人生とは!?『OKバジ:村人の魂に魅せられ、ネパールの山奥に住みついたひとりの日本人』垣見一雅

OKバジ:村人の魂に魅せられ、ネパールの山奥に住みついたひとりの日本人
  • 人として充実した人生に応えていくためには、どのような視点が重要でしょうか。
  • 実は、ギブを考えていくということかもしれません。
  • なぜなら、人生の本質は「分かち合うこと」「与えること」にあるためです。
  • 本書は、ネパールの山奥に暮らしながら、四半世紀にわたり、現地とともにあるあり方について、活動を創り続けてきた日本人活動家の記録です。
  • 本書を通じて、自分に素直に生きるということ、まっすぐに進むこと、つまり自分の心に応えることについて、その覚悟に触れます。
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OKバジとは!?

たったひとりで、ネパールの山奥に暮らし、四半世紀にわたって草の根の支援を続けてきた日本人がいます。
その名は、垣見一雅(かきみ・かずまさ)さん。現地では「OKバジ(おーけー・ばじ=OKおじいちゃん)」の愛称で親しまれています。

1939年、東京生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、長く高校の英語教師として教壇に立っていた垣見さんが、人生の大きな転機を迎えたのは、ヒマラヤへのトレッキング旅行がきっかけでした。昭和63年頃、旅の途中で出会ったネパールの青年との対話、そして目の前に広がる村の厳しい暮らしに、胸を突かれるような思いを抱いたのです。

「何か、自分にもできることがあるのではないか」
そうした思いから、垣見さんは教師を辞め、1993年(平成5年)、単身ネパールのパルパ郡ドリマラ村へ移住。村人たちが用意してくれた六畳一間の小さな家を拠点に、学校建設、飲料水、つり橋、診療所といったインフラ整備から、文房具の支援、病人の搬送に至るまで、地域のニーズに即座に応える“即断即決の支援”を続けてきました。

垣見さんが背負うのは、日本から託された「思い」。それをリュックに詰めて、年間200日以上、山道を歩いて村々を訪ね歩く姿は、まさに“動くパイプ役”。どの村でも、「OKバジが来た!」と歓声があがるといいます。

その活動は、やがて国境を越えて称賛されることとなり、1997年にはネパール国王より「ゴルカダッチンハウ勲四等勲章」を授与。2009年には吉川英治文化賞、2015年にはヘルシー・ソサイエティ賞を受賞しました。

2004年には、在ネパール活動10周年を祝う式典が、なんと村人たちの発案で開催され、1万人以上が山を越え谷を越えてお祝いに集まったといいます。まさに「神様のように慕われる」存在として、今もなお村人たちとともに生き、支え合う日々を送っています。

本書『OKバジ:村人の魂に魅せられ、ネパールの山奥に住みついたひとりの日本人』は、まさに垣見一雅さんの“生き方”そのものを丁寧に記録した一冊です。

淡々と、しかし深く。

垣見さんの歩みが、現地の空気感とともに描かれます。そこには「支援」という言葉の押しつけがましさはなく、ただ「ともに在る」ことの大切さがにじみ出ています。

そして驚かされるのは、その活動の量と熱意です。リュック一つで山奥を歩き、水道も電気もない村に飲料水や机を届ける。誰かが病気だと聞けば、急な坂を何時間もかけて登っていく。

「本当に必要なものは何か?」と、村人の願いに耳を傾け、即断即決で支援を続ける姿に、読者は胸を打たれます。

その根底には、やはりあの“死を意識した事故”の体験があるのでしょう。

「死を知ることで、生が濃くなる」

垣見さんの行動から、そんなメッセージが浮かび上がってきます。
事故で生死をさまよい、全身の痛みに耐えながら過ごした入院生活。それはまさに、「時間が有限である」ということを、身体の奥底から学びなおす経験だったのではないでしょうか。

だからこそ、目の前の人を放っておけない。
頼られたときに、明日やろうではなく、今やる。
一人の村人の「水が欲しい」「子どもが病気で病院に行きたい」という声に、どれほどの労力がかかろうとも応えようとする。そこには、“この一瞬”が、かけがえのない時間であることへの自覚があります。

つまり、死を知った人間ほど、いのちを真剣に扱うことができるのです。

死を恐れるな、どんなに死のうとしても、その時期がこなければ死ねるものではない。そしていくら死を逃れようとしても、お迎えの日がきていれば逃れられるものではない。

垣見さんの暮らしぶりは、その証左のように見えてなりません。彼は特別な能力や財力で動いているのではなく、日々の「小さな決断」の連続で、世界を少しずつ変えているのです。

一方通行ではないということ!?

人は、他者の善意に対して、とても素直です。
だからこそ、“支援”の名のもとに、人を動かすことも、依存させることも、やろうと思えばできてしまう。

垣見さんは、そのことを誰よりも理解していました。

だからこそ、敢えて「与えすぎない」

「できること」と「やらないこと」のあいだに、自らの人格を置く。
現地の人々が主体的に考え、動き、学んでいけるように、あくまで“陰”に徹し、“共にいる”ことを選び続けたのです。

これは単なるボランティアではありません。

そこには、自らの内面の感情と、常に向き合い続ける覚悟が要ります。
そして、自分が“善意”の名のもとに、相手の自由を奪ってしまっていないか?と、問い続ける姿勢が求められるのです。

垣見さんが23年にわたり続けてきたこの活動は、ある意味で「自分の在り方を更新し続ける旅」だったのかもしれません。

死をくぐり抜けた人だからこそ、生きる時間を本気で使おうとした。
そしてその時間を、人と“分かち合うこと”に費やしてきた。

2年たった今、心配なのはこの村にいることで、そして自分がよかれと思ってしたことが村人たちの物欲をあおったり、依頼心を助長してしまったり、彼らの考え方を根本的に変えてしまわないかということだ。

支援とは何か? 生きるとは何か?
そして、“共にある”とは、どんなことなのか?

OKバジの生き様は、こう問いかけてくるのです。

垣見さんの活動を追っていると、いつしか「支援とは何か?」という問いを超えて、「公平とは何か?」という根本的な問いにたどり着きます。

現地の人々は、とても素直です。だからこそ、支援する側の振る舞いひとつで、簡単に価値観や行動が変わってしまう。力の差がある関係性において、与えることは、相手を動かすことにつながりかねません。

しかも、その「与える側」は、無自覚なまま“善意”という名の下に、自分の価値観を押しつけてしまうことがある。

だからこそ垣見さんは、「できることをすべてやる」のではなく、「本当にすべきことだけをやる」。
“やれること”と“やらないこと”の間に、自分の覚悟と倫理をしっかりと置いてきました。

公平とは、ただ物資や機会を“等しく配る”ことではありません。

一人ひとりの背景と尊厳を見つめ、その人がその人らしく生きられるように“ともにある”こと。

それが垣見さんの考える「共生」であり、そして彼自身が生涯をかけて実践してきた“公平のかたち”なのだと思います。

そのために必要なのは、スキルでも、資金でもなく、自らを律する力。
「自分が相手を支配しようとしていないか?」
「自分の中の“よかれと思って”が、相手の可能性を奪っていないか?」

そう問い続ける人間だけが、本当の意味で誰かと“共に在る”ことができるのだと思います。

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生きるとはなにか!?

垣見さんの活動を見ていると、思わずこう考えてしまいます。

「結局、私たちはどう“共に”生きていくのか?」と。

垣見さんがネパールで体現してきたのは、「支える」「助ける」といった一方向の関係ではありません。
むしろ、「一緒にいる」「一緒に悩む」「一緒に歩く」ことを、誠実に繰り返してきた姿です。

共に生きるとは、ただ物理的に同じ場所にいることではない。
相手のリズムに耳を澄まし、相手の目線で世界を見てみること。
そして、自分の価値観が相手を覆ってしまわぬように、自分自身を問い続けること。

そのうえで生まれるのが、「共に支え合う」という心構えです。

助け合うのではない。支え合うのです。
自分が少し手を貸すことが、相手の尊厳を支える一歩になる。
相手が自ら立とうとする姿を信じ、隣でともに立つ。

村に住むようになったとき、ボランティアの活動をしにとか、支援をしにとかいう意識はあまり強くなかった。村人と一緒に生きたい、一緒にいたい。だから自分できることをさせてもらおう。今でもその気持ちは同じだ。頼りない手でも、ともかく貸すことができれば、そんな気持ちでこの4年が過ぎていった。

垣見さんが歩いてきた道は、”愛の種”を運ぶ農夫のようなものでした。
小さな手で、ひとつひとつを、目の前の誰かのために。

いまこの瞬間、私たちもまた、誰かと“共にある”ことを選ぶことができるはずです。

垣見さんはこう語っています。

自分が“人生”と思っていたことは、ことによると“生活”に過ぎなかったのかもしれません。“人生”と呼ぶに価するのは、「与える」こと「分かちあう」ことによって初めて実現されるのかもしれません。

この一文は、読後、深く胸に残ります。

私たちは日々、生きることに追われ、“生活”をこなしているにすぎないのかもしれません。
けれども、ほんの少しでも、自分の何かを誰かに差し出し、分かち合うとき。
そこに初めて、「人生」と呼べる時間が流れはじめるのではないでしょうか。

共にいる。共に支え合う。共に喜ぶ。
それは、与え合い、分かち合うことの連続でできている。

この本は、「与えること」「分かち合うこと」の美しさを、体温をもって教えてくれます。
そして、“生活”に追われがちな私たちの足を、ふと立ち止まらせてくれるのです。

まとめ

  • OKバジとは!?――ネパール語で、「OKおじさん」のことで、地元の人からそのように呼ばれる関係性を育んできた方です。
  • 一方通行ではないということ!?――互いの状況を理解しあう中にこそ、ともにあるということが、成り立つのです。
  • 生きるとはなにか!?――人とともにあること、互いの人生に参加するということ。
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