この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
前の話で、竹田青嗣さんの欲望論を紹介しました。
人間の欲望は、他者との関係の中で生まれ、他者との関係の中でしか満たされない。そして人は、正しさではなく意味によって動く。
今回は、その先を考えたいと思います。
欲望は、抑えれば消えるわけではない。
このことを、私は経営の現場で何度も見てきました。
私たちはしばしば、自分の中にある「どうしようもなさ」を、なんとか抑えようとします。
認められたい。 特別でありたい。 誰かに必要とされたい。 理不尽なことが、どうしても許せない。 正解のないものに、なぜか惹かれてしまう。
こうした感覚は、ときに「未熟だ」「自己中心的だ」と感じさせます。だから押し込める。我慢する。ちゃんとした言葉に換える。
しかし、本当に消えているのでしょうか。
私の観察では、そうではありません。雑に抑えられた欲望は、別のルートから噴き出します。嫉妬になる。皮肉になる。他者を責める気持ちになる。あるいは静かに、無気力になる。承認を過剰に求めるようになる。
欲望は消えたのではなく、地下に潜っただけです。
だから、重要なのは抑えることではない。
私が大切にしているのは、「どうしようもなさ」を否定せずに、それをどういう回路に乗せるか、という考え方です。
しかしここで、もうひとつ大切なことがあります。
社会は、共同体です。
自分ひとりの欲望に、社会はそのまま答えてくれない。どれだけ強い「どうしようもなさ」があっても、それをそのまま社会に投げても、受け取ってもらえないことがほとんどです。
なぜなら、社会には他者がいるからです。それぞれの欲望を持った、無数の他者が。自分の「どうしようもなさ」が、他者の「どうしようもなさ」と交差しながら、社会という共同体は成り立っています。
だから、欲望は編集が必要になる。
自分の内側にある生の欲望を、他者にも届く言葉へ。自分だけの物語を、誰かの物語とも重なれる形へ。自分の「どうしようもなさ」を、社会の中に練り込んでいく作業が必要になります。
これは妥協ではありません。むしろ逆です。欲望を社会に練り込んでいく過程で、欲望はより深くなる。より鋭くなる。より持続するものになっていく。
たとえば、こういうことです。
「認められたい」という感覚があるとします。これを野放しにすると、承認依存になります。比較の地獄になります。しかしこの感覚を「誰かの変化にコミットしたい」という方向に練り込むと、それは人の力を引き出す仕事の原動力になります。社会の中で他者と交わる形を得た欲望は、一人では到達できなかった深さを持ち始めます。
「理不尽なことが許せない」という感覚があるとします。そのまま持て余すと、怒りになり、消耗になります。しかしこれを「だから自分はこういう社会をつくりたい」という方向に練り込むと、それは事業の根拠になります。他者の「許せない」と重なったとき、その欲望は運動になります。
「正解のないものに惹かれる」という性質があるとします。そのままだと散漫になります。しかしこれを「まだ誰も見ていないものを見たい」という方向に練り込むと、それは思考の芯になります。他者との対話の中で磨かれていくとき、その欲望は思想になります。
「どうしようもなさ」は、社会という共同体に練り込まれることで、初めて力を持ち始めます。
ここで、パーパスという概念の正体が見えてきます。
パーパスとは、立派な理念のことではない。
自分の「どうしようもなさ」を、社会という共同体に練り込んでいく試み。他者と交わる形に編集し、共同体の中で意味ある回路へ接続していくプロセス。
それが、パーパスの正体ではないかと思っています。
ずっと認められたかった。理不尽に敏感だった。誰かの可能性が潰れるのを見ていられなかった。正解のないものに、どうしても惹かれた。
こうしたものは、傷でも弱さでもありません。その人がずっと抱えてきた、欲望の核です。そしてその核を「だから自分はこういう世界をつくりたい」へと練り込んでいくプロセスが、パーパスを言葉にするということです。
そのとき大切なのは、社会という共同体への目線を持ち続けることです。自分の欲望が、他者にとってどう意味を持つのか。共同体の中に、どう置かれるのか。その問いと向き合い続けることで、欲望は少しずつ、社会の中で生きられる形になっていきます。
経営の現場で、このことはよく見えます。
強い会社には、必ずといっていいほど、創業者の「どうしようもなさ」があります。
どうしても解決したかった問題がある。どうしても届けたかったものがある。そしてそれが、社会の誰かの「どうしようもなさ」と重なったとき、事業は動き始めます。
「なぜこれをやるのか」を問われたときに、その会社が最も強くなるのは、創業者の欲望が社会に練り込まれているからです。競合と戦略を比べたときではなく、共同体の中で意味を持っているからです。
逆に言えば、意味を失った組織は、この接続が切れた状態です。数字はある。計画はある。しかし、なぜやるのかが見えない。「どうしようもなさ」が社会と切り離されたとき、人は動けなくなります。
もうひとつ、大切なことがあります。
「どうしようもなさ」は、本人が自覚できていないことが多い。
自分では当たり前すぎて、見えていない。あるいは、恥ずかしいと思って、しまい込んでいる。あるいは、あまりにも長くそこにあるので、それが欲望だとすら気づいていない。
だから、読む必要があります。
相手の「どうしようもなさ」を。そしてそれが、どんな形で社会に練り込まれていけるかを。
言葉になっていないものを読もうとするとき、私たちはつい、相手の考えや論理を追おうとします。しかし本当に読むべきは、もっと手前にあるものです。
この人は、何に反応するか。何を話すとき、言葉が止まらなくなるか。何を前にすると、少し前のめりになるか。どんな話題になると、声のトーンが変わるか。
そこを読めたとき、初めてその人の意味の核に近づける気がします。
整理された言葉の中ではなく、思わず出てくる言葉の中に。報告の言葉ではなく、飲み込まれかけた一言の中に。本質は、言葉になっていない方に滲み出ています。
次の話からは、その読み方を具体的に考えます。
五感で読む。文脈で読む。そして仮説で引き出す。ひとつひとつ、丁寧に見ていきましょう。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
