- 豊かな発想を続けるためには、どのような視点を大切にする必要があるでしょうか。
- 実は、直感、論理、哲学かも。
- なぜなら、これらの融合がよりよい思考と決断を生み出すからです。
- 本書は、情報の捉え方、ものごとの考え方に関する1冊です。
- 本書を通じて、まさに日常的な「経営」のための視点を得ることができます。
3つの思考とは?
3つの思考が重要であると伊丹敬之さんは、説きます。
直感、論理、哲学です。
直感が鈍ければいい発想は生まれず、論理力が低ければ発想の善し悪しの検証はうまくいかず、哲学があいまいなら検証でうじうじするだけで最後は跳躍できない。
日常的に人は思考しています。その思考の末、小さな決断を繰り返しているのです。どんなことでも決断の連続であると言っても過言ではないでしょう。
絶えず変化する環境や状況に即して、私たちの思考も流れていきます。
ミーシーを重視することを目的として、あるいは、強制的に思考を促すために、定型的に思考したい!という思いをもって、フレームワークや枠組みを使用することもあるでしょう。
しかし、これには一長一短があります。
枠組みに現実を当てはめることで、安心感をえてしまい、さらに奥深い真因やメカニズムにいたるところまで思考が及ばない可能性があります。
また、枠組みへの情報入力のほうが目的になってしまうことで、目的と手段が逆転してしまう可能性も考えられます。
さらには、枠組みは一般的な項目なので、多くのケースで同じような情報が入力されてしまい、特段発見がない、などのケースも想定されます。
フレームワークなどはとても便利なものなのですが、それをいかに人の視点で使っていくか、論点をどこに見出すかということにバリューの根源があることを常に意識しておくことが大切でしょう。
本書は、そうした論点をいかに見出し、そして決断していくかについて、直感・論理・哲学のそれぞれの役割を明快に説きます。
決断がキー?
直感と論理はなんとなく大切なのがわかる気がするけど、哲学?と思った方も少なくないのではないでしょうか。
すでに目に見えていることや確立されているものごと(例えば、既存市場に対して新しい機能をもった新製品を投入することを考えてみることなど)については、直感と論理を上手にバランシングすることで、コンセプトを見出すことができます。
しかし、まだ目に見えていない可能性にトライアルする際(例えば、既存製品をまったく用途転用して新市場を確立することなど)には、決断が必要になります。
そこで、機能するのが哲学です。
この点についてて、本書では「決断」と「判断」の違いを引き合いに説明をしてくれています。
決断と判断の違いの認識、つまり判断のあとに跳躍が加わってはじめてまっとうな決断になるという認識は大切である。
つまり、決断とは判断を一応は下しながらも、迷ったあげくに、あえて跳躍することなのです。
跳躍を意識すればするほど、決断の知的最適さに慎重にならざるをえません。直感と論理の行ったり来たりを大切に、時間をかけていくことを求めていきます。
でも、そのスパイラルをいくらつなげていっても、決断をすることは困難なのです。
哲学的な思想がなければ、人、あるいは組織の背中はいつまでたっても押されないということです。
1.哲学とは挑戦の精神である。
2.哲学は、公の心である。
3.跳躍をしたあとの決断の実行プロセスにおける行動の哲学である。
哲学はこの3つをもって決断を支援し、実行を支援し続けていきます。
なぜを問う?
哲学は、「なぜ?」に応える行為であると言ってもよいでしょう。
なぜ、その事業を行うのか?
なぜ、その直感を重視するのか?
なぜ、その論理を信じるのか?
なぜ、決断のあとにも行動を続けることができるのか?
などなど。
これらに対して、一応の答えを持つためには、哲学が必要になります。
人は、もともと臆病な生き物です。基本的には、同じことが大好きだし、変化のないことが理想だと思っています。バイアスを育てて、なんとか、変化し続ける世界を同じように捉えながら、自分の精神の健やかさを保とうとします。
でも、そうした本能に逆らうことも時には大切です。なぜなら、そこから一歩踏み出し続けることが、経営には必要な局面が多々あるからです。
そして、大切なのは、踏みだしてからも絶えず状況を確認して、“一応の答え”自体をアップデートし続けていけるかどうか?ということにほかなりません。
無力を知りながらも、それを乗り越えるための力を持ちたい、それが哲学の必要性をわたしたちに突きつけます。
「その無力から踏みだしてゆく行為」が、この本で私がいう、跳躍である。
跳躍するときには、論理的検証も完全にはできていない(完全な検証などありえない)ことを承知の上で、あえて大きな動きを取り始めるときです。データによるエビデンスも、万人が納得するものなどは、まだなく、そして、論理の筋としても、「これはありうる筋だ」とは説明できても、絶対的唯一の道か、と問われると答えられない、そうした状況において、そんな状況でも跳躍をしていく必要があるのです。
哲学を考えるということは、人間の、社会の、あるいは技術の本質を考えるということでもある。哲学とは、ものごとの、世間の本質を考え抜くことによって生まれる、基本的考え方である。
天の道、地の理にかなっているのか、という意識を持たなくては踏み出すことができない。そして、それが「哲学的に問う」ということにほかならないのです。
論理なき直感は、外れやすい
論理なき哲学は、空振りする
直感なき論理は、貧しい
哲学なき論理は、悲しい
私たちが、考えるという言葉を経営において使うとき、直感、論理、哲学、これらの要素をバランスよく発動させて、よりよい跳躍を目指していけるか?という課題に直面し続けているということでしょう。
哲学的な思考については、こちらの1冊「【「問い」は、背景・前提しだい!?】「課題発見」の究極ツール 哲学シンキング|吉田幸司」やこちら「【哲学は自分を開くこと?】哲学はこう使う 問題解決に効く哲学思考「超」入門|堀越耀介」も大変おすすめです。ぜひご覧下さい。
まとめ
- 3つの思考とは?――直感・論理・哲学のそれぞれが経営に必要な思考を提供してくれます。
- 決断がキー?――考えるにも限界があるためです。
- なぜを問う?――哲学は「なぜ?」を問い、跳躍の準備を促します。