この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】子育ての本質は、何かを与えることではなく、子どもが本来持っている力を信じて邪魔をしないことです。ふたりのカリスマ教育者が到達した結論は、親の役割を「引き算」で再定義します。
1.自発性の解放:子どもは本来、自分で考え行動する力を持っている。大人の「正しさ」が、その力を覆い隠してしまう
2.見守る勇気:「できる・できない」ではなく、子どもの目の輝きを見逃さないことが、真の支援になる
3.共に楽しむ姿勢:子どもを変えようとせず、子どもの成長を一緒におもしろがる。その「にこにこ」が子どもにとっての太陽になる
- 子育てで悩む時、こう考えていませんか? 「もっと何かしてあげなければ」「将来のために今、正しい方向へ導かなければ」と。
- 実は、その「してあげよう」という気持ちこそが、子どもの本来持っている力を覆い隠してしまっているんです。
- なぜなら、子どもはすでに自分で考え、自分で学ぶ力を十分に備えているからなんです。大人がすべきことは、何かを与えることではなく、その力が自然に発揮される環境を邪魔しないこと。
- 本書は、中学受験塾SAPIX横浜校の初代教室長から宮本算数教室を立ち上げた宮本哲也さんと、栄光学園で「教えない授業」を実践し私塾「いもいも」を主宰する井本陽久さん、そして教育ジャーナリストのおおたとしまささんの共著です。二人のカリスマ教育者が完全に一致した教育観を、対話形式で展開しています。
- 本書を通じて、親ができることは「見守る」「おもしろがる」「にこにこする」、たったそれだけで十分だということがわかるんです。
宮本哲也さんは、1993年に宮本算数教室を立ち上げました。無試験先着順の入塾にもかかわらず、最難関中学に次々と合格者を輩出することで知られています。カリキュラムも教室所在地も非公開という謎に包まれた教室として、MBS系「情熱大陸」でも取り上げられ大反響を呼びました。
井本陽久さんは、「イモニイ」の愛称で親しまれる元栄光学園数学教師です。東大に何十人も送り込む超進学校にいながら、大学受験度外視のユニーク な授業を展開し、国際数学オリンピック上位入賞者などを輩出してきました。全国から授業見学の依頼が絶えず、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも密着取材されています。2016年からは私塾「いもいも」を主宰しています。
ふたりの教育観は完全に一致しているんです。井本さんが「こういう問題を夢中で解いてくれる子どもたちに入学してほしい」という想いを込めてつくった癖のある入試問題を、パターン学習ではなく純粋に楽しいと感じながら夢中になって解ける子どもたちを、宮本さんが育てている。だから二人には共通の教え子がたくさんいます。
おおたとしまささんは、教育ジャーナリストとして、このふたりの対話を引き出し、一貫した教育哲学を読者に届けています。
「教えない」ことで子どもの本来の力が現れる
宮本さんと井本さんの教育は、「教えない授業」と称されることがあります。でもふたりとも、「教えない」をモットーにしているわけではないんです。ただ必要最低限のことだけをしていたら、自然にそうなったということなんですね。
宮本さんはこう言っています。
「教えない=邪魔しない」。子どもたちが自分の意思で自分の頭の中を整えてるんです。邪魔しちゃいけません。私も井本さんと同様に、そこにたどりつきました。
「教えない」という言葉は誤解を招きやすいんです。何もしないということではなく、子どもが自分で考えるプロセスを「邪魔しない」ということなんですね。
ふたりの教室で成果を上げている子どもたちに共通するのは、「親に汚されていない」ということだと宮本さんは指摘します。この「汚される」という表現は強烈ですが、的確なんです。
井本さんはこう説明しています。
自発的に勉強するにはどうしたらいいですかみたいな質問を受けるんですけど、自発性のない子なんかいないんですよね。子どもなんて本来、何も言わなくたって勝手にやり出しちゃうみたいな存在です。
子どもは本来、自発性に満ちた存在なんです。でも家庭や学校という場で、子どもは親や大人に沿おうとします。それが転じて、「自分のままでいちゃいけない」みたいに自分を縛ってしまう。家畜じゃないけれど、自分から飼い慣らされる方向に行ってしまうんですね。
じゃあ、どうすればいいのか?
だけど、その子が夢中でやってることとか、あるいはその子どもがどっかで無防備になってポロッと自分を出した瞬間を見逃さないで、そこをパッてちゃんと拾ってあげて、反応を返してあげるっていうことをくり返してれば、子どもってあっという間にもとの自分の姿になれます。
子どもが「自分」を出した瞬間を見逃さず、そこに反応を返す。それだけで、子どもは本来の自発性を取り戻すんです。
大人は「ダメ」の基準に縛られています。でも井本さんは、その「ダメ」は本当にダメなのか?と問いかけます。大人が自分を縛っている「ダメ」や「いい」の基準を疑ってほしいと。
赤ん坊は誰も教えていないのに、ハイハイして歩けるようになります。教えないと学び方がわからないなんてことはないんです。子どもには本来、学ぶ力が備わっている。大人がすべきことは、その力を信じて邪魔をしないことなんですね。
見守ることが最大の支援になる
親はつい、「できる・できない」で子どもを見てしまいます。でも宮本さんと井本さんは、それはどうでもいいと断言するんです。
できる・できないなんて本当どうでもよくて、やってみたいという衝動をもてるかどうかです。子どもって、むしろ難しそうなものほどやろうと思うから、できる・できないとかにとらわれてません よ。
「できる・できない」という基準は、大人の都合なんです。子どもにとって大切なのは、「やってみたい」という衝動を持てるかどうか。難しそうなものほど挑戦したくなる、それが子どもの本来の姿なんですね。
実際、宮本さんの教室には無気力だった子が通い続け、最後につながったケースがあります。宮本さんはずっと不思議だったと言います。なぜこの子はやめなかったのかなと。
子どもって、自分を伸ばしてくれる大人を見抜く本能をもっているということなんです。この教室にいれば自分が良くなるはずだと。何もしてないんですけど、うちの教室は好きでほとんど休まなかった。そこにいるだけで、目と耳から情報が入るから、それが最後につながったのかなって。
子どもには、自分を伸ばしてくれる環境を見抜く本能があるんです。大人が「何かしてあげよう」と思わなくても、子どもはその場にいるだけで必要なものを吸収していく。
親が子育てで苦しむのは、「なんとかその子どもを変えなきゃいけない、親の責任として変えなきゃいけない」と思うからだと井本さんは指摘します。でも、どの先輩お母さんやお父さんに聞いても、子どもを思い通りに変えられた人なんて誰もいない。つまり、それはそもそもできない、変えられないということなんです。
でも同時に、子育てをしてると、ぜんぜんうまくいかないと思いながらも確実に自分も変わってくるじゃないですか。だから、子育てって、子どもをどう変えたかじゃなくて、自分がどう変わったかっていうふうな軸で見ればいいんじゃないかなって。そう考えると肩の力も抜けるし、むしろ自分を褒められるんじゃないかなって思うんですよね。
子どもを変えようとするのではなく、子どもを通して自分が変わっていく。その視点に立てば、子育ての苦しみは消えるんです。
共働きで限られた時間しか子どもと過ごせない親は、「何かしてあげなきゃ」と焦ります。でも本書は明確に答えています。
親が手をかけたぶんだけよくなるなんてことはまったくない。何かしてあげようなんて思わなくていい。限られた親子の時間を気持ちよくすごすのが最善。
手をかけることが重要なのではなく、限られた時間を気持ちよく過ごすこと。それが子どもにとって最大の支援になるんですね。
子どもの意見をどのくらい尊重すべきかという問いに対しても、本書の答えはシンプルです。子どもの言いなりになる必要はない。気持ちに寄り添ってあげさえすればいい。アドバイスはしてもいいけれど、受け入れるかどうかは本人次第だと。
見守るというのは、放置することではないんです。気持ちに寄り添いながら、子ども自身の選択を尊重する。その姿勢が、子どもの自立を支えるんです。
子どもと一緒に楽しむという姿勢
ふたりの教育観の核心は、シンプルな一文に集約されます。
子どものありのままをおもしろがる。それだけできれば、子どもは自分の頭で勝手に考え始めるとふたりは断言します。
「ありのままをおもしろがる」。
これが子育ての本質なんです。
本書は「見る」ことの重要性を強調します。ただし、単純に視界に入れておけばいいという話ではないんです。
あらゆる思い込みや価値観を脇に置いて、いま、目の前の、ありのままの子どもを、あるがままに眺めるということです。子どもが世界とどのように向き合って、世界のどこの部分にどのように心を動かして、どのように変化しているかを、流れのなかでとらえるということです。
思い込みや価値観を脇に置いて、ありのままの子どもを見る。これは簡単そうで、実は難しいんです。親はつい、「こうあってほしい」という期待のフィルターを通して子どもを見てしまうから。
本書は具体的な場面を示します。小さな子どもが公園で小さな虫を見つけたとします。すると子どもの目が一瞬輝く。「なにこれ!?」「わーすごい……」「おもしろい!」。目が宝石のように輝くだけでなく、体は子鹿のように躍動し、それでいて心は僧侶のように落ち着いている。
その瞬間を見逃さないでほしいのです。次の瞬間、子どもは親のほうを必ず見ます。そんなときにスマホの画面をのぞき込んで、どうでもいいSNSに「いいね」なんてしている場合じゃありません。子どもにリアル「いいね」のアイコンタクトを返してあげてほしいのです。それだけで、子どもは励まされます。
子どもが自分を出した瞬間、親のほうを見る。そのときに、親がちゃんと見ていて、「いいね」のアイコンタクトを返す。それだけで十分なんです。
子どもの目の輝きは、進むべき道を照らす金属探知機のようなものだと本書は言います。
子どもが自分の進むべき正しい方向を向いているとき、自然に目がきらりと光ります。金属探知機みたいなものです。部活のこと、友達のこと、読んだ本のこと、将来のこと……。子どもがきらきらと目を輝かせながら何かを語っているとき、その方向にその子の進むべき道があります。そっと、ほとんど気づかれないくらいにそっと、背中を押してあげましょう。
親がすべきことは、子どもの目の輝きを見逃さず、そっと背中を押すこと。進むべき道を決めるのは親ではなく、子ども自身なんですね。
そして、子どもをありのまま見ている親は、「目に入れても痛くない」どころか、にこにこしているんです。
彼らもまた、目を輝かせ、体を躍動させ、心が落ち着いています。深く、深く、自分の核のような部分でしあわせを感じています。いままさに自分が生きていると感じられる手応えといってもいいかもしれません。
子どもの成長をおもしろがり、一緒に楽しむ。
その姿勢が、親自身の幸せにもつながるんです。
本書のメッセージは明確です。
子どもたちがもともともっているたくましい力を信じて、それが勝手に伸びていくのをただおもしろがって、にこにこしながら見守ろうというのが、要するに本書のメッセージです。その「にこにこ」が、子どもたちにとっての太陽です。すべての力の源です。お日様に向かって草木がぐんぐん伸びるように、子どもの無限の可能性がぐんぐん伸びていきます。
親の「にこにこ」が、子どもにとっての太陽になる。
これ以上シンプルで、これ以上深い子育ての本質はないと思うんです。
井本さんは、将来のことは考えないようにしていると言います。
要するにどんな人生を送りたいかじゃなくて、結果的に自分が生きてきた人生を自分でちゃんと引き受けて、ちゃんとそこに意味づけをできるっていう。それができるような子どもになってればいいんじゃないかなと思ってやってます。だから、将来のことは考えないようにしてますね。
どんな人生を送るべきかを親が決めるのではなく、子ども自身が自分の人生を引き受け、意味づけできる。そういう子どもに育てばいい。その視点に立てば、親は将来を心配する必要がなくなるんです。
必要なものはすでに子どもに備わっているんです。大人があれもこれも与えようとしなくていい。子どもが自分自身でいられれば、自然に必要なものが芽を出して育つ。
親にできることは、邪魔をせず、見守り、おもしろがり、にこにこすること。
たったそれだけで、子どもは自分の力で考え、成長していくんですね。
まとめ
- 「教えない」ことで子どもの本来の力が現れる――宮本さんと井本さんが到達した「教えない=邪魔しない」という結論は、子育ての本質を示しています。子どもは本来、自発性に満ちた存在です。「親に汚されていない」子どもは、自分の頭で考え、勝手に学び始める。大人がすべきことは、子どもが自分を出した瞬間を見逃さず、反応を返すこと。それだけで、子どもは本来の姿を取り戻します。
- 見守ることが最大の支援になる――「できる・できない」という大人の基準はどうでもいいんです。子どもにとって大切なのは、「やってみたい」という衝動を持てるかどうか。子どもを変えようとするのではなく、子どもを通して自分が変わっていく。その視点に立てば、子育ての苦しみは消えます。限られた時間を気持ちよく過ごすことが、子どもにとって最大の支援になるんです。
- 子どもと一緒に楽しむという姿勢――子どものありのままをおもしろがる。思い込みや価値観を脇に置いて、ありのままの子どもを見る。子どもの目が輝く瞬間を見逃さず、「いいね」のアイコンタクトを返す。親の「にこにこ」が、子どもにとっての太陽になります。必要なものはすでに子どもに備わっている。親がにこにこしながら見守れば、子どもの無限の可能性がぐんぐん伸びていくんです。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
