【あなたは、レンガを積んでいるか?それとも聖堂を建てているか?】ブルシット・ジョブと現代思想|大澤真幸,千葉雅也

ブルシット・ジョブと現代思想
  • 「無意味なクソどうでもいい仕事」いわゆるブルシット・ジョブにどれだけ時間をさいていますか?
  • 実は、ブルシット・ジョブは、人間的な本性から希求しているものの結果だとしたら捉え方が変わるかも。
  • なぜなら、人は世界に有意味な作品を残すことに精を出したいがために、「仕事」をしているはずが、そこに意味がないと自覚してしまっていることが問題なのです。
  • 本書は、大澤真幸さんによる個人思想誌 THINKING「O」です。現代思想家の千葉雅也さんとの対談や、ご自身のブルシットジョブに対する論文から、ブルシットな”ノリ”を抜け出す秘訣を探ります。
  • 本書を通じて、意味のある人生を捉え直す視点を得ることができます。

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ブルシット・ジョブとは、なにか!?

経済的に豊かな国(いわゆる先進資本主義国)の被雇用者のかなりの数、少なめに見積もっても全被雇用者の三分の一が、「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」をやっていることがわかってきた。ブルシット・ジョブとは、仕事している当人自身が、「この仕事は無意味だ、何の役にも立っていない。この仕事がなくなっても誰も困らない。もしかするとないほうがよい」と思っている仕事のことである。

まえがき

人類学者デヴィッド・グレーバーさんによって、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』が2020年に書かれました。折しも、コロナ禍真っ最中で、「不要不急」という言葉が叫ばれて、会社の打合せや仕事がストップするなど、あれもしかして、日常的に行っていた仕事って「不要不急」だったの!?って、多くの人が感じてしまっていた時機にマッチングしていたような書籍でした。それでなくても、これまで長い間、成長神話が途切れて、仕事に対して、息切れをしていた現代人の心を捉えた書籍だったことは間違いありません。

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大澤真幸さんは、労働・仕事に対して社会システムが2つの抑圧をもたらししているといいます。ひとつは、所得や資産の格差の問題として現れる抑圧、そしてもうひとつが、ブルシット・ジョブを事実上強いる抑圧です。

前者は、数多くの研究がありますが、ブルシット・ジョブに関しては、2020年に名前がつけられて、まさにこれから研究が進んでいくものと見られています。実際に、ブルシット・ジョブで検索すると様々な書籍や論文が出始めています。本書も、まさにその中の一つで、社会学者の大澤真幸さんと、現代思想家の千葉雅也さんが、対談や独自の論文によって、ブルシット・ジョブの正体とこれを避けるための論点を提供してくれます。

人は何を求めて働くのか!?

補助線として、ハンナ・アーレントが『人間の条件』で書いていることを使ってみます。アーレントによると、人間の「活動的な生」には「労働 labor」「仕事 work」「活動 action」の三つのレベルがある。「動物的-人間的」という軸にそって、いちばんレベルが低いといいますか、動物的に近いのは「労働」で、中間に「仕事」があって、いちばん高次のものとして、公共空間での言語的なコミュニケーション、つまり「活動」があるというのがアーレントの図式です。

対談 勉強と仕事『勉強の哲学』をめぐって 千葉雅也+大澤真幸

「労働」は動物的な生命活動に非常に近いポジションにあります。だから、消えてなくなります。流動的なのです。それに対して、「仕事」は世界に何か有意味なもの、永続するものとを作り、残すことです。英語の work は奇しくも、仕事という意味を持ちながらも、作品という意味合いも含みます。

この観点から、ブルシット・ジョブを眺めてみると、実は、ブルシット・ジョブは「仕事」のレイヤーで考える必要があることに気づきます。なぜなら、そこに人は意味を見出そうとしているが、実際には無意味だと諦めている深層心理があるからです。

「仕事」の次元が、「労働」よりも人間的であること、そして、現代は「仕事」の次元においてブルシット・ジョブが生み出されてしまっていることを見ると、ある意味、ブルシット・ジョブも人間らしい営みであるとも言うことができるのかも知れません。

資本主義は、労働を搾取していると言われがちですが、ついぞ、仕事の搾取までをしているのかも知れません。

以前、広告会社の同僚の「やる気の搾取」という言葉を時々思い出します。彼女がどんなシチュエーションで、どんな思い出これを言っていたのかはわからないのですが、少なくとも、やる気=有意味だとすれば、ブルシット・ジョブへの忌避に近い発言だったのかもしれないと、思うのです。

ブルシット・ジョブから抜け出すためには!?

そんなブルシット・ジョブですが、どうしたら本来的あるべき有意味的な「仕事」への転換ができるようになるでしょうか。大澤真幸さんは、本書内でこのような見解に至ります。

仕事を通じて、われわれは、何らかの対象にかかわる。その対象は、事物であることもあれば、人間であることもあろう。あるいは情報かもしれない。いずれにせよ、それらの対象そのもののうちに書き込まれている<問い>がある。その問いを察知し、仕事において、それに答えていると実感できているとしたら、つまり仕事が<記号>を与えることでもあったならば、そのとき、人は、仕事に間違いなく意味を感じるだろう。

論文 <クソどうでもいい仕事>と<記号> 大澤真幸

この<記号>とは、

実際に現れていることが、潜在的な問いとの関係で、答えの試みとして認識されるとき、それが<記号>とみなされるのである。

論文 <クソどうでもいい仕事>と<記号> 大澤真幸

とあります。そして、

ドゥルーズ=プルーストの<記号>の概念の前提になっている<問い>は、必ずしも、主観的・認識論的なものではない。<問い>は、最終的には、存在論的なものである。つまり、物そのものが、言わば、<問い>として存在しているのである。実在の構造が、本質的に「問題性」という性質をもっていると言ってもよい。<問い>は、最終的には、主体の側にあるのではなく、客体の側にある。

論文 <クソどうでもいい仕事>と<記号> 大澤真幸

例として、建築家をあげています。素材やその土地そのものから、さまざまな刺激を受けて、ひとつの作品を創り出す建築家ですが、すべての要素からある意味<問い>を受け取って、作品化しているとも言えます。そして、その過程と結果こそ、仕事であると捉えられる可能性が出てきます。大切なのは、知識の欠落とかとういう問い(疑問や質問に近い)話ではなく、向き合い先がすでに潜在的に含有しているであろう<問い>と向き合うことについて、大澤真幸さんは触れています。

飛躍をするかもしれないですが、コンサルティングの現場も案外そうなのかもしれないと思います。あるいは、カウンセリングの現場を想像するとかなり明白かと。というのも、結局、<問い>あるいは、問題というのは、客体(つまり相談者側)に常に存在していて、それを発見し解決するのも相談者であるはずだからです。

横道にそれましたが、こうした<問い>の視点から、ブルシット・ジョブに向き合うヒントが得られます。

つまり、まずは、自分の仕事を要請した本来の<問い>を回復すること、「そもそも」という便利な言葉を使いつつ、原初の<問い>を極力掘り出すことが大切です。そして、資本主義の中の官僚的組織に由来する命令とは独立で、自由な仕事に従事するように専念することが、あなたに意味をもたらすのです。

こうすることによって、何に時間をかけるべきなのか、どの部分に注力するべきなのか、何をあらためてなすべきなのか、何をムダなこととして切り落とすのか、全てが変化してくるはずです。そして、ひとりひとりが、この事物が発する原初的な<問い>に向かうことによって、資本主義の抑圧に内部から抵抗する力となるのです。

千葉雅也さんは、過去の著書『勉強の哲学 来たるべきバカのために』において、次のような考えを示されました。

自分の意志で行っていると思っていることが、実は周りから設定された体制を内面化した結果である、ということですね。周りのノリに合わせて生きている状態からどう離脱していくか。人は言語的な規範に従っていて、完全に自由になることは無理なわけですが、そのなかで自由の余地をどう広げるか。そこを考えなければならない。

対談 勉強と仕事『勉強の哲学』をめぐって 千葉雅也+大澤真幸

この周りのノリに逸脱する行為が、勉強であるといいます。勉強することで、自分の今いる世界がゆらぎます。新しい考え方、観点を持つことで、苦しみを産んでしまう。それでも、ノリから逸脱して、意味を探し続けるには、やはり勉強をすることより方法がないのです。

これに触れ、大澤真幸さんもこのように結びます。

どうやったら、正しい<問い>を見出すことができるのか。そのためにこそ、学問がある。つまり勉強することである。勉強とは、世界が発している<問い>たちを正確に見定めることである。そして、何が、その<問い>に応える<記号>なのかを解明することである。仕事をしつつ勉強すること。仕事がそれ自体、<問い>を探究する勉強になること。

論文 <クソどうでもいい仕事>と<記号> 大澤真幸

大変、勇気のでる言葉のように感じます。私たちは、なぜ、「労働」だとがまんできないのか、「仕事」を求めてしまうのか、についての一つの視点を得ることができたように思います。本書、大変おすすめの一冊であることは間違いないです。

さて、今回の投稿では、ブルシット・ジョブについて、大澤真幸さんと千葉雅也さんの見解から、どうしたらあらためて意味を持たせられる追求ができるか?について、触れてきました。「意味」について、別の観点から考えたい方は、過去の投稿「【これからの働き方の羅針盤!】ニュータイプの時代|山口周」もおすすめです。

まとめ

  • ブルシット・ジョブとは、なにか!?――仕事している当人自身が、「この仕事は無意味だ、何の役にも立っていない。この仕事がなくなっても誰も困らない。もしかするとないほうがよい」と思っている仕事のことです。
  • 人は何を求めて働くのか!?――世界に何か有意味なもの、永続するものとを作り、残すことです。
  • ブルシット・ジョブから抜け出すためには!?――事物に原初的な<問い>を見いだせるよう、勉強をしましょう。また、<問い>を見出すことによる仕事自体も、勉強の機会にしましょう。

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