この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【本書の要約】複雑に絡み合った世界では、すべてが偶然と必然の狭間で生まれている。因果関係の物語に囚われず、コントロール幻想を手放し、不確実性を抱きしめることで、今ここにある奇跡を実感できる。オックスフォード大学の政治学者ブライアン・クラースが、複雑系科学と進化生物学の知見から、偶然に満ちた世界を生きる知恵を示す1冊。
- あなたは自分の人生を、どれほどコントロールできていると思いますか?
- 実は、私たちが「自分で決めた」と思っている選択の多くは、無数の偶然が積み重なった結果なんです。
- なぜなら、この世界は因果関係の単純な連鎖ではなく、すべてが複雑に絡み合ったネットワークだからです。
- 本書は、オックスフォード大学の政治学者ブライアン・クラースが、複雑系科学、進化生物学、神経科学の知見を統合して、偶然とカオスが支配する世界の本質を解き明かした一冊です。
- 本書を通じて、コントロール幻想を手放し、不確実性を抱きしめることで、今ここにある奇跡を実感する生き方が見えてきます。
ブライアン・クラースは、オックスフォード大学で政治学を教える研究者です。
専門は民主主義や権力の研究ですが、本書では複雑系科学、進化生物学、神経科学、哲学を横断しながら、人間社会の本質に迫っています。
彼がこの本を書いた背景には、現代社会に蔓延する「コントロール幻想」への問題意識があります。
私たちは、世界を予測可能で制御可能なものとして扱おうとします。
しかし実際には、世界は偶然とカオスに満ちており、その複雑さを受け入れることでしか、真に豊かな人生は手に入らないとクラースは主張します。
学際的なアプローチで、科学的な厳密さと哲学的な深さを両立させた本書は、世界の見方を根本から問い直す挑戦状とも言えるでしょう。
脳の効率化が「因果関係の物語」を生む
私たちの脳は、真実を理解するためではなく、生き延びるために進化してきました。
私たちは「真実の生き物」ではなく「近道の生き物」である
この一文が、本書の核心を貫いています。
脳は膨大な情報を処理するために、現実を単純化し、パターンを見出し、物語を作り上げるんです。
神経科学者ドナルド・ホフマンの研究によれば、私たちが見ているのは現実そのものではなく、生存に有用な「錯覚」だと言います。
コンピューターのデスクトップが良い例です。
私たちはアイコンをクリックしてファイルを開きますが、実際にコンピューターの中にデスクトップもアイコンも存在しません。
そこにあるのはシリコンとプラスチックと銅、そして二進法の計算だけです。
もし電子メールを書くたびに、コンピューター内部の物理的プロセスをすべて理解しなければならないとしたら、私たちは何もできなくなってしまいます。
コンピューターがこれほど有用になったのは、近道となる錯覚に変えられたからにほかならない。
同じことが、私たちの知覚にも当てはまります。
脳は現実を単純化し、使いやすい「インターフェース」に変換しているんです。
さらに興味深いのは「シナプスの刈り込み」という現象です。
新生児の脳には1000億個ものニューロンが詰まっていますが、成長するにつれて860億個程度に減少します。
脳は不要な接続を削ぎ落とし、効率化を図っているわけです。
この効率化のおかげで、私たちは素早く判断し、生き延びることができました。
しかし同時に、この「近道」には大きな代償が伴います。
私たちは「物語を語る動物」だ
人間の脳は、物語のために設計されているんです。
作家E・M・フォースターの有名な例を見てみましょう。
「王が死に、次に妃が死んだ」というのは単なる記事です。
「王が死に、次に妃が悲嘆のあまり死んだ」というのは物語です。
そして推理小説作家P・D・ジェイムズが付け加えたように、「誰もが妃は悲嘆のあまり死んだとばかり思っていたが、それは妃の喉に刺し傷が見つかるまでのことだった」となれば、さらに記憶に残りやすくなります。
私たちは「誰なのか」を知りたがりますが、何をおいても「なぜなのか」を知らずにはいられません。
私たちは、理由がわからないと、わかっているふりをする。
ランダムな出来事に対しても、私たちは無理やり因果関係を見出そうとします。
陰謀論が広がるのも、この認知バイアスのためです。
複雑で偶然に満ちた世界を、単純な物語に還元してしまうんです。
かつては有用だったこの「近道」が、現代社会では時に危険になります。
世界が急速に変化すると、古いパターン認識が通用しなくなるからです。
私たちは、脳が作り出す「物語」と「現実」の間のギャップを、常に意識する必要があります。
絡み合った世界では「何を変えてもすべてが変わる」
本書の第2章のタイトルは、極めて示唆的です。
何を変えてもすべてが変わる──もつれ合って存在するなかでの個人主義の妄想
私たちは、自分が独立した存在だと思い込んでいます。
しかし実際には、時空を超えて切っても切れない形で互いに結びついているんです。
あなたは、8人の曽祖父母の名前をすべてスラスラと言えないかもしれないが、鏡を覗いたときには、その8人から世代を経て伝わってきた目や鼻や唇の合成を目にしているのであり、その姿は、忘れられた過去の、変容はしているものの見分けがつく名残だ。
誰かに初めて会ったときに確信を持って言えることが1つあります。
その人の直系の先祖は誰1人、子どもを残さずには死ななかったということです。
両親が実際とは少しでも違う形で出会っていたら、あなたは存在していませんでした。
一瞬でもタイミングがズレていれば、あなたとは違う人が生まれていたでしょう。
そしてそれは、祖父母にも曽祖父母にも、はるか昔の先祖にまでも当てはまります。
この事実が意味するのは、私たちの存在そのものが、無数の偶然の積み重ねだということです。
さらに重要なのは、この絡み合いが過去だけでなく、現在にも未来にも及んでいることです。
しばらく現実に目を凝らせば、私たちが時空を超えて、切っても切れない形で互いに結びついていることがわかるだろう。このような絡み合った世界では、私たちのすることのいっさいが意味を持つ。なぜなら、私たちのかすかな羽ばたきが、他者の人生に暴風を生み出す──あるいは、他者の暴風を鎮める──ことがありうるからだ。
これは、いわゆる「バタフライ効果」の話です。
複雑系科学の研究によれば、小さな変化が予測不可能な大きな結果を生み出すことがあります。
現代社会のような複雑適応系では、次の3つの前提は成り立ちません。
1.目にすることのできる結果のどれにも、目にすることのできる特定の原因がある
2.何かを理解したければ、ただその構成要素を理解すればいい
3.過去のパターンを理解すれば、未来ももっとよく理解できる
複雑系は非線形なので、変化のスケールは結果の大きさに比例しません。
小さな変化がときとして大きな予測不可能な出来事を引き起こすんです。
ナシム・タレブが警告していた「ブラックスワン」です。
良くも悪くも、その現実は恐ろしくはなく不思議なものであり、人生のあらゆる瞬間に、日の目を見ないかもしれない意味を与える。個人主義の世界観を覆す。私たちは重大な決定を下して自分個人の運命を決めているのではなく、むしろ、私たちの下すごく小さな決定さえもが大切であり、世の中を永遠に変えるのだ。
ここで自由意志の問題が浮上します。
もし世界が決定論的なら、私たちに選択の余地はないのでしょうか?
クラースは、この問いに真正面から取り組みます。
自由至上主義の自由意志
私たちは、脳で起こっている物理的反応とは完全に別個に、自由に選択できると信じたがります。
しかし科学的に考えれば、起こることはすべて、原因があるかないかのどちらかでなければなりません。
原因があって何かが生じるとしたら、それは以前に起こったことの必然的な産物です。
あなたはやろうと思えば別の反応を選択できるのだろうか?
水を飲むという決定を下すことはできますが、そもそも水を飲みたいという選択をするでしょうか?
喉が渇いていると感じることを選択しますか?
それは体があなたのために決めることです。
喉の渇きに当てはまることは、他のすべてのものにも当てはまります。
どうだろう、それでもあなたは自由なのか?
クラースは、自由意志の完全な否定にも、素朴な肯定にも与しません。
だから、好きなものを選んでほしい。自分のやり方でパズルを解いてほしい。もっとも、この部分を読んだ後、まさに現在のあなたの脳と体の状態では、あなたがどの解決策を選ぶのかは、おそらく必然的に決まっているのではないかと思う。その選択は、自由になされるように感じられるにしても、あなた以前に起こり、はるか昔へと無限に連なるありとあらゆることの影響を受けている可能性が高い。
重要なのは、この事実が虚無主義につながらないということです。
むしろ逆です。
すべてが絡み合っているからこそ、私たちの小さな行動すべてが意味を持つんです。
不確実性を抱きしめることが「今ここ」を豊かにする
現代人の多くは、不安を抱えています。
その根本原因は何でしょうか?
私たちが現代に不安を覚えるのは、制御不可能な世界を制御しようという思いが頭から離れないからかもしれない。そのような執着は、欠陥のある世界観に由来し、私たちはその世界観のせいで、確実性の追求という達成しえない試みから抜け出せなくなっている。そのような追求は必ず、失望という結果に終わる。
コントロールへの執着が、私たちを苦しめているんです。
社会学者ハルトムート・ローザによれば、これは私たち自身が作り出した絶望だと言います。
テクノロジーのせいではなく、世界を制御可能にしようという空しい願望のせいです。
私たちは制御不可能なものに出合って初めて、本当の意味で世界を経験する。そのときようやく、私たちは胸を打たれ、感動し、生きていることを実感する
人生の節目で迎える計画通りの祝い事でも、計画していなかった突発的な出来事が最もよく記憶に残ります。
奇妙に思えるだろうけれど、良い種類の不確実性というものもある。そして、そのおかげで私たちは人間らしい人間になれる。
もし今後見舞われる心痛の一覧表から、自分がこの世を去る日時を正確に記したカレンダーまで手に入り、自分の人生で何が起こるのかを絶対確実に知ることができるならば、あなたはぜひ知りたいと思うでしょうか?
おそらく多くの人は、知りたくないと答えるはずです。
誰一人謎を経験しない世界は、冷たい、現実味のない世界だ。そこでは、私たちは人生を漂うように送るばかりで、驚くことは一度もなく、自分が自然によって際限なく込み入った網にどのように織り込まれたのかを立ち止まってじっくり考えることもまったくなく、自分が存在しているという事実に対する畏敬の念に圧倒されることもけっしてない。
未知なるものが失われれば、私たちはゾンビになります。
では、どのように生きればいいのでしょうか?
クラースは「探索」と「活用」のバランスを提案します。
探索とは、どこに向かっているのかわからないまま、さまよい歩くことです。
活用とは、わかっている目的地に向かって突き進むことを意味します。
たとえば登山で考えてみましょう。
あなたは地元の最高点(局所的最大値)に到達したかもしれませんが、世界の最高峰(全域的最大値)が制覇されるのを待っているとは知りませんでした。
十分に探索する前に慌てて活用すると、より良い可能性があることを知らずに、常に地元の最高峰に登ってばかりになります。
しかし、全域的最大値に到達するのがいつも最善とはかぎりません。
アルプス山脈は十分に素晴らしいかもしれないからです。
食道楽でもないかぎり、新しいレストランを絶えず探索していたら、永遠に満足できずにいる羽目になります。
すでに大好きなのがわかっている料理を渇望しながら・・・。
不確実性の素晴らしさを認めるというのは、現在のあなた個人の行動が最適化された未来をどのように生み出しうるかにはあまり重きを置かず、あなたのために生み出された現在を享受するのにもう少し重きを置くことを意味する。
その現在とは、無数の個体から成るオーケストラによって何十億年にもわたって演奏され、このまったく唯一無二の偶発的な瞬間に最高潮に達した、人生のシンフォニーなのです。
自分がそのシンフォニーの指揮者ではなく、その中で鳴り響いている1本の弦にすぎないことを認めると、謙虚になれる。それが事実であるおかげで、私たちは何か広大で未知のものの中に置かれる。
良い社会というのは、私たちが不確実なことを受け容れ、未知のことを大切にする社会です。
そうするためには、日常生活の一日一日を探究や素朴な楽しさや愉快な驚き──偶然の巡り合わせ──で必ず満たさなければなりません。
簡単に測定できる、ほんのひと握りの変数で解くことが可能な、変化の割合が一定の味気ない一次方程式に世界が還元されると、私たちが自分自身や周囲を見る目がいっそう曇る。
現代社会では、たじろぐほどの繁栄が、急激に強まる疎外感や絶望感、存在にまつわる心もとなさと抱き合わせになっているように見えます。
しかし、それは必然ではありません。
世界観を変えることで、生き方も変わるんです。
ナチュラリストのジョン・ミューアは、かつてこう述べています。
何であれ、それだけを抜き取ろうとすると、それが宇宙の他のあらゆるものとつながっていることがわかる
私たちは誰もが互いにつながり合っています。
そしてそこから深遠な恵みが得られます。
私たちのやることなすことのすべてが大切なのです。
何であれ今やろうとあなたが決めることも。
まとめ
- 脳の効率化が「因果関係の物語」を生む――私たちは「真実の生き物」ではなく「近道の生き物」として進化してきました。脳は現実を単純化し、物語を作り上げることで生存を助けてきましたが、この「近道」が現代では時に危険になります。ランダム性を受け入れられず、無理やり因果関係を見出そうとする認知バイアスに、私たちは自覚的である必要があります。
- 絡み合った世界では「何を変えてもすべてが変わる」――私たちは独立した存在ではなく、時空を超えて互いに結びついています。複雑系では小さな変化が予測不可能な大きな結果を生み出すため、私たちの小さな決定さえもが世の中を永遠に変えます。自由意志の問題は単純には答えられませんが、すべてが絡み合っているからこそ、私たちの行動すべてが意味を持つのです。
- 不確実性を抱きしめることが「今ここ」を豊かにする――コントロールへの執着が現代の不安を生んでいます。制御不可能なものに出合って初めて、私たちは本当の意味で世界を経験し、生きていることを実感します。未知なるものを大切にし、「探索」と「活用」のバランスを取りながら、今この瞬間が無数の偶然の積み重ねであるという奇跡を味わうこと。それが、偶然に満ちた世界を豊かに生きる知恵です。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
