読書は、人格を磨く!?『読書する人だけがたどり着ける場所』齋藤孝

読書する人だけがたどり着ける場所
  • 読書をすると何がもたらされていくでしょうか。
  • 実は、「体験」かもしれません。
  • なぜなら、本とは著者の体験を、疑似体験できるメディアなのです。
  • 本書は、「体験」を通じて自らの人格を形成していくことについて触れる1冊です。
  • 本書を通じて、人間観、人生観を深め、創造力を高め、人格を大きくしていくことについて考えます。
齋藤孝
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読書は対話!?

齋藤孝さんの名前を、書店やテレビで一度は目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
教育学者として、また明快で親しみやすい語り口を持つ知の伝道師として、長年にわたり幅広い読者に影響を与えてきた人物です。

1960年生まれ。東京大学法学部を卒業後、同大学大学院教育学研究科を経て、現在は明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論など多岐にわたります。

とりわけ有名なのは、2001年に刊行されたベストセラー『声に出して読みたい日本語』。
この一冊によって、読書が「静かに読むもの」から「声に出して味わうもの」へと再定義され、多くの人に言葉のリズムや美しさを再発見させました。

齋藤さんの読書論の特徴は、決してアカデミックな知識のひけらかしではなく、「どう読めば、人生が面白くなるか」「どんな言葉を持てば、自分の軸ができるか」という、読者一人ひとりに寄り添った視点にあります。

その語りには、知識人というよりも、人生の伴走者としての温かさがあります。

「読書は娯楽であってもいい」「知識のインプットであってもいい」。でも齋藤さんはそれだけでは終わらせません。

彼がこの本で繰り返し強調しているのは、読書とは「自分自身を深く見つめ、変容させる営み」であるということ。
つまり、読書とは、「今ここ」からどこか“別の場所”へと、確かに連れて行ってくれる“移動手段”なのです。

その「場所」とはどこなのか――。
それは、他人の思考を経由して、自分自身を見直す静かな場所。
あるいは、現実を超えて、想像力を遊ばせる広大な内的宇宙。

齋藤さんは、そんな読書の“旅路”の豊かさを、実例とともに語っていきます。

読書、それは、著者との対話です。

著者は、とつとつとわたしたちに、その体験や体験から見えた世界を語りかけてくれます。

この対話から逃げ出すこと無く、しっかりと耳を傾け続けるとどういうことが起こるでしょうか。

それは「体験」としてしっかりと刻み込まれます。読書は「体験」なのです。実際、読書で登場人物に過剰移入しているといの脳は、体験しているときの脳と近い動きをしているという話もあります。

体験は、人格形成に影響をします。

それは、ほんの数行の言葉との出会いかもしれません。あるいは、長い物語の旅路のなかで、登場人物の選択や葛藤に自分を重ねた時間かもしれません。
いずれにせよ、その読書体験は、私たちの思考の癖や感情の幅、さらには価値観そのものにじわじわと作用していきます。

齋藤孝さんは、まさにこの「読書が人格をつくる」という点にこだわりを持っています。
彼にとって読書とは、知識を詰め込むためのものでも、暇つぶしの手段でもありません。
むしろそれは、「自分という人間の深さを育てる営み」であり、「他者の視点に触れ、自分の枠を壊していく訓練」なのです。

この本のタイトル『読書する人だけがたどり着ける場所』に込められた思いも、きっとそこにあるのでしょう。
読書を通じてしか行けない場所。言い換えれば、「読書という体験を重ねた人だけが見ることのできる世界」です。

では、その“たどり着ける場所”とは、いったいどんな場所なのでしょうか?
そして、わたしたちは、どうすればそこへ向かうことができるのでしょうか?

自分一人の体験には、限界があります。でも、読書で疑似体験を重ねることで、自分の可能性を広げていくことができるようになるはずです。

まだ知らない世界について触れる時、人は、持ち前の好奇心を刺激されて、没頭の時間を得ることができます。

深い人とは!?

ところで、「深い人」と「浅い人」では何が異なるのでしょうか。

たとえば、あるテーマについて「正解」を求めて質問するだけなら、それは表面的な問いにとどまりがちです。
それ以上話が深まることはなく、議論もすぐに終わってしまいます。

一方で、深い質問とは、相手の思考を刺激し、自分の考えも揺さぶられるような問いです。
それに対する答えは、さらに別の問いを呼び起こし、連鎖的に思考の地層を掘り進めていく力を持っています。

つまり、深い人とは、「問う力」を持った人であり、「本質に触れようとする習慣を持つ人」なのです。

では、その「深さ」はどうやって身につけることができるのでしょうか。

齋藤さんは明快に言います。

「それは一言で言えば、教養です。」

ここでいう「教養」とは、決して受験勉強で得た知識や、知識のコレクションではありません。
本や経験、思索を通じて自分の中に取り込み、咀嚼し、統合した“血肉となった知”のことです。

読書とは、まさにこの“深さ”を育む営みだと言えます。
一冊の本の中にある「本質」に触れようとする行為こそが、「浅さ」を超えて、自分自身を深めていく手がかりになるのです。

齋藤さんの言葉を借りれば、「カギとなるのは、物事の『本質』を捉えて理解すること」。

バラバラ問いた知識がたくさんあっても、それを統合的に使いこなすことでは意味がないのです。単なる「物知り」は、決して「深い人」ではない。

深い人になるには、読書ほど適したものはありません。

浅い質問とは、「これはこうですか?」「それって正しいんですか?」といった、Yes/Noで片付いてしまうもの。
対して、深い問いは、「なぜ私たちはそれを当然だと思うのか?」「この考え方にはどんな前提があるのか?」という、考えることを強制するものです。

齋藤さんはこう述べています。

「深い質問の場合は、こちらの頭も回さなければなりません。質問が刺激となって思考が深まり、その答えによって質問者の考えも深まる。」

つまり、深い問いとは、他者と自分の思考を同時に進化させる“触媒”であり、その力は読書のなかで静かに、しかし確実に鍛えられていくのです。

読書とは、著者との対話。
そしてその対話をくり返すことによって、自分の問いの深さもまた、変化していきます。

齋藤孝
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読書で人格を深めよ!?

本を読むという行為は、ただ情報を仕入れるだけではありません。
それは、異なる価値観と出会い、自分の思考の前提を揺さぶる体験でもあります。
その揺さぶりの中で、私たちは「これはどういうことだろう?」「本当にそうだろうか?」という問いを内側に育てていく。

こうして気づけば、表面的な話題にとどまらず、根本にある構造や背景、さらには“人間とは何か”といった哲学的な次元にまで、思考が届いていることに気づくでしょう。

読書とは、本質を探り、深さへと沈み込んでいく旅。
そして、その旅を続けることで、「深い人」へと少しずつ、私たちは近づいていけるのです。

コミュニケーション能力は文字で磨かれる

人は、一人では深まれません。
どれだけ思索を重ねても、他者との対話を通じてこそ、自分の考えの輪郭があぶり出され、内面が研ぎ澄まされていきます。
そして、その対話を成立させるための「言葉の力」「聞く力」「問い返す力」──それらの土台を、読書は着実に育ててくれます。

齋藤孝さんは、かねてより「声に出して読む」「語るように読む」という方法を提唱してきました。
それは、文字を音に変え、身体を通して言葉を取り込むことで、理解が深まり、コミュニケーションに厚みが出るという実践的知恵です。

読書を通して「他者の語り方」に触れることは、すなわち、対話の多様な型を学ぶことでもあります。
どう問いを立て、どう相手に働きかけるか。
どう意見の違いを受けとめ、どう共に考えていくか。

それらは、ただのテクニックではなく、「人と深く関わる力」に他なりません。

読書とは、著者の言葉を受け取りながら、自分の中で“内なる会話”を続ける行為でもあります。
そしてこの内面での静かな対話があるからこそ、他者との対話においても、表面的な応酬にとどまらず、感情や価値観を丁寧に取り扱うことができるのです。

問いかける力も、じっくり聞く力も、急がずに沈黙を受け入れる力も──
それらは、読書という訓練によって養われる「人格の技術」と言ってもいいかもしれません。

具体的な本の読み方としては、例えば、「好きな文章を3つ選んでみる」という読み方で、その本の内実をレビューできるように触れていくこともポイントかもしれません。

読書をただの情報摂取で終わらせないために、齋藤孝さんはある実践をすすめます。

それが、「その本で心に残った文章を3つ選んでみる」という読み方です。

このシンプルな行為が、実はとても奥深い。なぜなら、自分がどの文章に惹かれたかを探ることは、自分の価値観や感受性を知ることにつながるからです。
どんな言葉が、なぜ心に引っかかったのか?
それを言語化しようとする過程そのものが、「読解」ではなく「読感」、さらには「自己理解」へとつながっていくのです。

また、3つのフレーズを選び出すことで、本全体を貫くテーマや、著者の思想の「核」に自然と近づいていくことにもなります。
ただ通読しただけでは見えなかった“内実”が、その選ばれた文章たちの共鳴によって浮かび上がってくるのです。

読書を重ねるほどに、「知識が増える」という実感を持つ方は多いかもしれません。
けれど、齋藤孝さんはその“増え方”の質についても明確に言葉にしています。

「1が2になり、2が4になり、8、16、32、64、128……。最初のうちはたいした違いがないように見えますが、積み重ねるほど大変な差になります。」

これはまさに、指数関数的な“スノーボール効果”。
知識は線的に蓄積されるのではなく、自分の中に既にある「スキーマ(知識の構造)」に結びつくことで、どんどん広がり、深まり、やがて爆発的に加速していくのです。

最初は「なんとなくわかる」でしかなかった概念が、別の文脈や本と出会うことで繋がり、「ああ、これはこういうことだったのか」と腑に落ちていく──
この“知の雪だるま”が転がり出す瞬間は、読書を続ける人だけに訪れる醍醐味です。

読書とは、単なる情報の収集ではなく、「自分の中にスキーマ(理解の枠組み)を育てる行為」です。
そして、このスキーマが増えれば増えるほど、新しい本との出会いもまた、より多くの意味を私たちに与えてくれます。

つまり、「深く読む」力とは、先天的な能力ではなく、「読み続けることで獲得される後天的な知性」なのです。
読書の量と質を重ねることが、思考の回路を複雑にし、知のネットワークを豊かにしていきます。

最初は微差でも、続けた人だけがたどり着ける世界──
齋藤さんの言葉に込められたこのメッセージは、まさに本書のタイトルそのもの、「読書する人だけがたどり着ける場所」への道筋を示しているように思います。

読書とは、文字を通じた思索の旅です。

ただの知識収集ではありません。
そこにあるのは、著者との対話であり、登場人物との共鳴であり、時には自分自身への問い返しです。
私たちは本を読むことで、自分では到底経験できないような世界を疑似体験し、他者の視点を内側に取り込み、思考と感情の幅を広げていきます。

それはまるで、外からの刺激を受けながら内なる人格を少しずつ耕していくような行為です。
知識は細胞分裂のように増え、スキーマは雪だるま式に膨らんでいく。
気づけば、思考の“深さ”や“質”が変わっていることに、ふとした会話の中で気づくかもしれません。

齋藤孝さんの言う「読書する人だけがたどり着ける場所」とは、そんな人格的成熟のプロセスを経て、自分だけの視点と声を持てるようになる場所
それは他人の言葉では代弁できない、自分自身でしか立てない問いを持つ人にだけ見えてくる景色です。

今、情報が溢れ、考えることが外注されてしまいがちな時代だからこそ──
読書という静かな行為が、私たちの知性と人間性を取り戻すための確かな技法になるのではないでしょうか。

まとめ

  • 読書は対話!?――人の経験を元に、自分のものとしてそれを引き寄せる行為です。
  • 深い人とは!?――思考と知識をつなげ、本質理解ができる人です。
  • 読書で人格を深めよ!?――読書こそが、人格を深める一石二鳥・三鳥のメリットのある活動なのです。
齋藤孝
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