【ちょっと気楽になれる人づきあいの方法とは!?】人間関係を半分降りる――気楽なつながりの作り|鶴見済

人間関係を半分降りる――気楽なつながりの作り
  • 人生の悩みは、人間関係が半分といいますが、どうしたらそんな問題に向き合えるでしょう。
  • 実は、ちょっといい加減に向き合ってみることも大切かも。
  • なぜなら、日本人は、あまりに人間関係にも真面目になりすぎているかもしれないからです。
  • 本書では、苦しい人間関係の生い立ちを持つ鶴見済さんが、改めてこれからの時代の人間関係の捉え方を説きます。
  • 本書を通じて、人づきあいの感覚をアップデートできるかも知れません。

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日本における人間関係の問題点とは、3つの「箱」!?

人生の半分くらいは、人間関係による問題ではないかというのは、著者の鶴見済さんです。鶴見済さんは、壮絶な幼少期を過ごしました。彼の兄は、たいそう機嫌の悪い人で、よく鶴見済さんをいじめていたそうです。あまりのいじめに、いまでいうとDVという名前がつくくらいのはなしです。成人してようやく兄から離れられたものの、当時の景色が、自身の人付き合いに与える影響は多大なものがあるといいます。

我々は教室やオフィスといった”人の詰まった箱”のような場所に入って生きるのが当たり前だと思っている。

第1章 友人から一歩離れる

昭和の時代から、社会が画一的な方向にシステマチックに動くようになってしまいました。産業革命以後から世界がそうであっと言っても過言ではないかも知れません。そんななかで、家庭・会社・学校という3つの箱が機能しだすようになります。一方で、いわゆるご近所付き合いや趣味の繋がりなどの、コミュニティやご縁というものが、少しずつ減ってしまったともいえます。

過去の投稿「【小舟化時代のこころのとらえかたとは!?】なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない|東畑開人」では、人を小舟にたとえて、それが寄り添ったり離れたりしながら、大船にはついぞ乗らず、人生を終えていく海路に人生を重ねていました。

3つの箱がうまく機能しているときはいいのですが、人によっては、あるいはタイミングによっては、難しいこともあるでしょう。鶴見済さんの場合は、いずれの箱もうまく機能しなかったといいます。本当は箱から出ても、また所属する箱があればいいのですが、そうもいかないのが、現代です。

また、過去の投稿のご紹介ですが、「【あなたはセーフティネットを持っている?】イドコロをつくる|伊藤洋志」で、著書『ナリワイをつくる』で有名な、伊藤洋志さんは「イドコロ」を提唱していました。これも所属の箱からドロップアウトしたときのセーフティネットを機能させよう!という試みでした。

いま、こうした箱やイドコロ、あるいはコミュニティという言い方で、人の居場所についての著書が問題提起を続けている社会だと思います。幸せを考えるときのひとつのヒントになると考えます。

「箱」からの解放にヒントあり!?

人間の体は、それ(「箱」)に適用できるように作られているわけじゃない。

第1章 友人から一歩離れる

私たちは、ものづくりをシステマチックにしようとしたあげくに、私たちのつながりもシステマチックにしてしまったかのようです。こうした深い問いについては、私の経験上、ドラえもんの映画が示唆を与えてくれるものなのですが、思い出すのは、名作(全部名作なんですけど・・)『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』です。異世界との交流を描いた作品で、その異世界はロボットが支配する社会です。はじめは人間をサポートするように作られたロボットですが、その開発自体をロボット(AI)に託したばかりに、ロボットに社会が征服され、人は囚われの身となる「ロボットの氾濫」が描かれます。最後は、ドラえもんやのび太やいつものメンバーの活躍により、人は社会を取り戻していくというストーリーなのですが、ここで描かれているものとはなんでしょうか。

私には、「あまりにシステマチック(機械)任せにして、心をないがしろにすると、痛い目にあう」というメッセージを感じます。

もっと「いい加減」のスタンスを持つとは!?

あるスウェーデン人の知り合いの若者が、日本にやってきた時のことだ。海外をよく見知っている彼に日本人の特徴を聞いてみると、”集中”と答えた。

第4章 こうすれば気楽になれる

電車に乗っていても、街を歩いていても、精巧に作られたアニメや工芸品を見ても、日本に住む人やあるいはその人達が育んできた文化を見ると、そこには「集中」があるそうです。なるほど・・と思います。たしかに海外の街を歩いていると、なんだかいい意味で、気の抜けた街並みだったり、お店に入れば曖昧なサービスだったりと、メリハリがきっちりしている印象です。鶴見済さんは、ここにヒントを得て、もうすこし、いい意味で「いい加減」に人付き合いもやっていってもいいのでは?と説きます。

そして、従来の3つの「箱」から少しオープンになって、新しい「箱」の形を模索していってもよいのでは、と言います。そんな風にして、人間の心の入る余地を得ようというのが、鶴見済さんの主張なのではないかと、私は受け取りました。

まとめ

  • 日本における人間関係の問題点とは、3つの「箱」!?――家庭、会社、学校の箱だけが残り、その他の箱の存在感がなくなってしまいました。
  • 「箱」からの解放にヒントあり!?――もっといろんな「箱」を自分で創造していくのもいいのかも知れません。
  • もっと「いい加減」のスタンスを持つとは!?――いい意味での「いい加減」で、自分にフィットする人間関係を模索してみるのもまたいいかも知れません。

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