この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「許せない」という感情は、脳の防衛本能が生み出すフィルタリング効果です。中野信子が脳科学の知見から解き明かす、対立から並列思考への転換法を提示しています。
1.認知のクセの自覚:「正義中毒」という快楽回路を理解し、自分の反応パターンを把握する
2.多様性の価値:異なる視点を排除せず、脳の可塑性を活かして柔軟な思考を育てる
3.メタ認知の実践:前頭前野を鍛え、感情的反応の前に一歩立ち止まる習慣をつくる
- なぜ、些細な他人の振る舞いに、これほどまでにイライラしてしまうのでしょうか。
- 実は、人の脳には「異なるものを攻撃する」という防衛本能が組み込まれているんです。
- なぜなら、進化の過程で、自分と違う存在を素早く識別し、排除することが生存に直結していたからです。
- 本書は、脳科学者・中野信子が、この「許せない」という感情のメカニズムを解き明かした一冊です。
- 本書を通じて、私たちは自分の認知のクセを理解し、対立ではなく並列で物事を捉える思考法を手に入れることができます。
中野信子さんは、脳科学者、医学博士として、東日本国際大学特任教授を務めています。
東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程を修了し、フランス国立研究所ニューロスピンに勤務した経験を持ちます。
脳科学の知見を一般向けにわかりやすく伝えることに定評があり、『サイコパス』『脳内麻薬』など多数の著書を発表してきました。
本書では、SNSやメディアで加速する「正義中毒」という現象に着目し、なぜ人は他人を許せなくなるのかを、脳の仕組みから丁寧に解説しています。
脳の効率化が「認知のクセ」を生む
人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質である「ドーパミン」が放出されるんです。
この快楽にハマり、正義に溺れてしまった中毒状態のことを、中野さんは本書の中で「正義中毒」と名付けました。
正義中毒が脳に備わっている仕組みである以上、誰しもが陥ってしまう可能性があります。
SNSで飛び交っている、正義中毒者がなぜか頻繁に使用する単語は「バカ」です。
自分が絶対的に正しいという過剰な思い込みから、異なる考えを持つ他人をバカと決めつけ、攻撃(バッシング)を加えます。
正義中毒の状態になると、自分と異なるものをすべて悪と考えてしまうんです。
双方が互いを正義と確信して攻撃を始めてしまったら、解決の糸口を見出すことは非常に困難です。
興味深いのは、この「バイアス」が脳の効率化の産物だということです。
バイアスは脳の手抜き
本書ではこう表現されています。
このバイアスが働くと、手間をかけずに一刀両断できるんです。
脳は限られたエネルギーを節約するために、複雑な状況を単純化し、素早く判断を下そうとします。
その結果、「自分と違う=悪」という短絡的な思考パターンが生まれてしまうんです。
さらに、理性は直感に勝てないという脳の特性も見逃せません。
脳科学的に見ると、理性と直感が対立すると、ほとんどの場合、理性が負けるようになっています。
これは決して個人の意思の力といったような問題ではありません。
実際は、人間が人間であり続けるため、脳は前頭前野に従い過ぎないように、つまり「賢くなり過ぎない」ように設計されていると考えざるを得ないような作りなんです。
生きるためには食べなければいけないのに、その本能に逆らってひたすらダイエットを続ければ、そのうち健康を害し、餓死すらしかねません。
元々、トップダウンのシステムが弱くなるのが健康な状態で、そのようにできているんです。
加えて、人間は自分が言い続けてきたこと、やり続けてきたこと、信じ続けてきたことをなかなか変えられません。
そして、それまで見せてきた自分と矛盾しないように振る舞わなければいけないという根拠のない思い込みに、無意識に縛られています。
この現象を、心理学では「一貫性の原理」と呼んでいます。
自らの正義を主張する快感を知りながらも、同時に、相手を罵ってしまう自分、相手を許せない自分自身を許せないと感じることがあります。
さんざん相手をなじっておきながら、時間が経ってから後悔したり、自己嫌悪に陥るような感覚です。
この悪循環から抜け出すためには、まず「許せない仕組み」を知ることが穏やかに生きるヒントになります。
許せない自分を理解し、人をより許せるようになるためには、脳の仕組みを知っておくことが有用なのは確かです。
まずは自分が正義中毒状態になってしまっているのかどうかを、自分自身で把握できるようになることがとても重要です。
そのためのサインとして、まず「相手を許せない!」という感情が湧いてしまう状態そのものを把握する必要があります。
どんなときに「許せない!」と思ってしまうのかが自身で認識できるようになれば、自分を客観視して正義中毒を抑制することができるようになるからです。
相手は対・人でなくても構いません。
「このテレビ番組はバカバカしい」「○○党は許せない」「○○教は好きになれない」「最近の若い連中はなっていない」などといった怒りの感情が湧いたときは、その感情を増幅させてしまう前にひと呼吸置いて、「自分は今、正義中毒になりかけているのではないか」と自問することが大切なんです。
多様性を失った集団は衰退する
興味深いことに、「愚かさ」の基準は国によって異なります。
日本では「みんなに合わせられないこと」「みんなと違う言動をすること」が、愚かと考えられがちなのに対して、フランスでは、「みんなと同じこと」や「意見を言わないこと」が愚かと考えられやすかったんです。
つまらない人と思われてしまう、と言い換えてもいいでしょう。
“Deux avis valent mieux qu’un”という言葉がフランスにはあり、
ひとつの考え方よりふたつの考え方があることにより価値がある、と多くの人が考えています。
満場一致、一枚岩であることをよしとする日本とは対照的です。
結局、何が「賢明な選択か」は環境によって変わるんです。
日本の同調圧力の強さには、地理的・歴史的な背景があります。
日本は数千年、数万年前から変わらず自然災害が多いんですから、そうした環境に適応できる、つまり長期的な予測をして準備を怠らない人たちが生き残ったと考えるのが自然です。
集団として見れば、構成人員の多くの割合が、そうした環境に最適化された人々である可能性が高いんです。
集団を優先する性質も含め、それが日本という環境における最適化の一つの結果であるのかもしれません。
学校教育のシステムもこの傾向を強めています。
学校では「破壊的な天才児」より「従順な優等生」が優遇されるんです。
日本の議論はなんだか様式美的で、本質的な正しさより、仲間内の正義を優先する人々が多く見られます。
しかし、ここで重要な視点があります。
多様性を狭めた集団は滅亡に向かう
種としての健全な繁栄のためには、多少コストと感じたとしても、ある程度の多様性を担保しておかなければならないということです。
これは生物学的な原理であり、人間社会にも当てはまります。
同質性の高い集団は、一見すると効率的で安定しているように見えますが、環境の変化に対して極めて脆弱なんです。
新しい問題に直面したとき、多様な視点や解決策を持たない集団は、適応できずに衰退していきます。
1984年、ニュージーランド・オタゴ大学のジェームズ・フリンが提唱したところでは、人類は20世紀以降、IQ(知能指数)を年々向上させていると言われます。
1932年と1978年のIQを比較すると13・8ポイント高くなっており、1年に0・3ポイントずつ上昇していくというんです。
これは「フリン効果」と呼ばれています。
栄養状態の改善や、情報、知識を得るためのツールの充実によって、私たちの認知能力は確かに向上してきました。
しかし、IQが高くなることと、多様な視点を受け入れる柔軟性を持つことは別物です。
むしろ、知的能力が高まるほど、自分の正義を論理的に武装し、他者を攻撃する能力も高まってしまう危険性があります。
結論を述べてしまえば、そもそも人間の脳は誰かと対立することが自然であり、対立するようにできています。
「自分以外は全員愚か者」「自分以外は全員敵」と考えることも、あるいは「自分以外は全員優秀」もしくは「自分以外はすべて仲間」と考えることも論理的にはほとんど同じことです。
他人を「愚か」あるいは「優れている」と捉えようとすることは、異なっていて当たり前の他人に対して、自らの基準を無理に当てはめているだけに過ぎません。
天才たちも、観衆とある程度の距離があって、見せたいところだけを見せているから天才に見えているだけだと言えるでしょう。
近づけば「ただの人」なんです。
私たちに必要なのは、「異なること」を脅威として捉えるのではなく、集団の生存戦略として価値あるものと認識することです。
多様性は単なる理想論ではなく、実際的な生存戦略なんです。
前頭前野を鍛え、並列思考へ転換する
ここまで、脳の仕組みが生み出す「許せない」という感情と、多様性の重要性について見てきました。
では、私たちは具体的にどうすれば、この認知のクセから抜け出し、より柔軟な思考を手に入れることができるのでしょうか。
人間を含め、生物の遺伝的な性質の進化(あるいは退化)には何世代もの時間が必要ですが、個々の人間の性格や考え方、そしてその総体である集団の振る舞い、さらにその延長線上にある世論や社会常識のようなものは、世代を経なくても変えることができます。
これは前頭前野の持つ大きなメリットのひとつで、他人や周囲の影響を受けながら、振る舞いを一世代(つまり一人の人間における人生のなか)で変化させることができるんです。
最近の例で言うと、近年の日本におけるLGBTの急速な社会的受容に伴う諸変化が挙げられます。
人間の脳は、自らの構造を観察し、フィードバックを得て自らを変えていく機能を持っています。
つまり、脳自体が自分の働きをひとつ上の層から俯瞰することができ、「自分にはこういう傾向があるから、今後はこうしよう」という具合に修正できるんです。
これは生存戦略上、大きなアドバンテージで、私たちはこの働きの高い人を「頭が良い」と形容するようです。
この能力を「メタ認知」と呼びます。
日常的に合理的思考、客観的思考ができるようなクセをつけておく、あるいはそうせざるを得ない状況に身を置いておくと、前頭前野は鍛えられ、衰えを抑制することが期待できる可能性があります。
前頭前野の働きが保たれていると、前頭前野の重要な機能である「メタ認知」を使うことができます。
常に自分を客観的に見る習慣をつけ、メタ認知を働かせることが、前頭前野を鍛えることにつながります。
いつも予定がいっぱいで忙しく過ごしているよりも、自分を振り返る余裕を持つことの方が、前頭前野を鍛えるためには大切なことと言えるでしょう。
それでは毎日の生活のなかで、どのようなことを心がけるといいのかを見てみましょう。
① 慣れていることをやめて新しい体験をする
脳は新しい刺激に反応し、神経回路を再構築します。
日常のルーティンから抜け出し、意識的に新しい経験を取り入れることで、前頭前野の柔軟性が高まります。
② 不安定・過酷な環境に身を置く
ある程度のストレスは、脳の適応能力を引き出します。
快適なゾーンから一歩踏み出すことで、前頭前野は活性化され、より高次の思考が可能になるんです。
③ 安易なカテゴライズ、レッテル貼りに逃げない
「あの人は○○だから」という単純化を避け、一人ひとりの複雑さを認識する努力が、認知の柔軟性を育てます。
④ 余裕を大切にする
余白のない生活は、反射的な判断を増やし、メタ認知の機会を奪います。
立ち止まって考える時間を意識的に確保することが重要です。
さらに、「いい出会い」がメタ認知能力を育てることも見逃せません。
自分とは異なる価値観を持つ人々との対話は、自分の思考パターンを相対化する絶好の機会になります。
そして、最も重要なのは、自分にも他人にも「一貫性」を求めないことです。
人は変わります。
昨日の自分と今日の自分が違っていても、それは成長の証です。
他人に対しても、過去の言動との一貫性を求めて批判するのではなく、変化を受け入れる寛容さが必要なんです。
正義中毒から解放される最終的な方法は、あらゆる対立軸から抜け出し、何事も並列で処理することではないかと思います。
AかBかという二項対立ではなく、AもBも存在し得るという並列思考です。
「自分が正しい」と「相手が正しい」は、同時に成り立ち得ます。
「思考の両立」については、ぜひこちら「【私たちは、二者択一にとらわれている!?】両立思考|ウェンディ・スミス,マリアンヌ・ルイス」もご覧ください。

視点が異なれば、見える景色も変わります。
長い目で見れば結局、対立することも、対立を克服することも、いったん克服したかに見えた対立が再燃することも、努力と進歩の形態に過ぎないと言えるのではないでしょうか。
私たちは完璧になる必要はありません。
ただ、自分の認知のクセを知り、それに気づいたときに立ち止まる習慣を持つこと。
それだけで、人間関係は驚くほど穏やかになっていくんです。
まとめ
- 脳の効率化が「認知のクセ」を生む――人の脳は効率化のために「正義中毒」という快楽回路を持ち、異なるものを排除しようとします。この仕組みを理解することが、自分の反応パターンを把握する第一歩です。
- 多様性を失った集団は衰退する――同質性の高い集団は環境変化に脆弱です。日本的な同調圧力の背景を理解しつつ、多様な視点を受け入れることが、個人にも組織にも生存戦略として不可欠です。
- 前頭前野を鍛え、並列思考へ転換する――メタ認知を育てるために、新しい体験、余裕、対話を大切にし、対立ではなく並列で物事を捉える習慣を身につけることで、穏やかな人間関係が築けます。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
