ダーウィンは、“適者生存”なんて言ってないってホント!? ―― 【適者生存の呪いをほどく】第1回

ダーウィンは、“適者生存”なんて言ってないってホント!? ―― 【適者生存の呪いをほどく】第1回の手書きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール


増田みはらし書店・店主の増田浩一です。

ダーウィンは「適者生存」と言っていません。

え、と思われたかもしれません。でも、これは事実なんです。

「適者生存」という言葉、どこかで聞いたことがありますよね。

ビジネスの場でも、自己啓発の本でも、日常会話でも当たり前のように使われています。そしてなんとなく、「ダーウィンの進化論から来た言葉」だと思っていませんでしたか。

私もそう思っていました。

まず、ダーウィンという人を少し紹介します。

チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)は、イギリスの自然科学者です。

若い頃にビーグル号という船で世界を旅し、南米のガラパゴス諸島などでさまざまな生き物を観察しました。そこで気づいたのは、同じ種の動物でも、島ごとに少しずつ形が違うということ。その観察をもとに長年研究を重ね、1859年に『種の起源』を出版します。

この本が提唱したのが、自然選択(Natural Selection)という考え方です。

ダーウィン自身は、こう書いています。

“It may be said that natural selection is daily and hourly scrutinising, throughout the world, every variation, even the slightest; rejecting that which is bad, preserving and adding up all that is good.” (自然選択は、世界中のあらゆる変異を、ごくわずかなものまで、日々刻々と精査している。悪いものを退け、良いものをすべて保存し、積み重ねながら。) ― Charles Darwin, On the Origin of Species, 1859

内容をざっくり言うとこうです。

「生き物には個体差がある。その中で、たまたまその環境に合った特徴を持つ個体が生き残り、子孫を残す。それが積み重なって、種は変化していく」

重要なのは、ダーウィンはここで「強い者が勝つ」とは言っていないということです。

「環境に合ったものが残る」と言っているだけです。そこに、善悪の判断はありません。優劣の評価もありません。ただ、起きていることを記述しているだけなんです。

では、「適者生存」はどこから来たのか。

最初に使ったのは、ハーバート・スペンサー(1820〜1903)というイギリスの哲学者です。

スペンサーはダーウィンの『種の起源』を読み、自分の著作でこう書きました。

“This survival of the fittest, which I have here sought to express in mechanical terms, is that which Mr. Darwin has called natural selection.” (私がここで機械的な言葉で表現しようとした「適者生存」こそが、ダーウィン氏が自然選択と呼んだものである。) ― Herbert Spencer, Principles of Biology, 1864

ダーウィンはその後、この表現を「わかりやすい」として自著に取り入れましたが、あくまで後から借りた言葉です。本人が生み出したわけではありません。

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ここで、小さくて大きなズレが生まれます。

ダーウィンは事実を説明した。 スペンサーは物語を与えた。

「自然選択」は「こういうことが起きている」という観察の記述です。

一方「適者生存」は、読む人によっては「だからこうあるべきだ」という響きを帯び始めます。

「fit」という言葉の、静かな誤読。

この誤読には、翻訳の問題も絡んでいます。

英語の“fit”は、「環境に合う」という意味です。
服が体にフィットする、そのフィットです。
腕力が強いとか、頭が良いとか、そういう意味ではありません。

ところが日本語の「適者」という言葉は、少し違う響きを持ちます。
「適した者」、つまり「ふさわしい者」。
どこか選ばれた存在、能力のある人間、という匂いがします。

言葉が変わると、意味も変わります。
そして意味が変わると、社会の見え方も変わっていきます。

「生き残った=優れている」。

この連想は、こうして静かに定着していったのです。

ダーウィン
(事実の記述)
スペンサー
(物語の創造)
進化とは何か 環境に「合う」ものが残る
※良い・悪いの判断はない
より優れたものへと「進歩」する
※後から来たものほど上等
変化の方向 方向は定まっていない
※偶然と分岐の積み重ね
単純→複雑、未熟→成熟
※一直線に上昇していく
世界観 ゴールはない
※ただ「起きていること」を記録するだけ
完成形に向かっている
※宇宙全体に目的がある
勝者・敗者への評価 評価しない
※生き残りは「たまたま合っていた」だけ
勝者は正しく、優れている
※生き残った=道徳的にも上位

「説明」が「正当化」に変わる瞬間。

ここで起きたのは、説明と正当化の混同です。

進化は、単なる事実の積み重ねです。「こういうことが起きた」という記録です。
ところがその事実が社会に輸入された途端、「だから勝者は正しい」という価値観へと変換されていく。

その転換は、私たちの日常にも静かに浸透しています。

売れている会社は正しい会社。成果を出している人は優秀な人。評価が高い人は人格的にも優れている。

本当にそうでしょうか。

市場で生き残ったことと、道徳的に正しいことは、同じではありません。数字を出せることと、人間としての価値も、同じではありません。でも私たちは、いつのまにかそれらを結びつけて考えてしまいます。

ダーウィンの観察は、冷静です。
そこに慰めもなく、断罪もない。
ただ起きていることを記録しただけです。

その記録が、なぜ「勝者を肯定する物語」に変わったのか。

その問いの答えは、スペンサーという人物の中にあります。

次回は彼の仕事を、もう少し丁寧に見ていきます。思想を“パッケージ化”する力を持った男が、どのように時代の欲望と共鳴したのか。そして、それが今も私たちに影響を与え続けている理由を。

それでは、また来週お会いしましょう。


この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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