- どうしたら相手との時間をより良いものにすることができるでしょうか。
- 実は、「良い質問」というスタンスを持つことです。
- なぜなら、それは相手の思考を深め、その中に自分自身を投じる経験を作り出すから。
- 本書は、人間の関係を質問という切り口で説く1冊です。
- 本書を通じて、問いの冒険の入口に立つことができます。

良い質問とは!?
エルケ・ヴィスは、オランダ出身の著述家・哲学者・劇作家です。もともとは演劇の世界で脚本家・演出家として活躍していた異色の経歴をもち、その後、古代ギリシアの哲学とソクラテス式問答法に深く傾倒。
現在は、教育機関や企業で「思考の質を高めるための対話術」や「よい質問のあり方」に関するワークショップやトレーニングを行っています。
彼女のスタイルの特徴は、演劇的感性と哲学的思考の融合にあります。つまり、「人間を描く」視点と「問い直す」技術を併せ持っているのです。
本書『QUEST「質問」の哲学』では、古代ギリシアのソクラテスをはじめとする哲学者たちの「問い方」を現代に応用する手法を提案し、特に「考える力を鍛えたいビジネスパーソン」「感情や直感に流されがちな意思決定を見直したい人」に向けて、実践的でユーモアを交えた内容を届けています。
著者エルケ・ヴィスは、実は私たちは、「爆発を恐れている」といいます。
何の爆発か?
それは、「質問」をすることによる関係性の悪化や破断です。
相手のことを深く聞いたり、あるいは、詮索したりするように捉えられるのはどうか・・・?とおそれ、本質的なことについて触れる機会を逃しています。
だから表面的な会話や、質問と見せかけて“自分の意見”を語る発言を繰り返してしまいます。
例えば、以下のようなものは、自分の“意見”である見せかけの質問です。
- あの子が言っていることのほうが正しいと思わない?
- つまり、こういうことだよね?
- あの子の言うことも一理あるよね?
などなど・・・
一方で、本当に「良い質問」は、本質的なことを深堀りすることを可能にしてくれます。
新しい可能性や視点を探求し、自分の思考の「スイッチ」が入ったとき、会話は深くなり、新たな発見や意外な発想にたどり着けるようになる。
その先に「真の知識」があります。
「真の知識」とは、いったい何を意味するのでしょうか。
それは多くの場合、「何かを知っていること」「正しい答えを持っていること」と理解されがちです。しかし、古代ギリシアの哲人ソクラテスは、これを真っ向から否定しました。
ソクラテス(紀元前469年~399年)は、アテネの市民を相手に、道ばたや市場、宴会の場で問いを投げかけては議論を仕掛けるという、当時としては異端の存在でした。彼の哲学は書物を通してではなく、ただ「問い」を通じて伝えられ、後世には弟子プラトンによってその姿が記録されました。
彼の代表的な姿勢は「無知の知」。つまり「私は自分が何も知らないことを知っている」という逆説的な知の在り方です。
ソクラテスは、「正義とは何か?」「徳とは?」「愛とは?」といった根本的な問いを、誰もが当然のように知っていると思っていることにこそ向けました。そして、相手が答えたとしても、「なぜそれがそう言えるのか?」「別の見方はないのか?」と次々に問い直すことで、答えの曖昧さや前提の脆さを炙り出していきました。
この過程で重要なのは、相手を論破することではなく、思考の殻を破ること。
つまり、問い続けることで、私たちは「答え」に近づくのではなく、「自分が何を知らないのか」に気づいていくのです。
エルケ・ヴィスが本書で伝えようとしているのも、このソクラテス的態度の現代的な再発見です。
「問いとは、勇気ある無知の宣言である」
だからこそ、良い質問は、他者を追い詰めるものではなく、共に深く考えるための「関係性の器」なのです。質問の力を恐れるのではなく、丁寧に言葉を選びながら、未知に踏み込む――そこから、真の知識への扉が開かれるのです。
良く聞き、相手に思考を促す?
考え、問い、哲学を実践することは、実は楽しいことです。
そこには常に、自分という存在に向かうベクトルと、社会との関係性を、そしてこの世界の存在を問い続ける、終わりのない思考のスパイラルがあります。
「良い質問」について考えていきましょう。
本書における「良い質問」の定義は、「相手に考えることを促す、純粋かつ誠実な質問」のことです。
その良い質問によって、私たちは、深い会話へ向かうことができます。
それは、相手の経験を探ることであり、その人が持つ考えや概念、疑問、とりわけその人の人間性について深く考察することにつながっていきます。
ここが難しい。
なぜなら、人は自分の思考の中で生きているため、そもそも自分自身について考えることへとほうっておくと促されてしまうからです。
意図的に相手に意識を向けないと、自分の考えや経験ばかりを話してしまい、相手のことを深く探ろうとしないのです。
「良い質問」をしづらいのは、以下のような6つの理由があるからです。
1.人はそもそも自分の話をしたがる──自分のことを話すのは、質問をするよりもずっと気分がいい
2.尋ねるのが怖い──質問をすることで、ネガティブな結果を招くかもしれないと不安を感じている
3.良い印象を与えたい──質問するより自分の意見を述べるほうが相手に良い印象を与えられると思っている
4.客観性の欠如──私たちの「客観的な視点で物事を考える能力」は低下している
5.忍耐力がない──良い質問をするのは時間の無駄だと思っている
6.そもそも方法を知らない──良い質問をする方法は、誰も教えてくれない
私たちがモットーとして据えたいのが、オピニオンリーダーになることではなく、まず「クエスチョンメーカー」になるという志です。
このクエスチョンメーカーになるための「良い質問」の方策については、実は誰も教えてくれません。
みんなが、どちらかというと「いかに話すか?」「うまく喋るか?」についてフォーカスします。そうした傾向の強い世の中にあって、「良い質問」を考えることは、実は自らの人生戦略を考えるうえでも非常に重要な論点であるということに気づきます。
「良い質問」の根底に流れるのは、相手主体であるという状態です。
判断せずに、ただ観察する。
その過程で、「判断」や「ジャッジ」にとらわれずにありのままを見つめることです。
ストア派を代表する哲学者のエピクテトスは、日常的な問題について触れ、人間の判断の傾向について説いています。
エピクテトスの著書については、こちらの1冊「【真の生き方とは?】2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法|エピクテトス」もあわせておすすめです。

私たちに求められるのは、答えを急がない態度です。
私たちはしばしば、問いの途中で無意識に「こうあるべきだ」と判断してしまいがちです。けれども、本当に良い問いとは、判断を一度脇に置き、相手の言葉や沈黙にじっと耳を澄ますことから始まります。
ヴィスは「観察すること」の大切さを繰り返し説いています。
それは、観察とは「情報を取りにいく」行為ではなく、「今ここにある相手の状態を、ただ見つめる」行為だからです。そこに、評価や解釈が入り込んでしまえば、問いは知らず知らずのうちに“導き”へと変わり、対話の可能性は閉ざされてしまいます。
良い質問は、相手の思考に寄り添いながら、そっと照らす光のようなものです。
その光は、「気づいていなかった前提」や「言葉にしそびれていた違和感」を浮かび上がらせ、やがて相手自身が自分の思考を組み直していくためのガイドになります。
問いとは、操作ではなく、共感の技術。
判断せず、コントロールせず、ただ「ともにある」ことから生まれる対話の姿勢が、私たちに本当の知的対話をもたらすのです。

「良い質問」の姿勢とは!?
もう少し「良い質問」の技術に触れてみましょう。
良い質問は「良い聞き方」から生まれる
よく聞くことは、上述の通り、自分の解釈や思い込み、意見を入れずに純粋かつ素直に相手の話を聞くことを実践することです。
どんなモードで聞くのが良いのでしょうか!?
①「私」にとどまる姿勢
意図:「私はこれについてどう思うか?」
この姿勢は、自分の考えを中心に据え、相手にそれをぶつけてしまう姿勢です。
・相手を説得しようとする
・示唆的、修辞的な質問になる(例:「本当にそう思うの?」)
・答えをすでに持っていて、それを言わせようとする
つまり、問いのかたちをしていても実は“主張”であるケースです。ここでは、対話は閉じてしまい、相手は「試されている」と感じるかもしれません。
②「あなた」に耳を傾ける姿勢
意図:「それは、あなたにとってどういうことだろう?」
この姿勢では、相手の話にただ耳を傾けることが主眼です。
・個人的な解釈をせずに受け取る
・オープンで、好奇心に満ちた問いが出てくる
・相手の考えの奥にあるものを探ろうとする
ここでの質問は「理解するための問い」です。
しかし、このままだと問いは“相手任せ”に終わってしまい、対話が循環する構造にはまだなっていません。
③「私たち」として考える姿勢(最も重要)
意図:「私たちはそれをどうとらえるべきか?」
これが、ヴィスがもっとも重視する“問いの成熟”です。
・自分と相手の両方を観察しながら対話に参加する
・会話の流れをメタ的に捉え、堂々巡りや対立構造から抜け出そうとする
・相手が本当に答えようとしているか、自分は聴こうとしているかを省みる
ここでは、問いはただの「投げかけ」ではなく、「空間をともに開く行為」になります。
たとえば、
「私たち、いま“正しさ”を争ってしまっているかもしれないけれど、そもそも“問いたいこと”って何だったんだろう?」というように、会話そのものを問い直すことで、思考がひらかれ、「問いのスイッチ」が本当に入るのです。
私自身も、これまで多くの場で対話に携わってきた中で、つくづく感じることがあります。
それは、良い対話とは、最初から正しい答えを目指すものではなく、相手の話に真剣に耳を傾け、その上で「ともに考える場を少しずつ編んでいく営み」であるということです。
そのとき、必要なのは「私」と「あなた」がそれぞれの視点を持ち寄りながら、それでもその“あいだ”にあるもの――たとえば沈黙や、言葉にしきれない思いや、まだ名前のない違和感――を丁寧に見つめていくこと。
まるで、ジョハリの窓を少しずつ開いていくように、互いにまだ知られていない自己や思考の片鱗が、会話の中で少しずつ顔を出し始める。
そのとき、質問はボールのように前へと転がされ、対話は目的地のない旅をはじめます。
「それは、あなたにとってどういうことだろう?」
「私たちは、それをどうとらえるべきだろうか?」
こうした問いが交わされるとき、話しているはずなのに、どこか俯瞰したところからその会話を“ともに眺めている”ような感覚が生まれます。
問い合いながら、思考し合いながら、少しずつ景色が拓けていく。
そのような対話が、現代のビジネスの場や教育の場、あるいは家庭や友人関係においても、もっと大切にされてよいのではないか――本書を読みながら、改めてそう強く感じました。
今回は、ここまで。
次回はもっと具体的に質問の技術に触れていきたいと思います。
まとめ
- 良い質問とは!?――本質的なことに、関係性の中で迫るためのヒントです。
- 良く聞き、相手に思考を促す?――関係性の入口は、そこにあるべきです。
- 「良い質問」の姿勢とは!?――それは互いに開かれた場を成す互いのための時間です。
