本当の修行とは何か!?『山岡鉄舟先生正伝 ――おれの師匠』小倉鉄樹,石津寬,牛山栄治

『山岡鉄舟先生正伝 ――おれの師匠』小倉鉄樹,石津寬,牛山栄治の書影と手描きアイキャッチ
  • 修行とは、何か特別な場所や時間で行うものだと思っていないだろうでしょうか。
  • 実は、それは大きな誤解なんです。
  • なぜなら、本当の修行とは日常のあらゆる瞬間に現れるものであり、坐禅や稽古といった「形式」の中だけに閉じ込められるものではないからです。
  • 本書は、幕末から明治を生きた剣士・書家・思想家である山岡鉄舟の生涯を、弟子たちの証言を通じて描いた一冊です。
  • 本書を通じて、私たちは「あり方」という禅の実践を生涯貫いた人物の姿を知ることになります。豪傑でありながら、物事や人の本質を見抜く眼を持ち続けた山岡鉄舟。その生き方は、形式に囚われがちな現代の私たちに、修行の本質を問い直すきっかけを与えてくれるんです。
小倉鉄樹,石津寬,牛山栄治
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本書は小倉鉄樹、石津寬、牛山栄治という3名の著者によって編まれています。

小倉鉄樹は山岡鉄舟の直弟子であり、師の教えを最も近くで受けた人物です。石津寬と牛山栄治も鉄舟の思想と実践を深く理解していた人物で、3人とも師の死後、その姿を後世に伝えることに情熱を注ぎました。

本書が編まれたのは明治から大正にかけての時期で、鉄舟の没後まもない頃です。弟子たちの生々しい記憶がまだ鮮明なうちに記録されたため、教科書的な偉人伝とは異なり、日常の些細なエピソードまで含まれています。

師匠の教えを、形式知ではなく暗黙知として体得した人々の証言。それが本書の最大の価値です。読者は鉄舟という人物を「理解する」のではなく、その息遣いを「感じる」ことができるんです。

では、山岡鉄舟とはどのような人物だったのでしょうか。

鉄舟(1836〜1888)は、剣士・書家として知られる一方で、臨済禅の厳しい修行を経て大悟に至った人物でもあります。

夜通しの坐禅、疲労や幻覚が出るほどの集中、師からの厳しい公案指導。

そうした苛烈な修行の末に、彼は「剣が自然に出る」「筆が勝手に走る」という無我の境地に到達しました。修行後、鉄舟自身が「剣が変わった」「筆が変わった」と語ったとされるのは、力みが消え、迷いが起こる前に動けるようになったからです。

しかし、鉄舟の禅はそこで終わりませんでした。

むしろ重要なのは、彼がその境地を坐禅堂の中に留めなかったことです。剣を取れば剣禅一如、筆を取れば書禅一如。そして日常のあらゆる行為もまた、禅の実践そのものとなりました。

鉄舟にとって禅とは、座って行うものではなく、生きること全体だったのです。

この「あり方としての禅」こそが、本書全体を貫くテーマとなっています。

形式ではなく、振る舞いそのものが修行だった

山岡鉄舟の禅は、坐禅堂の中だけで完結するものではありませんでした。

彼にとって、剣を取れば剣禅一如、筆を取れば書禅一如。そして日常のあらゆる行為もまた、禅の実践そのものだったんです。

本書には、鉄舟が弟子たちに課した厳しい稽古の様子が記されています。早朝からの剣術修行は当然として、手紙の書き方、人との接し方、食事の仕方に至るまで、すべてに師の眼が光っていました。

「師匠は「玄関払い」ということを一度もしたことがなかった。人物の如何、用件の如何にかかわらず必ず引見された。時に玄関番が自分考で断ることがあれば、後で必ず怒られた。どんな人でも追いかけさせて呼び戻したものだ」

これが示すのは、構えや姿勢の重要性です。

剣でも書でも、最初の構えが決まっていなければ、その後どんなに技を繰り出しても本質には届かない。これは禅の「正身端坐(しょうしんたんざ)」と通じる考え方です。

鉄舟は弟子たちに、形式的な修行時間だけでなく、日常の立ち居振る舞いすべてにおいて「正しい構え」を求めました。それは厳格さではなく、一瞬一瞬を誤魔化さずに生きることへの要請だったんです。

実際、本書には鉄舟の細やかな心配りのエピソードも多く登場します。

手紙を書くときの丁寧さ、人と話すときの間の取り方、ちょっとした仕草の中に現れる配慮。これらはすべて「無着の境地」――何かに執着せず、その瞬間に最もふさわしい行為を自然に選ぶ――から生まれたものでした。

修行とは特別な時間ではなく、生きること全体なんです。

鉄舟はそれを言葉で説くのではなく、自らの振る舞いで示し続けました。弟子たちが「おれの師匠」と呼ぶとき、そこには形式を超えた「あり方」への敬意が込められているんです。

豪傑の奥にある、人を見抜く眼

山岡鉄舟は「豪傑」として知られていますが、その本質は力強さだけではありませんでした。

むしろ彼の真価は、人や状況の本質を瞬時に見抜く眼力にあったんです。

本書には、鉄舟が「負け嫌いの修練者」たちに接した際のエピソードが記されています。剣の稽古で自分が負けることを極端に嫌う者たちに対し、鉄舟は力で屈服させるのではなく、その心の奥にある「恐れ」を見抜きました。

彼らが恐れているのは「負けること」ではなく、「自分が何者でもないこと」が露呈することだった。

鉄舟はその本質を理解した上で、時には厳しく、時には静かに接しました。表面的な勝ち負けを問題にするのではなく、その人の心の構造そのものに働きかけたんです。

また、弟子たちへの接し方も同様でした。

山岡は無頓着な豪放なようでも、あれで実に細心なものであった。大行は細瑾を顧みずなどというが、魂の大きいのと、心の細かいのとは自ら別物で、小さなことまで気を配れるようでなくちゃ、大きな仕事が完うせるものじゃない。

これは鉄舟が弟子に語った言葉とされるものですが、ここには「小事にこだわらず、大事を見よ」という教えが込められています。

しかし興味深いのは、鉄舟自身は「小事」をおろそかにしていなかったことです。手紙の書き方一つにも心を配り、日常の些細な行為にも気を抜かなかった。つまり彼は、小事を大切にしながらも、小事に囚われることはなかったんです。

この矛盾するように見える態度こそ、本質を見抜く眼があってこそ可能になるものでした。

目の前の人や状況が「今、何を必要としているか」を瞬時に判断し、それに応じて自分の振る舞いを変える。これは計算ではなく、無我の境地から自然に現れる反応だったんです。

豪傑としての鉄舟は、力で圧倒する人ではなく、本質を見抜くことで場を動かす人でした。その眼力は、長年の禅修行によって磨かれた「我を空じる力」の結果だったと言えるでしょう。

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「無我」が可能にした無血開城

山岡鉄舟の生涯で最も有名なのが、江戸城無血開城への関与です。

しかしこの歴史的偉業も、鉄舟の場合は「政治的手腕」や「交渉術」によるものではありませんでした。それは「無我」という禅の境地が、結果として最適な行動を生んだものだったんです。

幕末、徳川慶喜と新政府の間には深い溝がありました。新政府側は慶喜を備前藩預かりにするよう求めていましたが、これは徳川家にとって到底受け入れられない条件でした。交渉が決裂すれば、江戸は戦火に包まれる可能性が高かったんです。

この緊張の中で、鉄舟は単身、敵陣に乗り込む覚悟を決めました。これは無謀な蛮勇ではなく、状況を冷静に見極めた上での決断でした。

当時の状況で重要なのは、鉄舟が「自分が生きて帰れるか」ではなく、「何が今、必要か」だけを考えたことです。

これが「無我」です。

自己保存の欲求や、成功への執着が消えたとき、人は状況が求める最適解を自然に選べるようになります。鉄舟の場合、それは「自分が死ぬことで場が動くなら、それでいい」という覚悟でした。

そして実際に西郷隆盛と対面したとき、鉄舟は慶喜の処遇について毅然と問いました。

なかなか折れない西郷に対し、鉄舟はこう語ったと伝えられています。

「そんならまずあなたと私と位置を換えて論ずることにしよう。今仮にあなたの主君島津公が誤って朝敵の汚名を受け、官軍が討伐に向ったとして、あなたが私の地位となって主君のためにじんりょくしたとしたならば、命令だからといっておめおめ自分の君主を差出し、安閑としてそれを傍観して居られるかどうか。君臣の情としてあなたにそれが出来ますか、鉄太郎此の儀ばかりは到底忍び得る所でない」

立場を入れ替えて考えてみよ、という問いかけです。

しかし注目すべきは、鉄舟がここで単に徳川方の正当性を主張したのではないことです。彼が懸念したのは、慶喜を備前に送ることで生まれる「禍根」でした。

目先の決着ではなく、後々まで続く関係性を視野に入れていたんです。

これは交渉術のテクニックではありません。鉄舟には「徳川を守る」という執着すら、本質的には薄かった。彼が優先したのは、無用な血を流さないこと、そして将来にわたる和解の可能性を残すことでした。

本書によれば、西郷は鉄舟の態度に心を動かされたとされます。それは表面的な礼儀作法のことではなく、相手の立場や面子に配慮しつつも、本質的な対話を優先する姿勢のことです。

鉄舟は肩書きや権威を振りかざすことなく、ただ一人の人間として誠実に向き合いました。そこには「正しさを主張する」という執着がなかったんです。

無血開城は、鉄舟一人の功績ではありません。勝海舟や西郷隆盛、多くの人々の努力の結果です。

しかし鉄舟が果たした役割は、「人格への信頼」という、交渉術では説明できない次元のものでした。それは長年の禅修行によって培われた「無我の在り方」が、歴史的瞬間において発揮された結果だったと言えるでしょう。

山岡鉄舟が体現した「無我の境地」は、実は江戸時代の武道哲学の中で繰り返し語られてきたテーマでもあります。

その最も象徴的な作品が『猫の妙術』です。ネズミ退治の達人である猫たちの物語を通じて、技術を超えた「あり方」の重要性が説かれています。力任せに挑む猫、技巧を尽くす猫、そしてただそこにいるだけでネズミが近づかない老猫。この老猫の境地こそ、鉄舟が生涯をかけて追求した「無我」そのものなんです。

鉄舟の生き方をより深く理解したい方には、『新釈 猫の妙術 武道哲学が教える「人生の達人」への道』もぜひご覧ください。武道における「達人」とは何か、その本質が鉄舟の姿と重なって見えてくるはずです。

まとめ

  • 形式ではなく、振る舞いそのものが修行だった――鉄舟にとって修行とは特別な時間ではなく、日常のあらゆる瞬間でした。坐禅も剣も書も、そして手紙の書き方や人との接し方も、すべてが禅の実践だったんです。
  • 豪傑の奥にある、人を見抜く眼――鉄舟の真価は力強さではなく、人や状況の本質を瞬時に見抜く眼力にありました。小事を大切にしながらも小事に囚われない。その矛盾した態度は、無我の境地から生まれたものでした。
  • 「無我」が可能にした無血開城――江戸城無血開城での鉄舟の役割は、政治的手腕ではなく人格への信頼によるものでした。自己保存の欲求や成功への執着が消えたとき、状況が求める最適解が自然に現れたんです。
小倉鉄樹,石津寬,牛山栄治
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