【今を生きるには、新しいOSが必要!?】青虫は一度溶けて蝶になる|藤田一照,桜井肖典,小出遥子

青虫は一度溶けて蝶になる
  • 変化の時代を生きていると言っても過言ではない昨今、私たちは、価値観を絶えずアップデートしなくては、生き心地が悪いです。
  • 実は、生き方の本質を仏教の教えに見出すことができます。
  • なぜなら、仏教のコンセプトは、私たちがあたりまえに身に着けている価値観が生まれるもっと前から、人生や世界の真理に迫りある種、普遍的なスタンスを持って、考えをアップデートしてきていたからです。
  • 本書では、禅僧である藤田一照さんと、デザインコンサルティング会社を経営する桜井肖典さん、文筆家の小出遥子さんの対談形式とワークで、人生の捉え方・考え方が展開されていきます。
  • 本書を読み終えると、「仏教的人生学科 一照研究室」で展開された、仏教を通じた「人生の学び」を得ることができるでしょう。(NOT 仏教を学ぶ)

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藤田一照,桜井肖典,小出遥子
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今を生きるのには、パラダイムシフトが必要です。

パラダイムとは、僕ら自身の人生を駆動するOS(オペレーティングシステム)のこと。どれだけ最新のアプリケーションを追加しても、これまでと同じOSならば劇的な変化は起こりようがない。ブッダの時代から、仏教はそのOSのアップデートを試みてきたのだと、仏教用語を用いずに、一照さんはわかりやすく話してくれました。

はじめに(桜井)

わたしたちは、生まれてこの方、知らず知らずのうちに「価値観」を身に着けて生きています。例えば、お金はためたほうがいいとか、受験していい会社に入った方がいいとか、持ち家を持とうとか、そういうやつです。

でも、こうした価値観から生まれる考え方って本質なのかな?という疑いを持つことから始める必要があります。

とくに、現代は時代、社会、世界の過渡期です。過渡期こそ、与えられたもので本質をついて生き抜く必要があります。

企業は成長しなくてはならないことも、規模は大きい方がよいことだということも、スーツを着てはたらくものだということも、僕らが思い描く競争力お、戦略も、勝ち負けも、成功も……、人類にとってはほんのわずかな間に気づかれたものであるということを知った時(ちなみにGDPという指標が開発されたのは1934年で、第2次世界大戦中に国家の軍需生産を図る指標として用いられたもの)、僕は、自分がいかに疑いなく、あたかも自明の真理のように、盲目的に、たくさんの既存の価値観に囚われてきたのか、そのことに驚きました。

第1章 私とは――self から SELFへ

本当に必要なのは、こうした価値観にとらわれているということを客観視することです。こうしたことがあたりまえだと、思っているうちには、本当のものごとに出会えることはないでしょう。

「自己」のあり方をならい、価値観(OS)をアップデートしよう!

では、あたりまえ化している既存の価値観の外側からものごとを考えられるようになるには、どうしたらいいでしょうか。そこで、仏教がこれまでの歴史の中でアップデートしてきてくれた考え方を頼りにしてみましょう。

「仏道をならふといふは、自己をならふなり」

『正法眼蔵 現成公案』道元

メインは、仏教ではないのです。仏教は、自分自身を知るためにあるひとつのコンセプトなのです。

そして、この仏教のコンセプトで大切になるのは、「私」と「世界」の関係性です。

僕たちって、普段、「私」に対していろんな「経験」が起きている、というふうに感じながら生きていますよね。「私」と「経験」との間に、区別というか、距離がある、そんな感覚を持っています。経験とは別に、その経験をしている「私」が存在しているような感覚です。

第1章 私とは――self から SELFへ

「私」と「経験」とを切り離して考えていると、なにかが起こってきたときに、「私」にはなにも問題がない、問題があるのは「経験」の方、だから「経験」をいじれば問題が消えるはずだ……という路線での思考の陥ってしまうんですよ。

第1章 私とは――self から SELFへ

よくよく見ると、「経験」から切り離されたところに「私」はいない。経験のなかに私も入っていると言ったほうが事実に近い。経験が私を作り出しているということです。経験の外に私がいるんじゃない。

第1章 私とは――self から SELFへ

私たちは、問題の解決を求める時、その両方を外側に向けて考えてしまいます。問題の発生も、作用の方向性も・・。でも、本当は「私」自身がすべての根源であるのですね。

たとえば、やりがいのある仕事がやりたいとして、それを外側に求め続けていては、安住の地はついぞ得られることはありません。問題の根源は「私」にあるわけですから、「私」がいかに変わっていくか?ということが本質的な問いになるということです。

これを、著者たちは「所在」と言っています。所在を他所へ求めていては、定まらない・・・。

・周囲の様子をうかがう「所在のない」自分、
・評価の得られる仕事や環境を手にできず「所在のない」自分、
そんな自分から抜け出せなくなっていまいます。

こうした考え方がなぜ一般的かというと、現代の価値観が「私」というのは、「世界(問題・経験含む)」と区別され、分離されているからです。むしろ「世界」に内包され繋がりの中で、生かされ生きているという感覚を「私」に感じることで、世界の有り様はガラリと変わって見えてきます。これが仏教のコンセプトです。

著者たちは「home」という言葉を使ってこの「世界」について考察を深めます。

「home」について話をします。「家」のことです。お客さんをもてなすときに、英語で、Plese make yourself at home. と言います。Please feel at home. とも言いますね。「自分の家だと想ってくつろいでください」というニュアンスの言葉です。At Home in the Universe という題の科学の本がありましたが、「宇宙が自分の家であるかのようにくつろぐ」という意味でしょうかね。いい題だなあと思いました。ちなみにこの本はスチュアート・カウフマンという科学者の書いた、自己組織化についてほ本です(邦訳『自己組織化と進化の理論――宇宙を貫く複雑系の法則』、ちくま学芸文庫)。

第1章 私とは――self から SELFへ

世界は、自分の家つまり、所在であるから、外も内も本来ないのです。そこで「外」に問題や対処の根源を見出し、流転をしていったとて、行き着く先は際限がないということです。

過去の投稿「【パンだけでなく、バラのある生活?】暇と退屈の倫理学|國分功一郎」で、こんなことが書かれていました。

自分の心が動くものごとを研究対象としたハイデガーが特にお気に入りだった、ノヴァーリスという先輩哲学者がありました。彼の哲学観は、次のようなものです。

哲学とはほんらい郷愁であり、さまざまな場所にいながらも、家にいるようにいたい、そう願う気持ちが哲学なのだ。

ノヴァーリス ―― 『暇と退屈の倫理学』 國分功一郎

このノヴァーリスが語り、ハイデガーが心動かされた、「家」という哲学のコンセプトに、仏教思想とおなじ「所在」を見出しました。

IのOSではなく、WeのOSを起動しよう!

「そもそもWeとしてある」ことを洞察するためには、「I」という夢から覚めなければならない。

第1章 私とは――self から SELFへ

「私」は、世界から独立しているのではなく、世界のなかに組み込まれて、あらゆるつながりの影響を受けている存在だと認めることが大切です。だから世界に抗うのではなく、全てを受け入れながら、ひらいていくことが新しいOSの基本動作になります。

この基本動作をするために、分断された私がつくり上げた執着・考え・想像から自分を解き放ちましょう。

そのためには、今、ここの場を直接的に経験することにフォーカスすることが重要です。そのための考え方を「R.O.A.R.(ロア)」という態度で紹介します。

Relax(リラックスする)
Observe(観察する)
Allow(許す)
Respond(応答する)

この応答は自分の習慣的なパターンあから出てくる衝動的なリアクションではなく、むしろ状況の中からおのずと出てくる智慧に裏付けられたレスポンスになっています。ちなみに、ROARというのは英語で「咆哮する・ほえる」という意味です。lion’s roarで「獅子吼」、つまり釈尊の説法のたとえになります。

第2章 世界とは―― world から WORLDへ

まとめ

  • 今を生きるのには、パラダイムシフトが必要です。――あたりまえに身に着けてしまった価値観からの解放を目指し、新しい視点を手に入れてみましょう。
  • 「自己」のあり方をならい、価値観(OS)をアップデートしよう!――仏教というこれまでの人類の歴史でアップデートされ続けてきた考え方に触れて、自己のあり方を別の確度から見つけてみましょう。
  • IのOSではなく、WeのOSを起動しよう!――私たちは世界の内側にいて、あらゆるものごととつながっているのです。その視点で、「私」を顧みることからはじめてみましょう。

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