中で「二重のプロセス」を実践すること。

それが、定常世界への移行を支える力になるんです。

物を大切に使い、修理する。
地域のコミュニティに参加する。
自然とのつながりを大切にする。

こうした小さな実践の積み重ねが、文化を変えていくんです。

バーマンが日本に見出した希望は、壮大な計画や革新的な技術ではありません。

それは、日常の中で静かに実践される、持続可能な生き方なんです。

そして、その萌芽は、すでに私たちの周りにあります。

問題は、私たちがそれに気づき、育てていけるかどうかなんです。

アウトサイダーの目は、私たちに鏡を突きつけています。

その鏡に映る姿を、私たちはどう受け止めるでしょうか。

経済成長という神話から自由になったとき、私たちは何を選ぶのか。

その選択が、日本の、そして世界の未来を決めるんです。

ぜひ次回も引き続き、バーマンの論点を深く掘り下げていきましょう。

アウトサイダーという論点を身近に展開するには、こちらの1冊「越境せよ!?『新時代を生き抜く越境思考 ~組織、肩書、場所、時間から自由になって成長する』沢渡あまね」がとても刺激的です。ぜひご覧ください。

まとめ

  • 成長神話の終焉――「二重のプロセス」が示すもの――資本主義の限界が明らかになる中、日本では経済停滞の裏側で新しい動きが生まれています。江戸時代から続く持続可能性の文化が静かに復活し、成長に代わる「別の豊かさ」を追求する人々の実践が広がっているのです。
  • 西欧との根本的な違い――関係性の文化として――日本の強みは、関係性の中で自己を捉える文化にあります。例えば、補修やリサイクルは単なる技術ではなく、物との関わりを大切にする実践です。アウトサイダーの視点が、私たちが見失いかけていた自らの文化的特質を照らし出しています。
  • 定常世界における日本の役割――「未来の鍵」とは――日本の役割は、完璧な答えを示すことではなく、試行錯誤する姿勢を示すことです。物を大切にし、関係性を深め、自然との調和を大切にする――こうした日常的な実践の積み重ねが、定常世界への移行を支える力となるのです。
モリス・バーマン,込山宏太
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