- 資本主義は、悪者でしょうか?
- 実は、ファクトベースでものごとをみていくと、そんなことないかも。
- なぜなら、資本主義は弱者を救い続けているのです。
- 本書は、「資本主義の本当」に触れる1冊です。
- 本書を通じて、ものごとの本質を見るとはどういうことかについて、意識できます。
資本主義は悪なのか?
資本主義のイメージと実態は大きく異なるものであるというのが、本書が伝えたいことだと思います。
資本主義はこの何年もの間、人類に恩恵をもたらし続けてきました。特に弱者を救済し続け、格差を是正してきています。また、資本家たちが悪者としてやり玉に上がりがちですが、実は資本主義内部にあるシステムのおかげで、資本家を暴走させないようにもできています。
それは、人々の選択の「自由」と「競争」です。
コロナや戦争のせいで、過去20年は「最高」であるかというと必ずしもそうではありませんでした。しかし、別の側面で見ると、この20年は人類史上「最高」といえる年代となりました。
極貧率は70%下がった。
毎日新たに13万8000件ずつ、極貧を抜け出したケースが積み重ねられていきました。パンデミックの中に、経済が停滞したのにもかかわらず、多くの人が非常に貧しい生活を脱しているのです。
グローバル化は弱者を救い続けています。グローバル化は新自由主義の“陰謀”だと主張する人がいるのですが、かれらは、大勢を犠牲にして少数の人々を豊かに仕様と設計しようとしているものだと決めつけようとしています。
しかし、10億人以上の人々を助けていることも事実であり、残念ながら、“陰謀”として語られる負の側面は、どこを探しても見当たらないというのが、実際のところです。
事実、経済自由度の高い国ほど、国民は長生きで、より良い仕事をして、文化的で豊かな生活をしている可能性が高いのです。
最も経済的に自由な4分の1の国と、最も自由度の少ない4分の1とを比べると、1人あたりGDPは自由諸国のほうで7バイ以上高いのがわかるし、極貧率は最も自由でない国で最大16倍にもなっている。
文化戦争は、自分主体で、誰かを否定するものです。
しかし、一方で資本主義は「プラスサム・ゲーム」を志向します。「共に生きること」、誰かが誰かを傷つけないかぎり、そのスタンスを守る、というのが資本主義の暗黙の了解となっています。このことによって、人は協力をすることができて成長のダイナミクスを社会にもたらします。
自由市場資本主義は、実際は資本の話ではない。それは経済の統制権を、トップから何十億もの独立消費者や実業家や労働者に渡し、彼らが自分の生活を改善すると思うものについて、自分なりの決断を下すのを認めるということなのだ。
市場経済というのは、戦争と搾取の話ではなく、強力と交換の話であること意識を向けてみましょう。それは自分だけではできないことを、他者と協力して実現するというコンセプトとしても読むことができます。
自由を保証するもの?
経済的自由と社会進歩の相関関係は、非常に強いです。自由な市場がある国は、経済成長も高く、賃金も高く、貧困削減も大きく、投資も多く、汚職も少なく、主観的な厚生も高く、民主的で、人権も尊重されています。
一方で、ベネズエラ、ニカラグア、ボリビアなど反資本主義のポピュリストの元首の指導は、国を20%程度貧しくすることも、判明しています。
右派か左派かを問わず、1900年から2018年にかけてのポピュリスト指導者50人(民主的に選ばれた人もいる)に関するもっと包括的なデータベースを見ると、みんな活発な経済を約束するが、それを実現する人は長期的にはほぼいないことがわかる。
スタンスとして、貧困の人たちを救いたいのであれば、経済成長を目指すべきかも知れないという発想があります。ケーキの切り分け方について考えるのではなく、ケーキ自体を大きくしてみるという発想です。
実際に、エコロジーについても同じことが言えます。限られた地球の資源を有効活用しながらも、人が文化的で豊かな生活をしていくことを目指すためには、経済成長を行って、その上で問題を抜本的に解決するテクノロジーを開発していくことが、もっともよい戦略であることに気づきます。
資本主義は、差別もしません。肌の色で区別をするロジックをその中に持たないからです。互いに協調と協力をするスタンスを崩さないほうが、より多くの実りを互いがえられるようになるためです。
事実、アメリカで人種差別がスタンダードな頃に南部の州がジム・クロウ法(交通機関や公共施設での人権分離を義務付ける州法)を導入したのは、資本家たちが、そうした黒人差別を拒否したからでした。南部の私設の公共交通機関では、肌の色で顧客を分けることをしていなかったのです。
人々の協力を引き出す?
自由市場は、中央管理よりうまく機能します。
なぜなら、自由市場は「協力を前提とするシステム」だからです。それがあらゆる中央管理よりも優れている理由です。市井の人々が互いに協力をして、知恵を出し合うことは、誰か少数の指導者の知性を当然のようにうわまるのです。
それがはるかに多くの人々の知識、才能、想像力を活用するからだ。
さらに資本主義は、個々の人々を絶えず動機付けます。
自分がもう少し賢く働ける方法を。技術を導入して、手法を確立し、自分のプロセスを高速に、安く、うまくできるようにしようと努力をし続けることができます。それも経済、成長という共通言語の元、互いが協力できるという確信があるからこそ、人は安心して、努力を続けることができます。
中央当局のだれでも、鋼鉄を少しコンテナに増やすべきか、冷蔵庫に振り分けるべきか、あるいはフェロモンを開発する科学者の給料が十分かどうか、あるいはもっと高いが大型のトラクターを開発すべきか、小型で安いトラクターにすべきかは判断できない。
私たちは、だれもそのアイデアが最も生産的なイノベーションをもたらすのかを知らないし、問題に対する最高のソリューションがどれかもわかりません。教育の方法も、治療の方法も、家族のまとめかた、リスクに対する保険のかけ方、食料生産の方法などなど、最高の方法はまだ誰も知らないし、今後も、誰も知らないことでしょう。
しかし、確実にわかっていることは、そうした最高の方法を見つけていくためには、多くの人がその探索に参加できるかどうかにかかっているのではないか、ということです。
自由市場は、互恵関係で成り立っています。稼ぎ豊かになるためには、他人に奉仕して、相手に財やサービスや、求める報酬を与えなければならないのです。
明日にはもっとよい形でそれをやる方法を考察しようとしう動機を生み出すのだ。これにより、貧困と繁栄を隔てる、頑張りと創意工夫の大量供給が可能となる。
自由市場において、「ありがとう」は提供した側にとっても、提供された側にとっても、互いが合言葉のように使います。これは互いに利益を享受できたという証なのです。
そしてこちらが得る潜在的な利益は、他の人々がその構成要素よりも価値が高いと思うような全体を創り出した人々に対する報酬となる。他の各種経済システムもまた勝者をつくり出したが、その勝者というのは他人のつくったものを奪った連中だった。自由市場でも金持ちにはなれるが、そのためには他人を豊かにしなくてはならない。
でも一部では、資本家のことを搾取している人と認識するきらいもあるでしょう。でも、これは本当でしょうか。
実は、資本家というのは、仕事の分け前を最後に取得するものです。PLを見つめてみれば、明確でしょう。仕入先、従業員、金融機関、国、そして最後の残りが資本家のわけまえです。実際にリスクを犯して新しい挑戦を行ったのにもかかわらず、手取りは残余なのです。
PLや財務諸表の見方については、こちらの1冊「【決算分析はコミュニケーション!?】決算分析の地図|村上茂久」もぜひご覧ください。
ほとんどの人が、自営になるより雇われたがるのは、支払いを手にするまで待ちたくないし、製品が売れないときに完全に支払ういを受けられないのもいやだからだ。
起業家が利益を出したというのは、その起業家が、社会全体に何かを与えたという証拠なのです。
まとめ
- 資本主義は悪なのか?――ファクトベースでは、決してそんなことなく、私たちを豊かにするものです。
- 自由を保証するもの?――資本のロジックは、多くの人に自由をもたらします。
- 人々の協力を引き出す?――互恵関係による、全体のパイを大きくすることが何より利点です。