線(ボーダー)は本当にあるのか? ~線を引く前に、まず触れ合ってみる~

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増田みはらし書店・店主の増田浩一です。

旅先で考えることは、いつもより少し静かなんです。 風景が変わり、言葉が通じにくくなり、いつもの判断基準が役に立たなくなる。 そうした場所に身を置くと、普段は自動的に働いている「解釈する力」が、ふと緩みます。

2025年から2026年の年越しには、タイ・バンコクに家族と滞在しています。

今回のタイでの旅も、まさにそんな時間でした。

仏教が生活の空気として息づくこの国で、私がいちばん考えさせられたのは、教えや思想ではなく、人と人がどう触れ合っているか、という点でした。

線を引く前に、世界と出会う

大人はどうしても、世界を説明してから体験します。 これは海外だから。 これは日本と違うから。 普通はこうだから。 そうやって線を引いてから、安心して世界に入っていく。 それは必要な知恵でもありますが、同時に、世界を少しだけ遠ざけてしまう態度でもあります。

一方で、子どもたちは違います。 娘は、覚えたてのタイ語で一生懸命に挨拶をし、通りすがりの人に手を振っていました。 正しい発音かどうかも、通じるかどうかも、あまり気にしていません。 ただ「ここにいる人」と関わろうとしている。

息子はというと、国も文化も関係なく、いつもの笑顔を振りまいています。 彼にとっては、ここがタイであるかどうかすら、まだ重要ではありません。 世界はまず、判断の対象ではなく、出会いとして立ち上がっている。

世界が先にあって、意味づけは後回し。

そんな順番で生きている姿を、隣で見せてもらっている感覚でした。

線を引かない場所が生む循環

子どもは、世界を解釈しません。 国境も、言語も、文化も、まずは引かない。 先にあるのは「人」であり、その後に大人が線を引く。

そしてタイという場所は、その「線を引かない姿勢」を急いで正そうとしない。 正しさよりも空気。 ルールよりも関係。 管理よりも共に在ること。 そうした価値観が、生活のあちこちに滲んでいます。

その空気の中にいると、不思議な循環が生まれます。 子どもがのびのびしている。 それを見て、親が安心する。 安心すると、親は力を抜く。 力が抜けると、また子どもが自由になる。

この旅で強く感じたのは、子どもに何かを「経験させている」という感覚よりも、子どもを通して、こちらが世界の見え方を取り戻している、という感覚でした。

大人になると、世界はどうしても線だらけになります。

仕事とプライベート。
内と外。
味方と競合。
正解と不正解。

それらは社会を生きるうえで必要な線ですが、引きすぎると、人と人のあいだに壁も生まれます。

触れ合うことから始める

子どもたちが示していたのは、教えではありません。 方法でもありません。 ただの在り方です。

先に理解しなくても、 先に判断しなくても、 人は人として、もう触れ合っていい。

そんな姿勢を、隣で静かに見せてもらっている感覚でした。

このノートを読み終えたあと、何かを変える必要はありません。 ただ、今日一日だけでも、 肩書きや立場や前提をいったん脇に置いて、 目の前の人に向き合ってみる。

線を引く前に、まず触れ合ってみる。 それだけで、世界は少しだけやわらかく見えるかもしれないんです。

線引や世界の捉え方については、こちらの1冊「人生は、自分で立ち上げていくもの・・・!?『フツーに方丈記』大原扁理」がおすすめです。ぜひご覧ください。

そして、この投稿が、2025年最後の「#考えるノート」になります。

今年1年、 この小さな思索の記録を読んでくださった皆さまに、 心から感謝します。

正解を示すわけでもなく、 役に立つことを急ぐわけでもない文章ですが、 それでもページを開き、思考の時間を共にしてくださったことが、 書き続ける力になっていました。

来年もまた、 答えよりも問いを、 説明よりも手触りを、 線よりも関係を大切にしながら、 考える時間を綴っていきたいと思います。

どうぞ良い年末をお過ごしください。
そして、来年もよろしくお願いします。

それでは、また来週お会いしましょう。

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