センスとは、視界・視野・視座から生まれる!?『こうやって、センスは生まれる』秋山具義

『こうやって、センスは生まれる』秋山具義の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】センスとは、才能でも感性でもなく、「知覚→組み替え→表現」という再現可能な技術です。秋山具義が実務の現場から導いた、人を動かす「半歩先の論点」の鍛え方を提示しています。
 
1.半歩先の論点:奇抜さでなく「独自の視点」こそが人の心と行動を動かす
2.AIとのディレクション力:センスはAIを自分の分身に変える文脈と感情の伝達力である
3.ありのままに見る工夫:自分の「当たり前」を疑い続けることが、視界を広げる

  • あなたは今日、誰かをハッとさせましたか?
  • 実は、「センスがある」と言われる人は、特別な才能の持ち主ではありません。
  • なぜなら、センスとは知覚・組み替え・表現という3つのステップで生み出される「技術」だからです。生まれながらのものではなく、意識と訓練で磨けるものなんです。
  • 本書は、グラフィックデザイナーとして第一線で活躍してきた秋山具義が、自らの実践知をもとに「センスの正体」を解き明かした一冊です。マルちゃん正麺のパッケージデザインから東京オリンピックのピクトグラムまで、数々の仕事を通じて体得した「人を動かす力の構造」がここにあります。
  • 本書を通じて、論点を鍛え、AIを使いこなし、社会をありのままに見ようとし続けることが、この時代における「センス」の本質だと気づくはずです。

秋山具義(あきやま ぐぎ)は、1966年東京生まれのグラフィックデザイナー・アートディレクター。電通を経て独立し、マルちゃん正麺や東京2020オリンピックのピクトグラムをはじめ、食品・スポーツ・エンターテインメントなど幅広い分野で活躍しています。

単なるビジュアルの美しさだけでなく、「人の心を動かすアウトプット」を追求し続けてきた実践者です。本書は、その長年の経験から蒸留された「センスの技術論」として、デザイナーにとどまらず、ビジネスパーソン全般に向けて書かれています。

ハッとする力は、論点を鍛える力である

センスとは何か。著者はその答えを明快に言い切ります。「人をハッとさせるアウトプットを生み出す力」。

この定義は、シンプルに見えて深い。ハッとする体験は、誰かの独自の視点に触れたとき、予期しない切り口で物事を見せられたときに生まれます。それは必ずしも「斬新さ」ではない。むしろ、十歩先ほど飛びすぎると人はついてこられず、一歩先では当たり前すぎて驚かない。センスが光るのは、「半歩先」なんです。

マルちゃん正麺のパッケージデザインのエピソードは、この「半歩先」を見事に体現しています。即席ラーメンを買う主婦が感じる、「手抜きしているように見られないかしら」という心理的な摩擦。そこに気づいた著者は、金色の素材を使ったリッチな印象のパッケージを提案した。奇をてらったわけではない。ただ、消費者が感じているが言語化していない感情に、半歩先で応えた。それが結果につながりました。

ここで私が重要だと思うのは、センスの根っこにあるのが「論点を見つける力」だということです。誰と話すか、どの文脈で語るか、何が相手の本音か。コンサルタントとして経営者と対話し続けてきた経験から言えば、人を動かす対話とは、常に「論点の発見」から始まります。センスも同じ構造をしている。

本書では、センスを生み出す工程が「知覚→組み替え→表現」3ステップとして整理されています。知覚とは、世界の「普通」と「半歩先」を知ること。組み替えとは、それを独自の角度で再構成すること。表現とは、調整と伝わり方の精度を上げること。この3つは、センスという概念を再現可能なものに落とし込む枠組みです。

センスが光るのは、十歩先では行きすぎで、その手前——「半歩先」です。

「凡庸ではない違う角度からの切り込み」こそ半歩先のセンスだという言葉が、とても腑に落ちます。違う角度からの切り込み——それは要するに、論点を変えるということです。同じ情報を持っていても、どこに問いを立てるかで、アウトプットはまったく変わる。センスとは、問いを立てる力そのものかもしれません。

「逆ノーマル」という概念も面白い。「こうするのが当たり前」と思った瞬間に「逆にしたら?」と考えてみる習慣。ひつまぶしの誕生秘話も、発想の転換が「足りない」という制約から生まれたことを示しています。制約こそが創造の母だというのは、SMEの現場でもよく経験することです。リソースが潤沢でない中小企業こそ、「逆ノーマル」の発想が力を持つ。

センスを「生き方」と定義するこの本の最後のメッセージは、論点への感度を日常的に磨き続けることを、一種の人生哲学として捉えることを促しています。「何をどう見るか」「何をどう残すか」「何をどう組み替えるか」——これは経営者が日々自分に問い続けるべき問いでもあります。

AI時代こそ、ディレクション力が問われる

「AI時代とは〝ディレクションの時代〟であり、センスのある人間がAIを通じて新しい価値を生み出す」——著者のこの言葉は、今の時代を正確に射貫いています。

AIが多くのアウトプットを自動化できるようになった今、問われるのは「何を、どう指示するか」という能力です。優れたプロンプトを書くとはどういうことか。それは、文脈と感情を明確に伝えること。目的を正確に伝えるディレクション力。これは、著者がセンスの本質と呼ぶものと完全に重なります。

センスとはAIに目的を正確に伝えるディレクション力——この定義は、私の日常実感とも一致します。AIとの対話で、曖昧な問いを投げれば曖昧な答えが返ってくる。でも、論点が明確な問いを立てると、AIは自分の分身のように動き始める。論点の精度が、AIのアウトプットの質を決める。

これはコンサルタントの仕事の構造と同じです。クライアントの経営課題に向き合うとき、まず問うのは「本当の問いは何か」です。表層に現れた課題をそのまま扱うのではなく、その背後にある本質的な論点を発見する。その論点が鋭ければ、議論は一気に深まる。AIに対しても、経営者に対しても、同じ能力が求められています。

「情報化社会は、誰でも発信できる時代をもたらした」とも書かれています。この時代、コンテンツの量はもはや問題ではない。問われるのは質の差であり、その差はセンスの差です。情報を持つことではなく、情報を組み替えてアウトプットする力。AIという増幅器を得た今、センスの差はより大きく、より可視化される。

ジョブズの話も印象的です。彼のセンスの源泉は「直感」ではなく、「構造化された美意識」でした。観察と組み立ての積み重ねによって磨かれたもの。アップルのデザイン哲学である「一貫性」と「直感的なわかりやすさ」は、どちらも「半歩先の配慮」から生まれている。

センスとは「AIに目的を正確に伝えるディレクション力」と言ってもいい。このディレクション力を持っている人は、AIを自分の分身のように操ることができます。

センスは減らすことで磨かれる——この言葉も重要です。増やすのではなく、削る。余計なものを取り去ったときに初めて、核心が現れる。相手に不安を見せないこと、安心できる雰囲気を演出すること、余計な説明を削り必要な言葉だけを選ぶこと。これが「空気をデザインする」ということであり、センスのある人間の実践です。

AIディレクション力は、センスという言葉で語られることで、ツールの使い方ではなく人間の能力として位置づけられます。この視点は重要です。AIを使いこなす力は、技術リテラシーではなく、人間の感性と論点力の問題なんです。

「ありのままに見る」という、終わらない工夫

本書の中で、私が最も共鳴したのが「世界をありのままに見る」というテーマです。

センスのある人は、共通点と相違点を往復しながら世界を知覚する、と著者は言います。「共通点」を見抜くことで世界をつなぎ、「相違点」を感じ取ることで半歩先を見つける。この往復運動が、知覚の本質です。

しかし「ありのままに見る」ことは、実はとても難しい。私たちは常に、自分の経験や先入観というフィルターを通して世界を見ています。「当たり前」と思っていることは、実は自分だけの当たり前だったりする。センスのある人は、自分の〝当たり前〟を一度疑ってみる習慣を持っています。

著者が提案する「違和感ジャーナリング」は、この訓練の一つです。日常の中で感じた「なんか変だな」「これはなぜだろう」という小さな違和感を書き留める。「見る」を「観る」に変えるための実践。この習慣が、知覚の精度を上げていく。

経営者との対話の中で感じることがあります。「普通はこうでしょう」という前提が、思考の幅を狭めていることが多い。業界の常識、自社の歴史、過去の成功体験——それらが強すぎると、目の前の変化に気づけなくなる。ありのままに見るとは、それらのフィルターを意識化し、必要に応じて緩めることです。

「センスとは、空気を読むことではなく、空気を変えること」という言葉が刺さります。空気を読むだけでは受動的。空気を変えるには、勇気と意図がいる。センスは「やさしい力」として人を動かす。

センスのある人とは、情報をうまく操る人ではなく、「空気をデザインできる人」である。

これは、コンサルタントの仕事の本質でもあります。クライアントの「空気」をそのまま追認するのではなく、必要なときに空気を変える提案をすること。「センスのある人とは、空気をデザインできる人である」——この言葉は、私が目指している仕事のあり方と重なります。

社会を見る解像度は、固定されたものではありません。ピントを緩めたり、緊張させたり。ズームアウトして大局を見たかと思えば、ズームインして細部に気づく。ありのままに見ることは難しいけれど、そういう視界もあるかもしれないと信じて、工夫し続けること。その姿勢こそが、センスを磨く道ではないかと思います。

「センスとは、世界との関わり方そのものである」という著者の言葉で、この本は締めくくられます。見て、感じて、組み替える。この一連の流れが、創造のリズムになる。センスは才能ではなく、生き方です。日々の選択の積み重ねの中で、磨かれていくものなんです。

センスについては、こちらの1冊「【センスとは、ひとりひとりの自由である!?】センスの哲学|千葉雅也」もぜひご覧ください。

まとめ

  • ハッとする力は、論点を鍛える力である――センスとは才能でも感性でもなく、「知覚→組み替え→表現」という再現可能な技術です。半歩先の提案が人を動かすのは、相手の言語化されていない感情に応えているからであり、論点を発見する力がその土台にあります。
  • AI時代こそ、ディレクション力が問われる――AIを自分の分身として動かせるかどうかは、文脈と感情を正確に伝えるセンスの問題です。ジョブズが構造化された美意識を磨いたように、論点の精度がAIのアウトプットの質を決め、センスの差が可視化される時代になっています。
  • 「ありのままに見る」という、終わらない工夫――自分の「当たり前」を疑い、共通点と相違点を往復しながら世界を知覚し続けること。空気を読むのではなく空気をデザインする力が、センスを磨く実践であり、それは一生続く工夫です。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

センスを鍛えたいのですが、何から始めればいいですか?

まず「違和感ジャーナリング」から始めてみてください。日常の中で「なんか変だな」と感じた瞬間を書き留める習慣です。知覚の精度を上げるのは、特別な訓練ではなく、日々の小さな「観る」の積み重ねです。論点への感度は、こうした日常の実践から育まれます。

AIを使っているのに、アウトプットがどうも凡庸に感じます。なぜでしょうか?

それはAIの問題ではなく、ディレクションの問題かもしれません。文脈と感情を明確に伝えているか、本当の論点を自分自身が掴んでいるかを問い直してみてください。AIは与えられた問いの精度以上のものは返せません。センスある問いが、センスあるアウトプットを生みます。

「半歩先」の提案と「一歩先すぎる」提案の違いはどう見極めればいいですか?

相手が「なるほど、そういうことか」と感じるかどうかが基準になります。一歩先すぎると、拒絶や困惑が返ってきます。半歩先は、相手がすでに感じていたが言語化できていなかったことに応えるもので、「わかる、でも気づかなかった」という反応を引き出します。日頃から相手の状況を細かく観察し、その人の「当たり前」を理解しておくことが、半歩先を見極める力になります。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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