日本のらしさとは!?『神経症的な美しさ:アウトサイダーがみた日本』モリス・バーマン,込山宏太

『神経症的な美しさ:アウトサイダーがみた日本』モリス・バーマン,込山宏太の書影と手描きアイキャッチ
  • なぜ日本文化は、こんなにも「曖昧」なんでしょうか?西欧の論理的思考に慣れた人からすれば、日本人の曖昧さは優柔不断に見えるかもしれません。白黒はっきりさせず、言葉を濁し、「まあまあ」で済ませてしまう――そんな日本人の態度に、苛立ちを感じる人もいるでしょう。
  • 実は、この「曖昧さ」こそが、日本文化の最も独創的な部分なんです。なぜなら、曖昧さを受け入れることで、日本人は硬直した二項対立を超え、豊かな創造性を生み出してきたからです。
  • 本書『神経症的な美しさ』でバーマンが注目するのは、この曖昧さが単なる文化的特徴ではなく、自然との関係、人間関係、美の追求――あらゆる領域に浸透した思想だということです。禅と工芸の融合、日本らしいという感受性、土居健郎が指摘した「甘え」の構造――これらはすべて、曖昧さを肯定する文化から生まれています。
  • 本書を通じて、私たちは日本文化の「曖昧さ」が、なぜ世界に類を見ない独自性を生み出したのか、そしてそれが定常世界においてどんな意味を持つのかを考えていきます。
モリス・バーマン,込山宏太
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モリス・バーマンは、アメリカの文化史家として、西欧文明の病理を鋭く分析してきた人物です。

彼の視点の特徴は、単なる批判ではなく、オルタナティブな可能性を具体的に提示することにあります。

前回のレビューでは、バーマンが日本に「ポスト資本主義モデル」としての可能性を見出していることを紹介しました。

では、なぜ彼は日本文化の本質を理解できたのでしょうか。

それは、彼がアウトサイダーとして、日本人自身が当たり前すぎて気づかない文化的特質を客観的に観察できたからです。

バーマンは本書で、禅、工芸、「甘え」――これらの日本的概念を、西欧的な二項対立思考とは異なる思想体系として位置づけています。

彼が注目するのは、日本文化が持つ「曖昧さ」の創造性です。

白黒はっきりさせない、完全な答えを求めない、矛盾を受け入れる――こうした態度が、実は豊かな文化を生み出してきたのだと彼は言うんです。

アメリカという、常に明確な答えと効率を求める文化で育った彼だからこそ、日本の曖昧さの中に潜む叡智を発見できたのでしょう。

本書は、日本人への賞賛ではなく、むしろ問いかけです。

「あなたたちは、自分の文化の独自性をどれだけ理解しているのか?」と。

前回の投稿はこちら「日本再考!!『神経症的な美しさ:アウトサイダーがみた日本』モリス・バーマン,込山宏太」からご覧ください。

「禅と工芸」が示す日本の美学――曖昧さの中に宿る創造性

日本の美は、なぜこれほど独特なんでしょうか。

西欧の美術が完璧な形や明確な構図を追求するのに対し、日本の美は不完全さ、余白、儚さを大切にします。

この違いは、単なる好みの問題ではありません。

そこには、曖昧さを受け入れる思想が深く関わっているんです。

禅が示す「形なきもの」の力

バーマンは、日本文化における禅の役割に注目しています。

最も純粋な意味においては、禅はあらゆる個別的形式を超越するとバーマンは指摘します。

しかしその精神を表現するには、かたちが必要だったんです。ここに大きな逆説があります。

言葉にできないもの、形にできないものを、どうやって伝えるのか。

禅となるもう一つの概念が「心」である、と彼は述べています。

日本人のものの見方では、例えば、職人は「心」から仕事に取り組まねばならず、さもなければ、完成品はある種の活力を欠くことになるんです。これには、知るものを作り出することが醸成する主体の精神的状態が必要とされます。職人は、自分が取り組んでいるそのモノに「なる」必要があるのだと。

あるいはそれとひとつになる、あるいはそれと同様に真に知る者とは、思惟(あるいは行為)対象と距離を置いた主体ではなく、その対象と身体的に関与した主体なのであると。

これは西欧的な「作る」という行為とは根本的に違います。

西欧では、職人と作品は分離しています。

でも日本では、作る過程そのものが、作り手の精神状態を反映するんです。

鍵となるもう一つの概念が「心」である。日本人のものの見方では、職人は心から仕事に取り組まねばならず、さもなければ、完成品はある種の活力を欠くことになる。これには、知るものを作り出することが醸成する主体の精神的状態が必要とされる。

「道」という生き方の実践

封建時代のこのかた日本では、手本という考え方とともに、仕事において禅の瞑想の時のように自己を捨てることが理想とされてきたとバーマンは述べています。

そこから生じるのが、日本人がものづくりにおいて見せる細部への並外れたこだわりであるんです。

「道」とはまさに物質で表現された哲学であり、俳句、神宗の庭園、弓道、武術、木版画などを含めた、いわば日本の「文化的な顔」だったんです。

茶道、華道、書道――これらはすべて「道」という文字を含んでいます。

でも、それは単なる技術の習得ではないんです。

ジェイムズ・ハイジックが述べるように、その背景には自然観、歴史観、審美観が内包されているのです。

だがその哲学とはいったい何なのか?――そこに調和、自然さ、儚さ、非対称性、そして不完全性の充実といったものの美学とも言うべきものが含まれているのは確かだと。

そしてその奥には、何らかの精神的自由から生じるある種の直接性ないし無媒介性がひしひし感じられるように関われるんです。

これは、完璧を目指すのではなく、不完全さの中に美を見出す美学なんです。

割れた茶碗を金継ぎで修復する。

その継ぎ目を隠すのではなく、むしろ強調する。

これは、傷や欠陥を否定するのではなく、それをも含めて受け入れる思想の表れです。

「古きものモダニズム」の創造性

美術批評家のスティーヴン・アディスは日本美術の源泉はなんだったのかと問い、日本美術はその周辺で成功を修めてきたが、その根幹には空虚があると述べています。

陶芸家のM・C・リチャーズはこうした自由を「生に対する人間の関わり」が把握されていないあり方と呼ぶかもしれないんです。

つまりこの世の中にある考え方だと。すなわち、生を閉塞させる諸観念の渓谷を切り裂くことができるような考え方であると。

この「空虚」は、欠如ではありません。むしろ、可能性の源泉なんです。禅と工芸は、現代日本の生活においても、本質的な役割を担っているのであるとバーマンは指摘します。

だがそれはどんな役割なのか?――一つの答えとなり得るのが、民藝運動に見られ、また現在数多くの日本人が書き残している以下のような事柄である、と。

日常生活における美と官能性の存在。美意識の高さと距離。汎泛感と、凡庸さと。

現世における諸々のささやかな連続性。さらに伝統工芸の現代的デザインへのつくり変え――これを「古きものモダニズム」と名づけようと。

「禅の変節」という現実

バーマンは理想化するだけではありません。

彼は現実も直視しています。

要するに、「禅の変節」という現象が日本の日常生活に大きな影響を及ぼしたということだと述べているんです。

禅の本来の精神が、形式化し、商業化されていく――この現実も、バーマンは見逃していません。

でも、それでもなお、禅と工芸が示した「曖昧さの中に美を見出す」という思想は、日本文化の根底に流れ続けているんです。

完璧を求めず、不完全さを受け入れる。
形式にとらわれず、心を込める。
明確な答えを出さず、余白を残す。

こうした態度は、効率と明確さを重視する現代社会において、むしろ貴重な価値を持っているのではないでしょうか。

禅と工芸が融合した日本の美学は、西欧的な二項対立思考――完璧か不完全か、成功か失敗か、正しいか間違いか――を超える道を示しているんです。

曖昧さを恐れず、むしろそこに創造性を見出す。

この思想こそが、次のセクションで見ていく日本的感性の基盤となっているんです。

「甘え」――関係性の文化が生む独自の人間観

日本人にとって、人間とは何なんでしょうか。
西欧では、人間は独立した個人として捉えられます。

でも日本では、人は常に関係性の中に存在しているんです。
この違いが、日本文化の独自性を生み出してきました。

土居健郎が発見した「甘え」の構造

日本研究家のジョン・ネイスンの述べる通り、歴史的に見て、日本人の自己感覚はムラ社会のなかで発達してきたとバーマンは指摘します。

日本の共同体は近縁に始まり、イエ(家)の拡張まで進化し、それから「世界」へと延びていったんです。これはきわめて安定した自己の感覚であると、ネイスンは指摘しています。

土居健郎が明らかにしたのは、日本社会の集団的基盤の耐久力、つまりいかに甘えと序列とが、時代が変わりゆく今日でも私たちの行動を支配しているかということです。

日本人の母親にとって、身体接触は不可欠なものだったが、言葉でのやり取りは遥かに軽視されるんです。

また、幼児とともにいることに長い時間を割くために独立しないでおり、家族以外の社会的関係を広げる大人とは異なるとバーマンは述べています。

日本の子どもは10歳頃まで両親と一緒に寝るが、アメリカでは生まれてまもなくひとりで寝るのが普通だったんです。

米国モデルでは、幼児は成熟すると独立した個人の身体と見なされるということです。

日本人の母親にとって、身体接触は不可欠なものだが、言葉でのやり取りは遥かに軽視される。また、幼児とともにいることに長い時間を割くために独立しないでおり、家族以外の社会的関係を広げる大人とは異なる。日本の子どもは十歳頃まで両親と一緒に寝るが、アメリカでは生まれてまもなく一人で寝るのが普通だ。

他方、日本の考え方では、幼児は相互依存関係に引き込んでやる必要があるという感情であるとバーマンは説明します。

とりわけ日本人にあっては、こうした感情は成人後の人生にまで及び、日本人の他者と親密な関係を持つことに対する態度をかたちづくってきている、と土居は記しているんです。

土居もまた1950年代に米国で仕事をした際に驚いたのは、米国人医師が「患者がどうにもならずもがいている状態に対して恐ろしく鈍感である」ことだったとバーマンは述べています。

米国人医師は患者が慰めや温もりを必要としていることを理解せず、むしろ患者を自立させようというイデオロギー的なプログラムを機械のごとくひたすらに推し進めるんです。

ここに土居はアメリカと日本の大きな違いを見出したのでしょう。

「甘え」については、こちらの1冊「甘えることに改めて上手になってみる!?『「甘え」と日本人』齋藤孝,土居健郎」もぜひご覧ください!おすすめです。

ここで重要なのは、日本人にとって「自己」とは、孤立した個人ではなく、関係性のネットワークの中に位置づけられた存在だということです。

西欧では、自立することが成熟の証とされます。

親から独立し、経済的に自立し、一人で生きていける――これが大人の条件です。

でも日本では、関係性を保ちながら生きることこそが成熟なんです。

「甘え」は依存ではありません。

それは、相互依存という、より豊かな関係性の形なんです。

土居が米国で驚いたのは、アメリカ人医師が患者の「甘えたい」という感情を理解できなかったことでした。

自律を絶対視する文化では、「甘え」は弱さに見えるんです。

でも日本では、「甘え」を許容することで、人と人との深いつながりが生まれるんです。

曖昧さが支える関係性

ここで、前のセクションで見た「曖昧さ」が再び重要になってきます。

「甘え」は、明確な定義ができない概念です。

言葉で説明しようとすると、その本質が逃げていってしまうんです。

でも、だからこそ、これらの概念は豊かな意味を持つんです。

はっきりと線引きしない。
完全に依存するわけでもなく、完全に独立するわけでもない。
永遠を求めず、儚さを受け入れる。

こうした曖昧さの中にこそ、日本的な関係性の柔軟性があるんです。

文化の面では、甘えは禅の実践と理論の中心をなしているとバーマンは述べています。

というのも、自律と自足は、主体が客体とが不可分であることの言明だからだと。

現代における課題

もちろん、この関係性の文化には影の部分もあります。

過度な同調圧力、個人の抑圧、閉鎖的なコミュニティ――これらも、同じ土壌から生まれているんです。

でも、バーマンが注目するのは、この関係性の文化が持つ可能性です。

個人主義が行き詰まり、孤独が社会問題となっている現代において、「甘え」が示す関係性の在り方は、新しい(あるいは古くて新しい)人間観を提供してくれるかもしれないんです。

曖昧さを恐れず、相互依存を受け入れ、儚さに美を見出す――この感性こそが、次のセクションで見る「自然との一体化」という日本的思想の基盤となっているんです。

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自然との一体化という思想――なぜ日本人は自然を征服しないのか

日本人は、なぜ自然を征服しようとしないんでしょうか。

西欧の近代文明は、自然を支配し、コントロールすることで発展してきました。

科学技術は、自然の法則を解明し、人間の思い通りに操るための道具だったんです。

でも日本では、自然との関係が根本的に違うんです。

西欧との決定的な違い

西欧文明の基盤には、人間と自然の二項対立があります。

神が人間に与えた使命は、自然を支配することだと聖書に書かれているんです。

デカルト以降の近代科学は、この思想をさらに推し進めました。

自然は機械であり、人間はその設計図を読み解き、操作する存在――これが西欧の自然観です。

でも日本では、人間も自然の一部なんです。

かくして日本の会社、組織、大企業は「家」と見なされ、この自分より大きな機構に対する忠誠や従者の結びつきはきわめて感情的なものとなる。

これは、会社が単なる経済組織ではなく、関係性のネットワークだということを示しているんです。

自然との関係も、同じ構造を持っているんです。

自然は征服すべき対象ではなく、共に生きる存在なんです。

「調和」という理想と現実の矛盾

ただし、バーマンは日本を理想化しているわけではありません。

彼は、日本の環境破壊の歴史も直視しています。

太平洋戦争や福島原発事故は、「無責任の体系」が生んだ悲劇だと丸山真男は指摘したんです。

自然との調和を説きながら、なぜ日本は環境を破壊してきたのか。

この矛盾をどう理解すればいいんでしょうか。

バーマンの答えは、こうです。

日本には、伝統的な自然観と、西欧から輸入した近代化の論理が並存しているんだと。

「二重のプロセス」は、ここでも働いているんです。

経済成長を追求する表の顔と、自然との調和を大切にする裏の顔――この二重性が、日本の複雑さを生んでいるんです。

組織における「家」的構造の意味

日本の会社や組織が「家」と見なされることの意味を、もう少し深く考えてみましょう。

これは単なる比喩ではないんです。

会社員は「会社の一員」であり、上司は「親」のような存在であり、同僚は「兄弟」のような関係なんです。

終身雇用、年功序列――これらは、会社を「家」として捉える文化から生まれた制度です。

西欧的な視点からすれば、これは非効率的に見えるかもしれません。

でも、この「家」的構造が、長期的な信頼関係と、組織への帰属意識を生んできたんです。

そして、この構造は自然との関係にも適用されるんです。

自然は「外部」ではなく、私たちが属する「家」の一部なんです。

山や川、森や海――これらは単なる資源ではなく、私たちの「家族」のような存在なんです。

定常世界における日本的自然観の可能性

西欧的な「人間 vs 自然」の構図は、資源を搾取し、環境を破壊する論理を正当化してきました。

自然を征服することが進歩だと信じられてきたんです。

でも、その結果が気候変動であり、生態系の崩壊なんです。

定常世界においては、この西欧的な自然観は機能しません。

むしろ、日本的な「人間と自然の一体化」という思想が、新しい可能性を示すのではないでしょうか。

自然を征服するのではなく、自然と共生する。
資源を搾取するのではなく、持続可能な形で利用する。
環境を破壊するのではなく、次世代に引き継ぐ。

こうした態度は、日本の伝統的な自然観に深く根ざしているんです。

「曖昧さ」が支える柔軟性

ここでも、曖昧さが重要な役割を果たしています。

人間と自然の境界が曖昧だからこそ、柔軟な関係が可能になるんです。

西欧のように「人間か自然か」という二項対立ではなく、「人間も自然の一部」という包括的な視点を持てるんです。

これは、禅と工芸で見た「主客の一体化」、「甘え」で見た「自他の境界の曖昧さ」と同じ構造なんです。

日本文化の根底には、境界を曖昧にすることで、より豊かな関係性を生み出す知恵があるんです。

私たちが学ぶべきこと

バーマンが日本に見出した可能性は、完璧な答えではありません。

日本にも矛盾があり、問題があり、課題があるんです。

でも、それでもなお、日本的な自然観は、定常世界における重要なヒントを提供してくれるんです。

自然を征服しようとするのではなく、自然に「甘える」。
明確な境界を引くのではなく、曖昧さの中で関係性を育む。
永遠の成長を求めるのではなく、循環する時間の中で生きる。

こうした態度は、西欧近代が見失ってきたものなんです。

そして、これこそが、禅と工芸、「甘え」、そして自然との一体化――これらすべてを貫く日本文化の本質なんです。

曖昧さを恐れず、むしろそこに豊かさを見出す。

この思想が、定常世界における日本の独自の役割を示しているのかもしれません。

アウトサイダーであるバーマンの視点は、私たち日本人に問いかけています。

「あなたたちは、自分の文化が持つ可能性に気づいているのか?」
「経済成長という西欧的価値観に追随するのではなく、自らの伝統に立ち返ることができるのか?」

その答えは、私たち一人ひとりの選択にかかっているんです。

まとめ

  • 「禅と工芸」が示す日本の美学――曖昧さの中に宿る創造性――日本の美学は、完璧さではなく不完全さの中に美を見出します。禅と工芸の融合が示すのは、職人が作品と一体化し、「心」を込めることで生まれる創造性です。明確な答えを求めず、余白を残す――この曖昧さこそが、日本文化の独創性の源泉なのです。
  • 「甘え」――関係性の文化が生む独自の人間観――土居健郎が発見した「甘え」は、依存ではなく相互依存という豊かな関係性です。日本人の自己は、孤立した個人ではなく関係性の中に存在します。
  • 自然との一体化という思想――なぜ日本人は自然を征服しないのか――西欧が自然を征服の対象と見るのに対し、日本では人間も自然の一部です。組織を「家」と見なす構造は、自然との関係にも適用されます。人間と自然の境界が曖昧だからこそ、共生という柔軟な関係が可能になるのです。
モリス・バーマン,込山宏太
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