- どうしたら世界をまた別の角度から俯瞰して捉えることができるでしょうか。
- 実は、有人離島(“シマ”)を見つめることかも。
- なぜなら、ここは、人と自然とが調和するミニマムな生きる単位だからです。
- 本書は、“シマ”を巡り、人はいかに生きているのかを知る1冊です。
- 本書を通じて、人が人と、そして自然と、そして外の世界といかにあるのか、本質を知ります。

シマを見つめてみると!?
離島経済新聞社(通称:リトケイ)は、日本全国の約420の有人離島に特化した情報発信と地域支援を行う認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)です。2010年に設立され、2025年2月には大分県より認定NPO法人として正式に認定されました 。
リトケイは、離島の「課題」と「可能性」に注目し、持続可能な未来を島から創出することを目指しています。
その活動は、3つの柱を構成しています。
- 伝える:ウェブメディア『ritokei』やフリーペーパー『季刊ritokei』を通じて、島の暮らしや文化、課題を広く社会に発信しています。
- つなげる:島と都市、島同士、島と企業・行政など、多様な主体を結びつけるプロジェクトやイベントを企画・運営しています。
- 育む:島の子どもたちの教育環境の充実や、地域の担い手育成を支援する活動を展開しています。
リトケイは、島を通じて、新しいものごとの見方を提供してくれる、稀有なメディアであると言えます。
本書は、そんなリトケイが、これまで創刊から、1万以上の島の方々や関係者の方々との対話を1つにまとめ、多くの人とさらにともに考えるために発行されたものです。
島を考える時、何が島で、何が島でないのかを考える不思議に囚われてきます。なぜなら、「離島」という言葉を使っていたとしても、例えば、ユーラシア大陸からしたら、「日本」も離島なのではないかと思えてくるし、「離島」を通じてでしか行くことができない「離島」も存在していたりして、私たちのスキーマ(認知の型)をゆさぶる感覚を覚えることができます。
そして、そうした、島には、生活があります。
そうした生活を見つめていくことは、本島と物理的な距離を隔てられているからこそ、内外のつながりや、島という一定閉じられた環境の中のつながりに意識を向けるきっかけをくれます。
人はひとりでは生きていけません。衣食住を満たすだけでも、自分ひとりで間に合わせることはできず、お金で買うか、社会的サービスを受けるか、支え合える人々と協力するか。自分以外の何かを頼らねば生きていけないのです。
島を見つめて、そして、その中に飛び込んでみて、感じるのは、「人は、いかに豊かに生きていくことができるのか」という問いかもしれません。支え合いの仕組みや手立てを考えることは、真っ先に必要になることでしょう。
もちろん、一人ひとりの価値観というのは、多様であるべきで、それ自体に問題はありません。
しかし、事実としてどんな人であれ、一人で生きていくことができないのであれば、そうした価値観を包含しながら、互いにその違いを認識しながらも、ゆったりとつながりながら、「他者」と「社会」を構成していく意識を常に持ち合わせていくことが重要なのかもしれません。
この本では、「自分」「社会」「地球」という観点で、心豊かに生きるためのヒントを「離島」と「シマ」から紐解いていきます。
私たちが、自分たちの生活に俯瞰した視点をもって見つめてみることは、意義あることだと思います。
地球はひとつしかないのにもかかわらず、人間の活動は肥大化し続け、今や地球2.8個分の生活をしています。その結果、生物多様性が崩れ、結果的に人間が自分たちの生きる場所の豊かさを犯しています。人工窒素の量は、過去の3倍に増加し、海水温の上昇や土地の劣化が進み、今後もこれらの問題は何らかの手を打たなければ、さらに加速度的に悪化していく可能性があります。
また、地球環境だけではなく、そこで暮らす人々の生活や心の問題というのも取り上げられています。
都市生活者の「となりに住む人の顔をしらない」という話。壁一面隔てた先の孤独や貧困、飢餓を、私たちは知る由もなく、生きています。
また、不登校や自殺率は過去最高となり、出生率は低下する一方。人口減少によって、空き家の増加が、産業衰退の危機感を覚えながら、グローバル経済の中で、翻弄されています。
私たちが作っている社会は、どこか、理想的でありながら、ディストピア的な実態を常にはらんでいます。
本書の中では、離島や島というキーワードを、「シマ」として「人々が支え合うコミュニティ」のかたちとして表現しています。居住地や地縁血縁を問わず、人間が心豊かに生きるために見つめるべき「単位」としています。
際限があるから充実する!?
そうした問題山積にも見える、私たちの生活を俯瞰して、解決の糸口を提供してくれるのが、シマでの暮らしかもしれません。
シマの暮らしをみていくと、いくつかの(都市生活には見出しづらくなっている)特徴を見出すことができます。
リトケイがまとめてくれているのが、以下の7つのポイントです。
1.有機的な「シマ」の密集地
2.利他的生き残りの先進地域
3.「ない」から生まれる創造力と生きる力
4.誰一人とりのこせない世界
5.「足るを知る」が当たり前
6.自然と生きる豊かな感覚
7.課題も可能性もみえる「日本の縮図」
シマでは、顔が見えるコミュニティが形成されています。それは、まるでちょっと小さめな会社のような組織が、生活の中に染み付いている感覚かもしれません。ここでは、互いになにかあった時に支え合う生活の仕組みが展開されています。
これをソーシャルキャピタルと言います。社会関係資本とも捉えられるもので、支え合う共同体を構成していくことで、人は、安心して生きていくことができます。
時に、それは過干渉や監視されている感覚につながることもあるかもしれませんが、それでも、孤立していくよりは比べ物にならないほどの豊かさを受け取ることができると思われます。
都会にいるときには、お金があればなんとか生きていくことができるため、常に「匿名」でいることが可能です。
金融とは、英語でファイナンスです。
「ファイナンス(finance)」の語源はラテン語の「finis(終わり・限界)」に由来し、中世フランス語の「finance」では「債務の支払い」や「決済」を意味していました。
つまり、もともとは借金などの問題を「終わらせる」行為として捉えられていたのです。この語源的背景を踏まえると、現代のファイナンスも単なる資金の管理ではなく、「調達(始める)」と「返済・決済(終わらせる)」という両義的な意味を内包していることがわかります。
ファイナンスとは、資金という物語の「始まり」と「終わり」の設計そのものであり、経済活動の根幹を成す知恵とも言えるのです。
しかし、現代では、調達部分のつながりは、強調されずどちらかというと、潔く「終わらせる」関係がフォーカスされがちなような気もします。
離島は海を隔てるだけに、他地域との行き交いが気軽ではありません。小さな島ではお金で買えるものやサービスも少ないため、顔の見える相手との関係や支え合いが何よりも大事にされています。
そのため、自分の存在も大切ですが、他者とともにあり、そして他者ありきの自分の生き方を学ぶことができます。
そして、島には上述の通り、ものやサービスがないので、自分で工夫したり、互いに工夫して賄っていくことも上手になります。生活に不可欠なものを作ったり、互いに提供し合ったり、あるいは、娯楽も自分たちで参加して作ったりと、それ自体が実は生きる手応えや楽しみにつながっていくこともあるかもしれません。
島の資源には、限りがあるため、工夫とともに「足るを知る」発想を養いやすいとも言えるでしょう。「もっともっと」ではなく、「これで十分である」ことを知ることは、実は、幸せを感じやすい体質を育てます。
人間はほうっておくと、欲望を肥大化させて、際限がありません。
それに自分でどこか区切りをつけることが必要なのですが、それもなかなか難しい。
でも、島に暮らしていれば、島という限界を常に知ることができる、あるいは、肌で感じることができるので、その中でいかにうまくやっていくか、充実を感じるかを考えることができるのです。

人はつながりの中で生きていく!?
本書には、山極寿一さんがコラムを寄せてくださっています。山極寿一(やまぎわ じゅいち)さんは、日本の人類学者・霊長類学者であり、特にゴリラの研究で世界的に知られる第一人者です。
山極さんは、京都大学霊長類研究所や日本モンキーセンターでの研究を経て、京都大学大学院理学研究科の教授を務めました。彼の研究は、アフリカのルワンダやコンゴ民主共和国などでの野生ゴリラの社会生態学的調査に焦点を当てており、ゴリラの行動や社会構造を通じて人類の進化や社会性の起源を探求しています。
特に、ゴリラのドラミング(胸を叩く行動)や目を見つめ合うコミュニケーションなど、非言語的な交流手段に注目し、人間社会との共通点や相違点を明らかにしています。
山極さんによると、シマは、限られた資源と共に、一定程度閉じている存在でありながら、だからこそ、外とのつながりを重視する環境にあると説きます。
そこでなわばりを閉じ「集落以外の人は敵だ」と寄せつけないようにするのではなく、交流を通じてなわばり意識を希薄にしていうのは、人間の知恵かと思います。
閉じている感覚と、つながっている感覚を同時に大切にしている。それぞれの良さをコミュニティとして自然な形で、活かしているというのは、とても印象的なことだと思います。
また、山極さんは、信頼というキーワードでも人が本来的に培っていく他者とともにあることの論点について、語ります。
信頼は時間の関数
信頼関係を結べるのは、最大でも150人程度であると言います。そして、信頼の数に限界があるのが、リアルなコミュニケーションが前提となり、かつ、そのための時間の蓄積こそが信頼関係になりうるという発想によるからです。
僕は信頼を「時間の関数」だと思っています。信頼関係を築くには時間をかけないといけないんです。
誰かと一緒に同じ釜の飯を食い、そして、語らい、苦楽をともにしていると、ただそこにあるだけで、良い関係性に至ることを感じることができるでしょう。
それは、会社や家族だけではなく、もしかすると地域コミュニティでもえられて然るべき感覚だったのかもしれません。
でも私たちは、都市の生活を作ることで、便利だけど、お金で簡単に切れる関係の中で、失いつつあるのかもしれないと、シマでの生活を想像するに思い至ることができます。
シマは、「意気」を重視すると説くのは、伊奈陶器株式会社(現LIXIL)取締役(CTO最高技術責任者)の石田秀輝さんです。石田さんは、島の理論と都会の理論の違いを「意気」という言葉で説明してくれています。
「意気」の要素というのは、4つあり、「敗者をつくらない」「自然と和合して生きることを楽しむ」「足るを知ることや、もったいない感覚を知る」「見立て」というものです。
特に、シマでは、「敗者をつくらない」ということを無意識のうちに重視されて誰もが支え合いの中で、暮らしていけるように成っているのではないかと語ります。
また同時に私が興味深いと思ったのが、この「意気」というのが、江戸時代の後半に養われた感性であるということです。江戸時代(1603年〜1868年)は、日本の歴史において「平和」「統制」「文化の成熟」といった点で非常に重要な時代です。
そうした、時代の価値観がいまもなお生きている、あるいは、それをアップデートして暮らしが成り立つシマの存在を改めて感じることができます。
競争原理が成立せず、どんな弱者も助ける。それって結局、コミュニティにできることなんです。そんな意気の論理みたいのが、都会ではなくなってしまっている。
シマについて知れば知るほど、私たちが本当に大切にしていくことが見えてくるように思います。
それは、人が社会的な生物として、自然につながり合う、それを求める存在としての暮らし方の再構築というヒントにもなりうるのだと思います。
AIが発達したり、新しい革新的な技術が生まれたとしても、人は、この身体を離れて生きていくことはできません。身体を通じて感じることで幸福を感じることもできるし、それで、満足を知ることもできます。また、心も身体とは切り離せずに、豊かな身体に、豊かな精神性も宿ります。
そのためには、この身体を活かしていくための最低限のつながりを考え、それをもう一度、重視しながら身の回りの生活を作る社会のあり方が問われているのだと思います。
例えば、利他を掛け算して見えてくることもあるかも。こちらの1冊「偶然性をもたらす遊びこそが、最高の「学び」の機会!?『遊びと利他』北村匡平」もぜひご覧ください。

まとめ
- シマを見つめてみると!?――人という集まって生きる生き物の特徴が見えてきます。
- 際限があるから充実する!?――知足が豊かな感性を育てます。
- 人はつながりの中で生きていく!?――そのための社会のデザインはいかにあるべきでしょうか。
