- どうしたら感情に流されることなく、自由に生きることができるでしょうか。
- 実は、感情の奥深くにある、判断に気づくことです。
- なぜなら、その判断が原因となって感情や行為が導かれてくるからです。
- 本書は、ものごとの見立てに慎重になることを説く1冊です。
- 本書を通じて、理性的に自分の人生を運営していくヒントを得ることができます。
無意識の判断に意識を?
前回の投稿「【さらに、よく生きるには?】奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業|荻野弘之」に続き、今回もこちらの1冊『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 ――この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』のレビューを続けてみましょう。
エピクテトスは、無駄な感情にとらわれることを、良しとしませんでした。例えば、不安や悲しみです。こうした感情に囚われていると、理性的な判断やものごとの見方ができなくなってしまいます。
すると、ストア派が重視する分別をつけて、行動するという理想的な状態から遠ざかってしまうこともあるのです。
負の感情は、無意識に作られてしまいます。
自分でも意識しないままに勝手に「判断」されて、感情として自分の中に沸き起こってくるのです。
私たちは、感情に対して意識を向けることはあっても、なかなかそのおおもとの「判断」にまで意識が及ぶことはありません。
私たちはもっとものごとから自由になるように「判断」を変えていけばいいのです。
たとえば、大切な何かを失ったときには、負の感情に襲われるのは当然ですが、しかし「失った」ととらえるのではなく、もともとの場所へ「返した」と捉えてみると、また異なる見方を手に入れることができます。
しょせんいつかは失う可能性があるということだ。
あらゆるものや、あらゆる出会いが、この可能性をまとっていることについて、意識を向けてみましょう。
これらは負の感情についての話でしたが、実はポジティブな感情についても一定の距離感を保つべきであるというのが、エピクテトスの主張です。
楽しいことがたとえあったとしても、それを即座に享受するのではなく、「ちょっと待て」とあえて対象との距離感を保つ冷静な行動を取ってみることが重要なのです。
複数の見立てを得る?
私たちが無意識のうちに下している判断にもっと、意識を向けてみようということをエピクテトスは繰り返し説いています。
例えば、行為や行動自体に注目する前に、行為者(自分も含む)の意図や動機に注目してみるということです。
それをエピクテトスは「当人の考え(ドグマ)を識別する」という言い方で表現する。
現在の立場という唯一の視点からものごとや人を見つめるのではなく、状況や相手に対する、「義務」「恩義」「感謝」の気持ちも合わせて見直してみることが大切なのです。
それらを考え合わせて見れば、正負の感情というのを超えて、ものごとの核心にふれることができるようになるでしょう。
最も幼稚なのは、他人を非難すること
安易に、他人も自分をも避難しないという達観した立場に立つのがエピクテトスです。
非難は、特定の立場からみたときの相手(自分自身をも含む)に対する評価です。しかし、上述のとおり、見え方は一つではないということに気をつけてみることが大切でしょう。
自分にとって都合のいい解釈をついついしてしまうのが人間かもしれません。でも、そうした都合のいい解釈を続けていくと、どこか間違ったところへ次第に到達して、矛盾だらけの人生になってしまうこともあるでしょう。
「自己欺瞞」を避け、自然に生きられる環境を作るように、ものごとに対して正しい見立てを手に入れるのです。
例えば、美しい馬を所有していたとします。その馬をいくら自慢しようが、残念ながら、美しいのは馬であって、所有者ではないのです。こうした小さな点に注意を向けていくことが大切です。
自分らしい人生とは?
感情に流されるのではなく、もっと心を見つめてみましょう。
快楽は手短に。心への関心を手厚く。
これがきっと自分を大切にするということにつながっていくのだと思います。
自分がどんな気持ちを抱いているのか、どういうロジックで物事を見て、どんな判断をしているのか?に気づくことです。いい悪いの前に、そうした自分に対する戒めの気持ちを大切にすることで、もっと私たちは自由を得て成長することが可能になるはずです。
ものごとの見立てをいくつ持つことができるか、ということが、本質的な学びによって得られる効果なのかもしれません。そのためには、前提となる知識も必要だし、その上で、たくさん行動して、体験して、経験して、それを他者と分かち合っていくことです。
心の外側にある出来事ばかりに夢中になると、どうしても自分の心を反省することが疎かになり、そうした判断ができなくなるのだ。
エピクテトスは、「君は演劇の俳優である」といいます。
しかし、常に誰もが主役というわけには行かないのです。自分に与えられた役回りがあり、そして、それを喜んで受け入れ続けるということが人生という舞台での自由な試みとなります。
監督や演出家の創作意図を正しく理解して、その都度、その役にふさわしく演じきることです。
自分の境遇を無視して生きようとすれば、そこには必ずムリや歪みが生まれてしまいます。しかし、もちろん役者として一挙手一投足すべての動きが台本に書いてあるわけでもないのです。そしてさらに言えば、心の動きだけは、何にも束縛されることはありません。
人生=舞台という一定の制約の中で、自分の手で変えることのできるものは何か、またその反対に受け入れなければならないものは何か。
この一定の境界線を正しく見極めることから、よりよい、自分らしい人生が生み出され続けてきます。
まとめ
- 無意識の判断に意識を?――知らず知らずに沸き起こる感情ではなく、その根源に注目しましょう。
- 複数の見立てを得る?――それが人生を豊かにします。
- 自分らしい人生とは?――境遇を受け入れ、自分で自由にできる物事を知り、その中で生きることです。