この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ここまで、第2章では「読む対象の奥に何があるのか」を考えてきました。
人や組織の深層には、価値観があります。原体験があります。Z世代の若者たちとの対話で気づいたように、意味はすでにそこにある。外から与えられるものではなく、その人の中にもともと宿っているものです。
しかし、ひとつの問いが残ります。
意味がすでにあると分かっても、どうやってそれを読み取ればいいのか。
どこに耳を澄ませばいいのか。何を手がかりにすればいいのか。
第3章では、その方法を考えていきます。
ただ、方法に入る前に、もう少し根本的なことを問い直したいと思います。
なぜ人は、意味を必要とするのか。
この問いに向き合うことで、「読む」という行為の意味が、もっとくっきりと見えてくる気がするのです。
人はなぜ、意味を必要とするのでしょうか。
この問いに、ひとつの根拠を与えてくれる哲学者がいます。竹田青嗣さんです。主著『欲望論 第1巻「意味」の原理論』の中で、竹田さんはこう論じています。
人間の欲望は、動物の本能的な欲求とは異なる。
動物には、食欲があります。性欲があります。危険を避けようとする反射があります。これらは、生存のための欲求です。しかし人間には、それとは別の欲望がある。
認められたい。役に立ちたい。意味のあることをしたい。誰かに必要とされたい。
こうした欲望は、純粋に生物的なものではありません。他者との関係の中で生まれ、他者との関係の中でしか満たされない。竹田さんはこれを「人間的・社会的欲望」と呼びます。
そしてここが重要なのですが、竹田さんはこう続けます。世界の根本にあるのは、存在と認識の問題ではない。価値と意味の生成である、と。
欲望論については、こちらの1冊「正しさよりも、“欲望”を胸に進もう!?『欲望論 第1巻 「意味」の原理論』竹田青嗣」もぜひご覧ください。

この視点は、経営の世界を見るときに、とても大きな示唆を与えます。
私たちはしばしば、組織の問題を「情報の問題」として捉えます。正しい情報が伝わっていない。正しい分析ができていない。正しい戦略が共有されていない。
しかし、竹田さんの言葉を借りれば、問題の本質はそこではない。
人が動かないのは、情報が足りないからではありません。意味が届いていないからです。
人は正しさに従います。しかし、意味を感じたときに動きます。この差は、とても大きい。
命令されて動く行動と、意味を感じて動く行動では、そこから生まれるエネルギーがまったく違います。前者は消費です。後者は、創造です。
もうひとつ、竹田さんの議論で重要な点があります。
人間の欲望は、本人には「ただ湧いてくるもの」に見えます。しかし実際には、家族との関係、承認された体験、恥の記憶、所属する集団の文化、市場の論理、SNSの空気、こうしたさまざまなものによって、かなり「編成」されている。
つまり人は、自分の欲望を「自分だけのもの」だと思っているけれど、実はかなりの部分が社会に書き込まれている。
だからこそ竹田さんは言います。その仕組みをメタ認知できると、初めて少し自由が生まれる、と。
この考え方に触れたとき、私はあることを思い出しました。
経営者と対話しているとき、その方が最もいきいきと語り始める瞬間があります。事業の数字の話でも、競合分析の話でもない。なぜこの仕事を始めたのか。どんな経験がこの会社をつくってきたのか。何を守りたいのか。そうした話になったとき、言葉の速度が変わります。声のトーンが変わります。
その瞬間に現れているのは、その人の欲望の核のようなものです。長い時間をかけて社会に編成され、まだ十分には言葉になっていない、その人の「どうしようもなさ」のようなもの。
それが、言葉になっていない方に滲み出ています。
整理された報告の言葉の中にではなく。思わず出てくる言葉の中に。止まらなくなる話の中に。あるいは、飲み込まれた一言の中に。
本質は、そちら側にあります。
だから私たちは「読む」必要がある。
言葉になっているものだけを受け取るのではなく、まだ言葉になっていないものに耳を澄ます。そこに、その人が本当に大切にしているものが宿っているからです。
しかし、ここでまた問いが生まれます。
その「どうしようもなさ」を読み取ったとして、それをどう扱えばいいのか。抑えれば消えるものでもない。そのままでは形にもならない。
次の話では、竹田さんの議論のもう一歩奥へ進みます。「どうしようもなさ」を抑圧するのではなく、それをどう社会に接続するか。そこに、パーパスの本当の意味があります。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
