- NFTなどの新技術が注目されたり、起業家が超高額のアート作品を購入したりする中、改めて芸術とはなんなのか?美とはなんであるのか?を考える機運が高まっています。
- 実は、日本人アーティストで世界で通用するのは片手で数えるほどだと、村上隆さんは言います。
- なぜなら、世界の芸術の「文脈」に乗っていないからだと説きます。
- 本書では、自身も多くの新しい作品を生み出し続けながら、カイカイキキの代表もつとめる、村上隆さんが、現代の芸術論をマネーという切り口も交えて語ります。
- 本書を通じて、日本の現代芸術のありようと、そもそも創作活動とはなんであるのか!?について、思考を巡らせることができるでしょう。
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日本の芸術を取り巻く状況とは!?
村上隆さんは、世界に通用する日本人アーティストはほんの一握りだといいます。なぜ、世界的な芸術家を輩出できないのか?その理由の一端を、欧米との芸術認識の差を指摘します。
なぜ、これまで、日本人アーティストは、片手で数えるほどしか世界で通用しなかったのでしょうか。
◆芸術には、世界基準の戦略が必要である
単純です。「欧米の芸術の世界のルールをふまえていなかったから」なのです。
世界の芸術に対するルールというのは、「何が芸術」であるか?によります。
これを読者として考えるためには、芸術に対する向き合い方を想像すると簡単です。
私たちは、普段美術館や芸術祭に訪れてどんなふうに鑑賞するでしょうか。
おそらく、きれいとか、美しいとか、楽しい、とかそういう「主観的」な感想をまず持つのではないでしょうか。
ところが、この「主観的」であることだけではなく、世界、とくに村上隆さんが世界芸術の中心である欧米では、「客観的」鑑賞に重きを置きます。
どういうことかというと、これまでの芸術の歴史の中で生み出されてきた「文脈」があり、その新たな1ページを書き加えられているか?が注目されるとのことなのです。
マルセル・デュシャンの著名な現代アート『泉』を見たことがある人も多いと思います。
便器にサインを施しただけの芸術作品が、なぜもこれまでに芸術性が高いと認識されるのか?
この背景には「文脈」の理解が不可欠なのです。
「文脈」とは言い換えれば「歴史」です。
だから、村上隆さんはもっと自分が追求したい分野を規定した上で、「歴史」を学ぶことこそが、創作活動につながると説きます。
真の創作活動とは?
真の創作活動から日本のアーティストを遠ざけているのは、芸術教育にもあると言います。
美術教育の成否は本来、「自分の興味のある分野を探すこと」「自分の求めている目的の設定」この二つの間の試行錯誤にかかっているはずです。ところが実際の美術教育は、「(教授が着目した)主観的な歴史を学ぶこと」「航海がはじまった時に必要な技術を学ぶこと」だけなのです。そこには表現の目的がすっぽりと抜けおちています。
◆歴史から自分だけの宝を見つける方法
自分の興味のあることが起点となり、その歴史を徹底的に探ることが、ひいては、自分だけが表現したいものごとを見出すきっかけになります。いつしか、それは世界にとって新しい「文脈」となるはずです。
村上隆さんは、ご自身の創作アプローチを5つのステップで語ってくれます。
1)自分の興味のある表現分野を探し、その分野の歴史を徹底的に学ぶ。
2)その分野に興味を持ちはじめた理由を探す。興味の源泉は肯定的なものだけではないから理由を探すとかならず行き止まりになるが、それでも原因を究明する。
3)究明し終えるとそれが本当に自分の興味ある分野かどうかあやうくなっているので、自分の興味のある表現分野がどこにあるのかを何度も検証し直す。
4)興味の検証を終えて歴史を徹底的に学ぶと、宝島に行くための地図が見えてくる。
5)地図を解析する勉強に励み、資金を整えて、いざ宝島に出かける航海をはじめる。
着目→破壊→再構築→行動。という流れをたどりながら、創作活動(航海)がいよいよ始まるとのこと。
「資金」について触れているのも特別です。
マネーと芸術について
芸術は、アートは、「マネー」との関係なくしては進めない。一瞬たりとも生きながらえない。なぜならば、芸術は人の業の最深部であり核心であるからなのです。
◆あとがき
私は、この1文に村上隆さんの考えが集約されていると思いました。
業とは、立川談志さんが落語を説明するときにもしばしば用いた言葉です。人間のどうしようもない側面。きちっとしようとしても、どうしてもそうならないような、最も人間らしいところ。みたいな意味です。
だから、芸術を「清貧」のような間違った解釈のクリーンさにとどめてしまうのではなく、もっと業を肯定しながら、創作することを村上隆さんは、目指しているのかもしれません。
過去の投稿「【幸せな投資とは!?】投資家が「お金」よりも大切にしていること|藤野英人」における「清貧」でも、「汚豊」でもない、「清豊」を目指してみよう!という投資家マインドを思い出します。

村上隆さんは創作活動の時にチームを組みます。そして、監督者になります。
指示を出す側の大きな障壁は、コミュニケーション能力や金銭の心配がメインテーマになるというアンチ・クリエイティヴな現実が待ちうけています。
◆現代の芸術作品制作は集団でやるべきだ
ここにも、いわゆる芸術とはかけ離れた、ビジネスに近い管理業務が出現していて、人間の本性から避けられない環境があるといいます。
日本の芸術界隈に対するアンチテーゼを標榜する中で、きっとたくさんの批判や指摘にさらされたと思います。それでも、村上隆さんが芸術をやめない理由を語る言葉が、胸を突きます。
「私は『美』のために働いて行きたい。
◆あとがき
そして日本、世界のどこにおいても『美』を創造し、その名の下に喜びを分かち合いたい。そのために土壌造りから始めなければならないなら喜んで泥まみれになる。
なぜなら『美』の前に立つ時だけは、みなが平等に慣れる、というファンタジーを一瞬、実現してくれるから。わかり合おうとする人の欲望の果てを、手に入れられる希望があるから。
そのために働き続けたい。死ぬときまでこの気持ちが続くよう毎日祈るような気持ちで嫌がる体を引きずって、『美』の従者たり得るよう、ひたすら生きてゆければ、そう思っています」
まとめ
- 日本の芸術を取り巻く状況とは!?――芸術の「文脈」を無視しては、世界的な評価を得ることは難しいです。
- 真の創作活動とは?――自分の求める表現分野について、徹底的に調べ、自分の興味関心があるのかないのか、一度破壊した上で、さらに向き合うその先に、創作活動がありうるのです。
- マネーと芸術について――人間の業から生まれるべき芸術であるならば、マネーと密接さがあってもよいではないでしょうか。
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