人生は、自分で立ち上げていくもの・・・!?『フツーに方丈記』大原扁理

『フツーに方丈記』大原扁理の書影と手描きアイキャッチ
  • 将来の安心のために、今日も我慢して働く。もっといい家、もっといい車、もっと多くの貯金――「他人より多く」持つことが、安心につながると信じて。でも、本当にそうなんでしょうか?
  • 実は、 平安時代の鴨長明も、19世紀のソローも、そして現代の私たちも、まったく同じ問いに直面しているんです。時代が変わっても、人が悩む本質は変わらない。
  • なぜなら、 「社会が与える価値観」と「自分が本当に大切にしたいこと」のギャップは、いつの時代にも存在するからです。そして、その答えは外にはなく、自分自身で見つけるしかないんです。
  • 本書は、 鴨長明の『方丈記』を、現代の隠居生活実践者である大原扁理さんが読み解いた一冊です。800年前の古典が、驚くほど現代的な問いかけを投げかけてきます。
  • 本書を通じて、 「他人より多く」という呪縛から解放され、自分の解釈で世界を描き直し、今この瞬間を生きる――そんな生き方のヒントが見えてくるんです。
大原扁理
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大原扁理さんは、1985年愛知県生まれ。高校卒業後、3年間の引きこもりと海外一人旅を経て上京しました。

東京で「週休5日」という独自の隠居生活を実践し、年収90万円で暮らすライフスタイルを確立。その経験をまとめた『20代で隠居 週休5日の快適生活』や『年収90万円で東京ハッピーライフ』は、働き方や生き方を見直すきっかけを与える本として注目を集めました。

現在は台湾で生活しながら、執筆活動を続けています。

大原さんの生き方の根底にあるのは、「社会が当たり前だと押し付けてくる価値観を、本当にそうなのか?」と問い直す姿勢です。週5日フルタイムで働くことが当然とされる社会で、あえて週休5日を選ぶ。高い年収を目指すのが普通とされる中で、年収90万円で豊かに暮らす。

そんな大原さんが、800年前に書かれた鴨長明の『方丈記』に出会ったとき、時代を超えた共鳴を感じたのは自然なことだったのかもしれません。なぜなら鴨長明もまた、社会と距離を取り、自分の生き方を突き詰めた人だったからです。

「他人より多く」という呪縛――時代を超えた不安の正体

平安時代の「他人より立派な家を建てる」という価値観を、現代に置き換えると何に相当するんでしょうか?私は「他人より多く持つ」ことこそが安心につながる、という価値観だと思うんです。

家や車、土地、保険、年金――
もっと言えば、これらによって確保された「将来の安心」を、他人よりも多く持っておきたい。

そう考えると、一気に現代を生きる私たちにも思い当たる節が出てきます。人間って先々の保障によって安心したいものですよね。

でも安心の基準が「他人よりも多く」ってのがくせ者なんです。自分より多く持っている人を見ると、途端に不安になってしまう。

平安時代の「(他人より立派な)家を建てる」という価値観を、現代に置き換えると何に相当するんでしょうか。私は「(他人より多く)持つ」ことこそが安心につながる、という価値観だと思います。

鴨長明は、まさにこの価値観の中で生きた人でした。

恵まれた家に生まれ、安定を約束された人生。しかし18歳の頃に父親が逝去し、跡を継ぐはずだった長明は一族間の争いに敗れて没落していきます。

恵まれまくりの、安定を約束された人生です。しかし、長明が18歳くらいの頃、父親が逝去してしまいます。(中略)長明は、一族間の跡目争いに敗れ、次第に没落していきます。

一見、人生詰んだと思うじゃないですか。

でも長明の選択は違いました。財産も地位も名誉も手放して、自分なりに小さな家――「方丈の庵」を建て、ひっそりと暮らし始めるんです。

野草や木の実を食べ、沢から水を汲み、質素だけど必要最低限の生活。

ここで考えてみたいんです。

将来の安心を手に入れるまで我慢して働き続ける人生を、どこかおかしいと思ったことないでしょうか?将来の保障のために今この瞬間を犠牲にして、やりたいことを後回しにして。

でも、だって人生短いんですから。

長明は「将来の安心」を追いかけることをやめて、「今この瞬間」に集中する生き方を選んだんです。方丈の庵で琵琶を弾き、和歌を詠み、自然を観察する。

社会の基準からすれば「負け組」かもしれないけど、長明自身は満足していた。

大原さんの現代語訳が、鴨長明の感性を見事に伝えてくれます。

たとえば川の流れを例にした有名な冒頭部分。

何ということもないんだけど、河の流れを眺めるのが好きで、よく鴨川へ出かけます。河っていうのは、いつ見ても同じようにさらさらと流れているように見えて、よく注意して見ていると、今目の前を流れた水は、次の瞬間にはもうすっと先に行ってしまいます。

川の水は常に入れ替わっているのに、私たちは「同じ川」だと思っている。

水面に浮かぶ泡も同じです。浮かんでは消え、また浮かんで――でも私たちは「いつもの泡」だと認識している。

私たちが「安定」だと思っているものも、実は川の流れと同じなんじゃないか。

会社も、地位も、財産も
――すべては常に変化し続けているのに、私たちはそれを「固定されたもの」だと錯覚している。

「他人より多く」持つことで安心を得ようとするのは、流れる川の水を掴もうとするようなものなのかもしれません。

そして、突然ですが、人って、いつかは必ず死にますよね。

当たり前すぎて普段は意識しないこの事実が、実は私たちの不安の正体なんです。

大原さんはこう書いています。

私が想像するのは、未練です。明日死ぬとなったら、「あれもやりたかった」「これもやりたかった」という未練が多ければ多いほど、死にたくなるがグーンとUP! でも、こっちならきっとできるうちに対策のしようがあります。

つまり「いかに時期に満足して死ねるか」を今から考えて、日々実践していけばいいということです。

でも私たちは、死を考えないようにするんです。

仕事に没頭し、将来の計画を立て、保険に入り、貯金を増やす――すべては「まだ死なない」という前提の上に成り立っています。

「世間ではこう生きるべき」に合わせておく。
「いかに死を考えないようにするか」に全力を注ぐ。

でもそれって、本当に私たちを幸せにしてくれるんでしょうか?

すべての不安は突き詰めると「死」への恐怖につながっていると思っています

老後の不安も、お金の不安も、健康の不安も――すべてをたどっていくと、最終的には「死にたくない」「死ぬのが怖い」という感情に行き着くんです。

だから私たちは「他人より多く」持とうとする。より多くの財産、より安定した地位、より確実な保障――それらがあれば、死から遠ざかれると信じて。

でも、どれだけ持っていても、人は必ず死にます。

鴨長明は、この事実を正面から受け止めた人でした。

地位も財産も名誉も失って、彼が気づいたのは「どうせいつか死ぬのなら、今日をどう生きるか」ということだったんじゃないでしょうか。

社会はあるようでない――自分で世界を描き直す

鎌倉時代でも、ソローの時代でも、そして現代でも、同じようなことに人は悩んでトライして、そしてでもやっぱり自分自身で答えを見つけられるようにプロセスを作ることが何より重要なんだと思ったんです。

ソローの『森の生活』をご存知でしょうか?19世紀アメリカの思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローが、ウォールデン湖のほとりに小屋を建て、2年2ヶ月の自給自足生活を送った記録です。

ソローが森に入った理由は、「人生の本質的な事実のみに直面するため」でした。社会が当たり前だと押し付けてくる価値観――仕事、所有、成功――から距離を取り、本当に大切なものは何なのかを見極めたかったんです。

鴨長明が方丈の庵で琵琶を弾き、和歌を詠んだように、ソローは森で執筆し、思索にふけりました。時代も場所も違うのに、2人がやったことは本質的に同じだったんです。

それは「社会が与える価値観を一旦脇に置いて、自分自身で世界を解釈し直す」ということ。

そしてこれは、本書で大原さんがやっていることとも完全に重なります。

週5日働くのが当たり前とされる社会で、週休5日を選ぶ。年収を上げることが成功だとされる中で、年収90万円で豊かに暮らす。大原さんもまた、社会の「当たり前」を疑い、自分なりの解釈で世界を描き直した人なんです。

それって、社会はあるようでない、ということなのかもしれません。

私たちは「社会」という巨大で確固たるものが存在していて、そのルールに従わなければならないと思い込んでいます。でも実際には、社会というのは無数の個人の解釈の集合体でしかない。

自分の解釈で世界を描写していくということ、これを、人は生涯を通じて学んでいくのかもしれません。

生まれたときに、当たり前にある目の前をどれだけ自分らしく、疑い、再構築していけるか。

鴨長明は、恵まれた境遇から没落するという経験を通じて、この問いに直面しました。地位も財産も名誉も――社会が「これが幸せだ」と教えてくれたものをすべて失ったとき、彼は気づいたんです。それらは本当に必要なものだったのか?と。

そして方丈の庵という小さな空間で、自分にとって本当に大切なものだけを選び取る生活を始めました。

野草や木の実を食べ、沢から引いた水を飲み、質素だけど自分で選んだ生活。琵琶を弾き、和歌を詠み、自然を観察する――それは社会の基準からすれば「負け組」の生活かもしれません。でも長明自身は、その生活に満足していたんです。

大原さんも同じことを現代で実践しています。

東京で年収90万円で暮らすなんて、一般的には「貧困」とレッテルを貼られるかもしれません。でも大原さんにとっては、それが豊かな生活なんです。なぜなら、自分で選んだ生活だから。

週休5日あれば、本を読む時間も、散歩する時間も、ぼーっとする時間も十分にある。お金をたくさん稼ぐために週5日働いて疲弊するよりも、最低限のお金で最大限の自由を得る――それが大原さんの選択でした。

つまり、答えは外にはないんです。

社会が「これが正しい」と教えてくれることを信じていれば、確かに楽かもしれません。
でも、それは本当に自分の人生を生きているといえるでしょうか?

鴨長明も、ソローも、大原さんも、そして本書を手に取った私たちも――結局は自分自身で答えを見つけるしかないんです。

そのプロセスこそが、人生そのものなのかもしれません。

大原扁理
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「死」を意識することで「今」を取り戻す

突然ですが、人って、いつかは必ず死にますよね。

当たり前すぎて普段は意識しないこの事実が、実は私たちの生き方を根本から変える鍵なんです。

大原さんは本書でこう書いています。

私が想像するのは、未練です。明日死ぬとなったら、「あれもやりたかった」「これもやりたかった」という未練が多ければ多いほど、死にたくなるがグーンとUP! でも、こっちならきっとできるうちに対策のしようがあります。つまり、それは時期に満足して死ねるか、今の時間からでも考えて、日々実践していけばいい。

いつの世も、この「とりあえず時期に満足して死ねるかどうか」は至上の難題みたいなものです。

だから私たちは、死を考えないようにするんです。仕事に没頭し、将来の計画を立て、保険に入り、貯金を増やす――すべては「まだ死なない」という前提の上に成り立っています。

でも、「とりあえず世間ではこう生きるべきとされているか」に目分を合わせておくことや、「いかに時期(死)を考えないようにするか」に照準を絞って、会社を経営する先をするのに全力することは、本当に私たちを幸せにしてくれるんでしょうか?

すべての不安は突き詰めると「死」への恐怖につながっていると思っています

老後の不安も、お金の不安も、健康の不安も、人間関係の不安も――すべてをたどっていくと、最終的には「死にたくない」「死ぬのが怖い」という感情に行き着くんです。

だから私たちは「他人より多く」持とうとする。より多くの財産、より安定した地位、より確実な保障――それらがあれば、死から遠ざかれると信じて。

でも、どれだけ持っていても、人は必ず死にます。

鴨長明は、この事実を正面から受け止めた人でした。

地位も財産も名誉も失って、彼が気づいたのは「どうせいつか死ぬのなら、今日をどう生きるか」ということだったんじゃないでしょうか。

方丈の庵での生活は、まさに「今」に集中する生活でした。

今日食べる野草を摘み、今日飲む水を汲み、今日弾く琵琶の音色に耳を傾ける。将来の安心のために今を犠牲にするのではなく、今この瞬間を丁寧に生きる。

それは「死」を意識したからこそできる生き方なんです。

「いつか死ぬ」を前提にすると、不思議なことに今日が大切になってきます。

明日やろうと思っていたことを、今日やろう。いつか会おうと思っていた人に、今日会おう。そのうち始めようと思っていたことを、今日始めよう。

死を意識することは、暗く重いことではなく、むしろ今を輝かせることなんです。

大原さんの「いかに時期に満足して死ねるか」という問いは、言い換えれば「今日を後悔なく生きられているか」という問いでもあります。

将来の安心や保障のために今この瞬間にやりたいうたぼえとか、物思いに耽ってるヒマなんてないんですから――そう働き続ける人生を、どこかおかしいと思ったことないでしょうか。

だって人生短いんですから。

鎌倉時代に生きた鴨長明も、19世紀のソローも、現代の大原さんも、そして本書を読んでいる私たちも――与えられた時間は有限です。

その有限な時間を、社会が押し付ける「べき論」のために使うのか。
それとも、自分が本当に大切だと思うことのために使うのか。

答えは、誰かが教えてくれるものではありません。

自分自身で、毎日の選択の中で、少しずつ見つけていくしかないんです。

そして、その答えを見つけるプロセスこそが、人生そのものなんだと思います。

鴨長明は方丈の庵で、ソローはウォールデン湖のほとりで、大原さんは東京や台湾で――それぞれが自分なりの答えを探し続けました。

私たちもまた、自分なりの方丈を見つけ、自分なりの森に入り、自分なりの隠居を実践していけばいいんじゃないでしょうか。

完璧である必要はありません。少しずつでいい。

今日、ほんの少しだけ、社会の「当たり前」を疑ってみる。今日、ほんの少しだけ、自分が本当にやりたいことに時間を使ってみる。今日、ほんの少しだけ、死を意識して今を丁寧に生きてみる。

その小さな一歩の積み重ねが、やがて大きな変化になっていくんです。

800年前の鴨長明が、現代の私たちに語りかけているメッセージは、きっとそういうことなんだと思います。

自分を捉え直すということは豊かな実践のためには不可欠な要素かもしれません。こちらの1冊「【頭がいいは、視点で決まる!?】メタ思考~「頭のいい人」の思考法を身につける|澤円」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 「他人より多く」という呪縛――時代を超えた不安の正体――平安時代も現代も、安心の基準は「他人より多く持つこと」でした。しかし鴨長明は、地位も財産も名誉も失った後、方丈の庵で質素だが満ち足りた生活を送りました。私たちが「安定」だと信じているものは、実は流れる川の水のように常に変化し続けているものなのかもしれません。
  • 社会はあるようでない――自分で世界を描き直す――鎌倉時代の鴨長明も、19世紀のソローも、現代の大原さんも、社会が与える「当たり前」を疑い、自分なりの解釈で世界を描き直しました。答えは外にはなく、自分自身で見つけるしかありません。生まれたときから当たり前にある目の前の世界を、どれだけ自分らしく疑い、再構築していけるか――それを人は生涯を通じて学んでいくのです。
  • 「死」を意識することで「今」を取り戻す――すべての不安は突き詰めると「死」への恐怖につながっています。しかし死を意識することは暗く重いことではなく、むしろ今を輝かせることです。将来の安心のために今を犠牲にするのではなく、今この瞬間を丁寧に生きる。人生は短いからこそ、今日を後悔なく生きることが何より大切なのです。
大原扁理
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