【社会を変えるのは「鍋料理」!?】社会を変えるには|小熊英二

社会を変えるには
  • 社会をより良い方向へ変えていくためには、何がヒントになるでしょうか!?
  • 実は、社会が抱えている漫然とした不満の正体を知り、行動することかも。
  • なぜなら、参加こそが、社会をつくる原動力となるから。
  • 本書は、社会を変えるという主題のもと、社会の仕組みを見立て、一人ひとりの存在の意味を知る1冊です。
  • 本書を通じて、社会への眼差しのアップデートのヒントを得ることができます。
小熊英二
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私たちのもやもやとは!?

いま、日本人が不満に思っていることはどんなことでしょうか。特定の一人ではなく、社会全体をとりまく総体としての不満を見つめてみましょう。格差を取り上げてみます。ある種の「枠」に収まっていない人が増加しています。

一方は、多くの資産を持ち金銭的に豊かな暮らしをしています。一方は、生活保護を受けて金銭的には必ずしも豊かとは言えない暮らしをしています。

この両者に対して、日本人は、「実力」をもとに成功し、多くの資産を築き、人脈を開拓し、努力して豊かになった人を揶揄しません。仮にそれが親の資産で高い教育や人脈を与えられている場合も、やり玉にはなかなかあがりにくいです。

一方で、生活保護受給者が「にくい」という感覚は、なぜだか生まれがちです。ここにこの国の社会が抱えている漫然とした不満がありそうです。

現代日本語の「格差」というのは、単に収入や財産の差のことではなくて、「自分がないがしろにされている」という感覚の、日本社会の構造に即した表現でもあると言えます。

第7章 社会を変えるには

この問題に触れながら、社会を変えることを考えてみましょう。大切なのは、問題の根源を知ることです。「自分はないがしろにされている」「他人のほうが恵まれている」「俺に分け前をよこせ」という叫びはどこから生まれるのか・・。

公務員を削るべきだ、生活保護受給者を甘やかすな、競争原理を導入しろという主張は、スミスやハイエクの思想とはあまり似ていないと、小熊英二さんは指摘します。

そして、日本社会には、中央制御室に当たるものがないことについても言及します。だからたとえ首相を変えてみようと、支持率を乱高下したところで、かえって不満は募るだけになります。

「誰かが変えてくれる」という意識が変わらない構造を生んでいるのです。

第7章 社会を変えるには

買ったものにあきてしまって、新しいものを書い続けないと満足できないような病に、私たちはおかされがちです。

原発という象徴問題!?

いつの時代も、人々は、漫然とした不満を抱えているものですが、大抵はそれが明確な形になっていません。もちろん言語化も上手にできていないのですが、ただ、モヤモヤとした不満を抱えている状態を抱えています。

そして、そのモヤモヤが具体的な形として目に見えた瞬間、あるいは問題として定義できた瞬間に、行動をおこしはじめます。

「民意」がこの世に現れてきた瞬間、自分の悩みに答えが見えてきた瞬間、人は「まつりごと」の領域に入りこみ、感動=行動します。それはすべての政治、経済、芸術、学問などの原点です。

第7章 社会を変えるには

2011年から続く原発に関わる問題に照らしてみましょう。原発に関わる不満というのは次の3つの依拠すると考えられます。

1)自分たちの安全を守るきもしない政府が、自分たちをないがしろにして、既得権を得ている、内輪だけですべてを決めているのは許せないという感覚。

2)自分で考えて、自分が声を上げられる社会を作りたいという感覚。

3)無力感と退屈を、ものを買って、電気を使って、紛らわせているような、そんな生活はもうゴメンだ、という感覚。

こうした通奏低音を感じながら、原発という象徴問題に声を上げることで、自らの意識を再認識・再確認しながら、活動が一定程度広がっている状態にあります。

これらは、人間がいつの時代も抱いている、普遍的な思いです。その時代や地域によって、「問題」がこの世にあらわれてくるかたちは違いますが、こうした普遍的な思いとつながったときにおこる運動は、大きな力を持ちます。

第7章 社会を変えるには

いま原発の問題という形をとって、人々の思いが形作られている状態です。

小熊英二
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鍋を囲む!?

上述の通り、政府をすげ替えたところで、問題の根源にはタッチすることができません。では、どうするか、小熊英二さんのユニークな提案は、「鍋を囲む」です。

「いい幹事」より「鍋を囲む」

第7章 社会を変えるには

優れたリーダーの登場に期待したいというのは、もしかしたら多くの人が抱える感覚かと思いますが、残念ながら、それでものごとが変わることは多くないようです。人間はどうしても楽な方を選んでしまって、問題の根源や問題の解決に自分自身の役割を積極的に見出さないようです。

でも「誰かが変えてくれる」という感覚から抜け出さなくては、その問題で苦しみ続ける自分自身を変えることはできません。結局は自らが関わりをもって問題を知り、問題ととともに、歩む覚悟をもって、そうした行動自体を通じて、取り組みを続けていくことでしか、何らかの解決策へ続く道は見つけられないのです。

宴会を想像してみましょう。

むかしの宴会は、問題があまりありませんでした。有力者が「この料理にする!」と決めてしまえば、みんな素直に従っていました。選択肢も限られていたので、多くの人が、そういうものだ、と思える環境だったというのもポイントです。みんな、こうした環境を楽しんでいました。

ですが、だんだん選択肢が増えていくと、幹事も苦労が増えていきます。事前に要望を聞いて、何がいいのかを決定しなくてはいけない。でも、洋食、和食、中華・・・と、カテゴリーで注文を把握しても、なかなか一つの決定を下せない状況は悪化していく一途です。

ここで不満が生まれてきます。「あの幹事はだめだ!」「いい感じがいるらしい」ということで、新しい感じを連れてくる。その繰り返しです。

ついで、妙案が生まれます。「バイキング」や、行き着く先の「AIがあなたの好みを選定するメニュー」提案です。でもこれって、本当に宴会でしょうか・・。

そこで「鍋料理」です。鍋の特徴は、みんなが参加して作るということにあります。みんなで作るわけなので、料理に失敗してもだれも文句を言いません。材料を買ってくるところから話せば、さらに不満が減ります。作業に参加して十分に話し合いができるので、満足度も高くなることでしょう。かつ、鍋料理はコストも安い。

幹事がやることと言えば、鍋の場をつくることになります。幹事は、決定をおしつけることではなく、会場を設定し、上手に鍋ができるように支援することです。

こうした「運動」を「組織」としてとらえないことも大切です。ひとりひとりの役割を持った人が参加しているフラットな関係性の中に身を置いてみることを考えてみることから、物事の本質につながる発想や感覚は生まれてきます。

楽しくあること、楽しそうであること
運動の面白さは、自分たちで「作っていく」ことにあります。

第7章 社会を変えるには

人が「楽しい」瞬間にもっと素直になってみましょう。どんな時に、楽しい!と感じるでしょうか。

  • あれを買ってきて楽しい。あきたら新しいものを買ってくる。
  • あの政治家がだめだから、今度はこの人に期待してみる。
  • この運動に参加してみたが、いまひとつだから、ほかへ行ってみる。
  • 自分が持っているものを自慢して、他人を批判してみる。

などなど、これって実は本当は楽しくありません。

なぜかといえば、自分が安全地帯にいて、相手をパーツとしてとりかえているだけだからです。

第7章 社会を変えるには

手間がかからずに、自分が傷つくおそれがないかも知れませんが、人間は欲深いので、受け身で消費しているだけでは残念ながら満足することができません。

自分で何か作ってみたり、行動してみたり、関係してみないと、なかなか満足できないものです。動くこと、活動すること、他人とともに「社会を作る」ことは、楽しいことです。すてきな社会や、すてきな家族や、すてきな政治は、待っていても、とりかえても、現れません。自分で作るしかないのです。

第7章 社会を変えるには

社会を変えていくには、自分自身が変わることにあります。自分が変われば、自分の行動が変わります。結果的に、皆とともに、楽しく何か新しい活動を通じて、社会を構成していくことにつながっていくのです。

変わるというキーワードでぜひ、改めて拝読したい1冊があります。ぜひこちらの投稿「【真の「成長」とは!?】トランジション ――人生の転機を活かすために|ウィリアム・ブリッジズ」もあわせてご覧ください。本書とあわせてよりよい刺激を得られます。

まとめ

  • 私たちのもやもやとは!?――自分がどこか「ないがしろにされている」という感覚です。
  • 原発という象徴問題!?――原発の問題に、私たちは人としての普遍的な不満を投影しています。
  • 鍋を囲む!?――自分が変わり、参加し、その結果、活動となり、社会を構成していきます。
小熊英二
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