間(あいだ)にこそ本質がある!?『座右の世阿弥 不安の時代を生き切る29の教え』齋藤孝

座右の世阿弥 不安の時代を生き切る29の教え
  • 世阿弥にふれると、人として大切にしたいことが見えてきます。
  • 実は、「あいだ」の技術に特化した思想を世阿弥は持っているからです。
  • なぜなら、それが当時の変化の時代を生き抜く知恵だったから。
  • 本書は、21世紀という同じように変化の時代をいかに生きるか指針を提供してくれる1冊です。
  • 本書を通じて、「あいだ」にこそ本質があるのであるということを知ります。

「あいだ」の技術とは!?

齋藤孝さん、1960年生まれ。明治大学文学部教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。
テレビや書籍を通じて「教育・言語・人間力」の重要性をわかりやすく伝えてきた、まさに「知の翻訳者」。

彼は、古典を単なる歴史的遺産としてではなく、現代を照らす「実用の哲学」として紹介する名手です。

そんな齋藤さんが、本書で選び抜いた29の世阿弥の言葉。そこには「生きる芸術」としての哲学が、凝縮されています。

座右に置きたい言葉がありますか?
もしかしたら、それは「世阿弥の言葉」かもしれません。

なぜなら、700年近く前の能役者である世阿弥が残した言葉の数々には、現代の私たちにも響く「心の指針」が詰まっているからです。

本書『座右の世阿弥 不安の時代を生き切る29の教え』は、教育学者・齋藤孝さんによって、現代語訳と共に厳選された「世阿弥の教え」を、わかりやすくかつ深い洞察をもって紹介する一冊です。

不安な時代を、どう生き抜くか?
AIの台頭、変化の激しい社会、正解の見えにくい時代。
私たちは今、「不安」と「揺らぎ」のただ中に生きています。

そのような時代にあって、「変わらぬ軸」を持つことが、どれほど重要であるか。

実は世阿弥は、その「変わること」と「変わらぬこと」を、絶妙に捉えていた人物でした。

彼が遺した言葉は、芸の道に限らず、生き方の本質を問い直す言葉として、現代人にこそ必要な知恵として蘇るのです。

世阿弥の考える最高の芸のあり方とは、観客に面白いと思ってもらえること、喜んでもらえること、でした。どうしたらその場のお客さんに満足してもらえるだろうか。そのニーズを汲み取って、求められていることに応えられるか。

「あいだ」の技術とは何か?
齋藤孝さんの言う「あいだの技術」とは、「相手」と「自分」、「場」と「自分」の“あいだ”を敏感に察知し、適切な働きかけをする力のことです。

それはつまり、自己表現や自己主張の前に、まず相手の存在を受け止め、観察し、反応を読むという姿勢。まさに、コミュニケーションやリーダーシップにおいて重要とされる「共感力」や「場の空気を読む力」とも通じます。

世阿弥はこの「あいだ」にこそ芸の命があるとし、「初心忘るべからず」や「時分の花」などの概念を通じて、常に“自己”と“他者”のバランスを意識することを説いています。

この教えを、どう現代に活かすか?
経営者やリーダーにとっても、「あいだの技術」は重要な示唆を与えてくれます。

社内外のステークホルダーとの“あいだ”をどう捉え、応答するか。

顧客や市場の“変化”を、どのように「場の変化」として感じ取れるか。

自社の強みや主張を、どのように相手に響く形で伝えるか。

そうした問いに向き合うとき、世阿弥の芸道は、「自己完結ではなく、関係性の中でいかに応じていくか」という本質的な軸を思い出させてくれます。

あらゆる仕事が「あいだ」で成立している

この本質に立ち返るとき、私たちは、“能力主義”や“分断”から適切に距離を取りながら、相手と繋がり、OPENなマインドの中で、自らを育んで、可能性を見出していく方向感覚を取り戻すことができるのではないでしょうか。

不確かな時代にあって、「不動の自分」を持とうとするのではなく、
むしろ“動的なバランス感覚”を磨き続けることこそが、生きる技となる。

『座右の世阿弥』は、そんな揺るぎなさとは異なる「しなやかさ」を教えてくれる一冊です。
ページをめくるたびに、あなたの中の感受性が、少しずつ起き上がってくることでしょう。

「あいだ」に生きよう!?

「技」としての関係性──“あいだ”に生きる力とはなんでしょうか。

現代は、「能力主義」や「成果主義」が強調され、私たち一人ひとりが“自分という商品”として評価される場面が増えています。
それゆえに、他者との比較や分断、焦燥感に苛まれることも少なくありません。

しかし、世阿弥が説いたのは、評価される自分を目指すことではなく、目の前の他者といかに響きあえるかを探る「技」でした。

それは、自分を閉じて磨くのではなく、“ひらいて育てる”という態度。
つまり、「あいだ」を感じ取る力こそが、人を深く、しなやかに成長させるのです。

また、世阿弥の変化を肯定的に取り入れていくというマインドセットも、とても重要なものです。

世阿弥は「飽きられない」ことが大切だと感じていた、ということがあります。

世阿弥は人気というものは、移ろうものだということをよく理解していました。パトロンの変遷、世の中の流れ、人との関係性、どれも移ろいゆく中で、確定的なものはない。

むしろ、その流れに乗るように絶えず変化を引き受けていることが、ある意味、確固たる軸に逆説的になっていく・・・。

つまり、変わり続けることこそが、生き残るための不変の条件であると、世阿弥は捉えていたのです。

彼は『風姿花伝』の中で、「時分の花」や「真の花」といった概念を用いて、芸における“旬”と“本質”の違いを語りました。
若さや勢いによる「一時の花」に満足せず、時代や年齢に応じて「真の花」を咲かせること──それが芸の道の真髄だと説くその姿勢には、変化を前提に、自らを更新し続ける覚悟がにじんでいます。

これは、現代に生きる私たちにとっても、大きな示唆となる考え方ではないでしょうか。

社会環境、働き方、技術、価値観――何もかもが急速に変わるこの時代において、
「変わることを恐れず、変わりながらも軸を見失わない」ためには、自己の内に問いを持ち続ける姿勢こそが大切です。

固定ではなく、変化を続ける「しなやかな軸」――。

世阿弥の教えを現代語で読み解いていくと、その奥にあるのは、自己中心的な表現ではなく、関係性の中で自分を磨き続けるという構えです。

決して「これが正解だ」と言い切るようなマインドではなく、むしろ正解のなさを前提に、変化の波とともに舞い、応じていく在り方。

この柔らかな軸を、私たちも持つことができたなら、きっと、もっと生きやすく、もっと味わい深い人生が拓けてくるはずです。

『座右の世阿弥』は、そのための“静かな師”となってくれるような存在です。
折にふれてページを開きたくなる、そんな1冊として、そっと本棚に置いておきたい本です。

変化こそが、軸になる!?

世阿弥にとっての「花」とは、移ろいゆくものの象徴であり、変化を恐れず、むしろその中に新しさを見出す感性の象徴でもあります。

だからこそ彼は、「同じ芸を繰り返しては飽きられる」と戒め、
「常に折ふしに応じた“新しさ”を差し出すこと」が芸の本道であると説きました。

この姿勢は、現代で言えば──

同じ商品やサービスを提供していても、常に“体験”として新しさを与えるブランド戦略

組織や人材において、形を固定するのではなく、環境に応じて柔軟に進化していく構造

人間関係やリーダーシップにおいて、常に相手の変化を感じ取り、自らのあり方も変化させていく姿勢

といった実践に応用できるのではないでしょうか。

世阿弥が「花」に込めた意味は、変化の中にこそ美しさが宿るという逆説的な真理でした。

  • 「珍しさが花である」
  • 「花は散るからこそ愛される」
  • 「折ふしに新鮮に感じるものが花」
  • 「変わりつづけていくことが望ましい」

と語られる「花」は、単なる見た目の美しさではありません。
“今、この瞬間”にしか咲かない、その場限りの輝き、それこそが“花”なのです。

「変わること」こそが「愛され続けること」なのである――。

「花は散るから愛されつづける」

という言葉のなんと深いことか。

永遠に咲き誇る花などない。だからこそ、一瞬の輝きが心を打ち、また見たいと願わせる。
私たちも、変化を怖れず、むしろその変化を「花」として咲かせていくように生きることができたなら、
人生はもっと味わい深く、他者との関係性も、しなやかに続いていくのではないでしょうか。

齋藤孝さんの著書については、こちらの1冊「【人生を学びにする方法とは!?】学びのわざ|齋藤孝」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 「あいだ」の技術とは!?――実はものごとの本質は、あいだにあり、それを感じ、考え、捉えていくことが重要なのです。
  • 「あいだ」に生きよう!?――そこを機微に受け取り、作用させていくことが重要なのです。
  • 変化こそが、軸になる!?――花と同じように、捨てることがあるから、得られることもあります。
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