【こんなにも孤独な人生で】会って、話すこと。|田中泰延

会って、話すこと。
  • よりよい会話をしないといけないと、強迫観念に駆られることはありませんか?
  • 実は、それは会話の捉え方自体が固定観念に縛られているかも
  • なぜなら、そもそも人は互いに興味なんてないんです。
  • 本書は、そんな互いに興味なんてない孤独な人間同士が、それでもなぜ会話をするのか?という逆説的な視点から、会話で巡り会える風景の尊さをチラリズムしてくれます。
  • 本書を読み終えると、少し、人と人のあいだにある何かについて触れられるような気分になり、テクニックではなく、心構えとしての会話について自分なりの気づきを得られるでしょう。
田中泰延
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相手はあなたに興味がないし、あなたも相手に興味はない、に素直になることから始めよう。

つまり、多くの人は、本当は自分が相手に興味を持っていなくて、自分も相手に興味を持たれていないという現実を直視したくないんだと思います。会話はギブアンドテイクでもウィンウィンでもゼロサムゲームでもない。ましてや勝ち負けなどでは絶対にない。まずそれを認めることから、会話は始まるんです。

ダイアローグ2 「ちがうやろ!」<田中泰延×今野良介>

そもそも、互いに興味なんてないのだ、という前提に立つと、途端に会話の重荷から解放されます。

多くの会話術の本では、相手にいかに興味を持つかということを前提に語られるものがほとんどですが、本書はそのことから疑ってかかります。

そもそも互いに興味がないことを認めながら、わたしたちは、どのように会話を成立させていくのでしょうか。

いや、そもそも会話とはなんでしょうか。

わたしでも、あなたでもない、「外部」のことを話そう。

相手と、自分の、「間に発生」したことをたのしむ。前ではない、上を向いて話そう。あさっての方向に話を持っていこう。そうすることで、あなたは対人関係の息苦しさや、話の続かない気まずさから少しだけ楽になれるはずだ。

その1 「関係ありそうな、なさそうなこと」を話そう

互いのことではなく、お互いの間にあることについて、話をすることが会話です。

たとえば、雲の形や、今日の天気、そこから少しずつ話題をずらしていくことで、会話を続けていきます。

そこで必要なのが、知識です。例えば、今日の雲は積乱雲ですね。とか、今日の雲は、色が黒いので湿気を多く含んでいて、もしかしたらそのうち雨かもしれないですね。などの切り口は、知識からもたらされるものです。

つまり、私たちが学校で勉強してきた知識というのは、会話の切り口のためにあったといっても良いのではないでしょうか。

それは、いま目の前にある現実世界に対する、別の視点からの「仮説の提示」なのである。

その2 「ボケ」は現実世界への「仮説」の提示

ボケというのも会話では、重要な要素です。

ボケは、思いもよらない仮説で、視点をずらしてくれます。

ボケがボケを呼び、続けることが、会話を続けることになります。

反対にツッコミをしすることは、会話を打ち切り、自分の価値観や世界観に相手をはめることになってしまいます。実は日常会話で、ツッコミは不要なものなのです。

ビジネスのアイデアだって、大ボケをかましてきた結果です。その相談な仮説に乗っかった人々のおかげで、いまの世界はこんなにも便利になったし、面白くなってきています。

相手は、あなたの人生の目的を、哲学を感じたいのだ。

その5 「エトスなき会話は虚しい」

古代ギリシャの哲学者アリストテレスが『弁論術』で示した、ロゴス、パトス、エトスの3つの切り口も会話の主題となります。

ロゴスは、英語の「Logos」、つまりロジック、論理構成です。
パトスは、「passion」、情熱、心のことです。
そして、エトスは英語ならば「ethics」、つまり倫理、哲学ということになります。

例えば、
ロゴス・・どんな学校に通ってどんな知識を身に着けたか
パトス・・どれくらい頑張って勉強したか
エトス・・その能力で会社や社会をどう変えていきたいか
です。

ロゴス、パトスはもちろんですが、エトスがない会話は虚しいものがあります。

違う人と、同じものを見るということ。

「人と人がつながること」すべてに共通するのは、なにかの「仕入れ」だ。別に何かの役に立てようと知識や経験を仕入れるのではない。それが偶然、何年後か、何十年後かに他人と響き合ったときが「出会い」なのではないだろうか。人生はそんな奇跡でできているのではないかと思う。

その3 「出会い」とは「仕入れ」が他人と響き合った時

この一節を読んで、思い出すのは「思いがけず利他|中島岳志」です。

利他であることも、いつか過去の自分の行いで、最終的にそれが堂々巡りして、他人や自分に還ってくることという関係性のお話でした。

もしかしたら、会話というのは、利他を媒介するものなのかもしれないと思いました。

「教養のある人物」をわたしなりに定義すると、向かい合った時に「私は何も知らない。世界はこんなにも広くてわからないです。そして我々は最後は死んじゃいます。なので今、少し笑いましょう」と感じさせてくれる人ではないだろうか。

その5 違う人と、同じものを見る

こんな人が身近にいます。まさに、エトスを感じられる人です。

人と人が向かい合っていた視線は、会話をする中で、その間にあるものをたどって、同じ彼方を見ることができます。著者は、その先に風景を発見するといいます。これこそが会話がたどりつく約束の地ではないかと。

自分と相手は互いに興味がなく、孤独であるのですが、互いの間にあるものについて会話をすることによって、共通の風景を見たり、何かが生まれる経験をする可能性があります

こうしたあさっての方角から来るかもしれない邂逅を信じて生きていくことが、人なのかもしれないと思いました。

まとめ

  • 相手はあなたに興味がないし、あなたも相手に興味はない、に素直になることから始めよう。――そもそも、互いに興味なんてないと思うことが会話のスタート地点です。
  • わたしでも、あなたでもない、「外部」のことを話そう。――互いに興味がない人同士、共通の話題は、互いのあいだにあるものごとです。ボケによって話題をずらすことや、知識の連鎖で話題をずらすこと、エトスを大切にすることなどを意識すると良いでしょう。
  • 違う人と、同じものを見るということ。――会話とは、互いに孤独だと認めた人同士が、その間にあるものごとを同時に見ながら、これまで生きてきた、あるいは蓄えてきた経験の中から、時空を超えて共鳴するための行為なのかもしれません。

私の友人にエトスそのものという人がいます。彼はどんな相手にも社会をこう捉えて、こういうふうに変えていくということを語れる人です。私はそんな彼を羨望の眼差しで見つつも、不思議に思っているんです。どうして、そんなにもエトスなのかと・・。そんな彼とも、会話をしながら、新しい邂逅を紡いでいけたらと思いました。

田中泰延
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