- 「甘える」ことは、本当に悪いことなんでしょうか?
- 実は、現代社会では甘えることが否定的に捉えられがちですが、人と人との関係において「甘え」は本来とても価値のあるコミュニケーションなんです。
- なぜなら、甘えることができる関係性こそが、お互いを支え合い、信頼し合う基盤を作るからです。
- 本書は、精神分析医の土居健郎さんと教育学者の齋藤孝さんが、日本独特の「甘え」という概念について対談した一冊です。
- 本書を通じて、私たちはもっと自然に甘え、同時に人を支えることができる関係性の大切さを見つめ直すことができるんじゃないかと思います。
土居健郎さんは精神分析医として、日本人の心理構造を深く探求してきた方です。特に「甘えの構造」という著作で、日本独特の心理現象を世界に紹介したことで知られています。
一方、齋藤孝さんは教育学者として、日本の伝統的なコミュニケーションや身体性に注目した研究を続けています。お二人の対談によって生まれたこの本は、現代社会における「甘え」の意味を改めて問い直す貴重な機会を提供してくれます。
現代社会で失われつつある「甘え」の価値の再発見
「甘え」という概念が日本語独特のものだということに、まず驚かされるんです。
もちろん海外にも似たような態度や行動はあるけれど、それが一つの言葉として意識化されているのは日本独特だということです。
「甘え」という言葉は、日本文化の本質をえぐる概念であった。日本は、「甘え」ることができることを積極的に評価する文化を持っていた。
これって実は、すごく深い意味があるんじゃないかと思うんです。
言葉になっているということは、それを意識的に捉えてきたということですよね。つまり日本人は古くから、人と人との間にある微妙な依存関係や信頼関係を、とても大切にしてきたということなんです。
でも現代社会では、この「甘え」が否定的に捉えられることが多くなってしまった感じがします。
自立することが良いこととされ、人に頼ることは弱さの象徴のように思われがちです。特に個人主義的な価値観が浸透する中で、甘えることへの罪悪感すら感じる人が増えているんじゃないでしょうか。
土居さんと齋藤さんの対談を読んでいて気づいたのは、「甘え」は決してネガティブなものではないということです。むしろ、人間関係の潤滑油として、そして信頼関係を深めるコミュニケーションツールとして、本来は非常に価値のあるものなんです。
家族関係こそが「甘え」の最たる場所だという指摘も印象的でした。家族が壊れていくと、私たちがもともと持っている「甘える」という態度を表に出す瞬間がなくなってしまう。
これは個人の問題を超えて、社会全体の問題として捉える必要があるんじゃないかと思います。
相互性のある甘え:支え合いの関係性をどう築くか
ここで大切なのは、甘えることと甘やかされることの違いなんです。
一方的に甘えるだけでは、それは依存になってしまいます。
でも本当の意味での「甘え」は、相互性があるものなんじゃないでしょうか。
私が考える理想的な甘えの関係性は、例えば、以下のようなものです。
- 甘えることができる安心感を持ちながら
- 人のために何かをしていく態度と意識を同時に身につけている
- 甘えられたときに支えあえる関係性を作っている
この3つの要素が揃ったとき、甘えは単なる依存ではなく、お互いを支え合う豊かなコミュニケーションになるんです。
上手に甘えるには、相手との距離感をうまくつかみ、間をみつけて相手のふところにサッと入り込む。動物的な反射神経が必要だった。
この齋藤さんの指摘は、甘えが高度なコミュニケーションスキルであることを示していますよね。
相手の状況を読み、タイミングを見計らい、適切な距離感を保つ。これは一方的な要求ではなく、相手への配慮と理解に基づいた行為なんです。
実際、娘を保育園に預けていて感じるのは、親自身も「甘える」ことの大切さです。第二子が生まれて、制度の関係で預け時間が8時間になってしまい、これでは時間が足りなさそうだなと思っていたところ、保育園にいろいろ相談できて、安心できたんです。
これはノンバーバルな関係性ではないけれど、でも何かを受け止めてもらえることの大切さを実感した瞬間でした。
親も安心が必要なんですよね。そしてその安心感があるからこそ、今度は子どもたちや他の人たちを支えることができる。
現代社会では、こうした相互性のある甘えの関係を意識的に作っていく必要があるんじゃないでしょうか。職場でも、地域でも、家族でも。お互いが甘えることができて、同時にお互いを支えることができる。そんな関係性です。
日常の中の「甘え」を見つめ直す:子育てと家族関係から
子育てをしていて気づくのは、甘えのコミュニケーションがいかに豊富で多様かということです。
特に印象的だったのが、絵本の読み聞かせも甘えの一種だという指摘でした。
考えてみれば確かにそうですよね。子どもは親の膝の上で、安心できる声に包まれながら、一緒に物語の世界に入っていく。これは言葉を超えたコミュニケーションであり、信頼関係の表れでもあります。
「甘え」は言葉以外のノンバーバルなコミュニケーションが非常に豊かになってきたのじゃないでしょうか。
身体があることで成立するコミュニケーションって、普段あまり意識しないけれど、確実にあるものですよね。抱っこされること、手をつなぐこと、一緒に歩くこと、そばにいてもらうこと。
これらはすべて甘えの表現であり、同時に愛情や信頼の表現でもあります。
現代社会では、こうした身体的な接触や非言語的なコミュニケーションが減っている気がします。デジタル化が進み、効率性が重視される中で、時間をかけてゆっくりと関係性を育むことが軽視されがちです。
でも実は、こうした「甘え」のコミュニケーションこそが、人間関係の基盤を作っているんじゃないでしょうか。
安心して甘えることができる関係があるからこそ、人は挑戦することもできるし、他者を支えることもできる。
家族の中で感じるのは、甘えることと自立することは対立するものではないということです。むしろ、しっかりと甘えることができた子どもの方が、最終的には自立していく力を身につけているような気がします。
「自己実現より他者実現。自分がやりたいことより、他者のリクエストに応えることから始めよう」
この齋藤さんの言葉は、現代的な甘えの在り方を示唆していますよね。自分のことばかり考えるのではなく、他者のニーズに応えることから始める。これは甘えられる側の態度でもあり、同時に健全な甘えを支える基盤でもあります。
日常の中で、もっと意識的に甘えのコミュニケーションを取り入れていけばいいんじゃないかと思います。完璧である必要はないし、すべてを一人でやり遂げる必要もない。時には人に頼り、時には人を支える。そんな自然な関係性の中に、本当の豊かさがあるような気がするんです。
「甘え」という概念を通じて見えてくるのは、人間関係の本質的な価値です。効率や合理性ばかりが重視される現代だからこそ、この日本独特の概念に改めて注目する価値があるんじゃないでしょうか。
甘えることができる関係、甘えを受け入れることができる関係。そんな相互性のあるコミュニケーションを、もっと大切にしていきたいなと思います。
例えば、子どもとの信頼関係の作り方については、こちらの1冊「【いかに信頼関係を築くか!?】子どもは罰から学ばない|ポール・ディックス,森本幸代」をぜひご覧ください。

まとめ
- 現代社会で失われつつある「甘え」の価値の再発見――人間関係の潤滑油として、そして信頼関係を深めるコミュニケーションツールとして、甘えは価値あるものなのです。
- 相互性のある甘え:支え合いの関係性をどう築くか――甘えは、高度なコミュニケーションスキルであるのです。
- 日常の中の「甘え」を見つめ直す:子育てと家族関係から――安心して甘えることができるから、人は挑戦することもできるし、他者を支えることもできる。
