この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
序章では、私自身の話をしてきました。
戦略を持っていっても、経営者が動かなかったこと。提案をやめて、未来の話をしたとき、はじめて言葉が立ち上がったこと。そしてそのとき、答えは自分の外にあるのではなく、相手の中にすでにあったのだと気づいたこと。
あの体験は、私にとって大きな転換点でした。
しかしその後、ひとつの問いが残りました。
なぜ、あのとき経営者は語り始めたのか。何が変わったのか。そして、そもそも「見えないものを読む」とは、どういう行為なのか。
第1章では、その問いに入っていきます。
最初のテーマは「違和感」です。
最近、違和感を感じたことがありますか。
会議の中で、なんとなく引っかかるもの。誰かの言葉を聞いて、うまく言葉にできないもやもや。ニュースを見ていて、「本当にそうなのだろうか」という感覚。
多くの場合、そうした違和感はすぐに流れていきます。忙しいから。次の予定があるから。「まあいいか」と、先に進んでしまう。
でも、その違和感を流してしまうのは、実はとてももったいないことかもしれません。
今回は、違和感というものの正体について考えてみます。
今日、大阪に来ました。
出張です。改札を抜けて、エスカレーターに向かう。いつもの癖で、左側に立ちました。東京ではそれが普通だからです。しかしすぐに気づきました。大阪では、右に立つ。
あわてて右に移る。それだけのことです。
でも、そのとき、ふと引っかかりました。
なぜだろう。
なぜ東京は左で、大阪は右なのか。いつから、そうなったのか。誰かが決めたのか、自然にそうなったのか。調べてみると、これがなかなか複雑な話で——と、ここではその答えには立ち入りません。
私が言いたいのは、答えではなく、この「なぜだろう」という感覚のことです。
エスカレーターの左右など、普段は気にも留めません。
流れに乗って、立つ。それだけです。
でも今日は身体が「あれ?」と反応した。
その小さなズレが、問いを生みました。
これが、違和感です。
大学時代、建築学科に面白い先輩がいました。
卒業論文のテーマが、クラブの研究でした。あの、音楽がガンガンかかっている、ダンスフロアのあるクラブです。先輩が研究していたのは、「どのくらいの人の密度があれば、ノリが上がるか」という問いでした。独自の「ノリ率」とでも呼ぶべきスコアまで打ち立てて、真剣に分析していた。
建築の卒論としては、明らかに異質でした。構造計算でも、都市計画でも、材料の強度でもない。「ノリ」を研究している。
そもそもその先輩は、毎日ハーフパンツにタンクトップ、ナップサックというスタイルで大学に現れる、なかなかのツワモノでした。格好からして、すでに建築学科の文脈にノッていなかった。
言ってしまえば、ノリの研究なのに、既存の文脈にはまったくノッていない。でも、だからこそ面白かった。
でも、それはとても豊かな問いでした。
建築という学問が普段乗っている文脈を、いい意味で破壊していた。だからこそ「人が集まる場所で、何が起きているか」という、建築の本質に近いところに触れることができた。
スムーズに流れないところに、見えてくるものがある。
私は広告会社に長く勤めながら、中小企業診断士の資格を取りました。ふたつの文脈を持つということは、どちらかの言葉が通じない場面に頻繁に出会うということでもあります。
広告の世界では当たり前に使う言葉が、経営の現場では通じないことがある。逆もあります。最初はそれが少し面倒でした。でも次第に、その「通じない瞬間」こそが面白いと思うようになりました。
言葉がずれるとき、文脈がずれています。そして文脈がずれているとき、そこに違う世界の見え方がある。
あるNPO法人と仕事をしていたとき、面白い言葉に出会いました。
コンテンツやイベントを自分たちで作ることを、その法人では「内作(ないさく)」と呼んでいたのです。
私はそれまで「内製」あるいは「インハウス」という言葉を使っていました。意味は同じです。自分たちで作る、ということ。でも「内作」という言葉は、辞書にはおそらく載っていません。その法人が、自然に使うようになった言葉です。
最初に聞いたとき、少し引っかかりました。
なぜ「内製」ではなく「内作」なのか。
その違和感をたどっていくうちに、見えてきたものがありました。
「内製」という言葉には、どこかコスト削減や効率化のニュアンスがあります。外注せず、自分たちでやる、という意味合いです。しかし「内作」には、もっと能動的な響きがある。自分たちで作るぞ、という意気込みのようなものが、その言葉の中に宿っています。
実際にその法人の活動を見ていくと、まさにそういう組織でした。軽やかなマインドセットを持った人たちが、コンテンツもイベントも自ら手を動かして作ることで価値を生み出している。「内作」という言葉は、そのカルチャーをそのまま映していたのです。
言葉の違和感が、組織の本質への入口になっていました。
3つの話を並べてみると、違和感には共通した構造があることに気づきます。
どれも、スムーズに流れなかった瞬間から始まっています。
エスカレーターで身体が「あれ?」と反応したこと。建築の文脈に乗れない卒論が生まれたこと。聞き慣れない言葉に引っかかったこと。
違和感とは、既存の文脈に乗れなくなる瞬間です。
そしてその瞬間は、弱さでも失敗でもありません。むしろ、そこに何かがある、というサインです。流れていたら気づけなかったものが、引っかかったことで見えてくる。
問いは、いつも違和感から生まれます。
あなたの周りにも、こういった違和感はないでしょうか。
言葉にするほどではない、小さな引っかかり。うまく説明できないけれど、どこかしっくりこない感覚。そうした違和感は、日常の流れの中に常に潜んでいます。
ただ、多くの場合、それは流れていきます。
次の仕事が来る。次の会議が始まる。「まあいいか」と、先に進む。
なぜ私たちは、違和感をこんなにも簡単に手放してしまうのでしょうか。
違和感とは、既存の文脈に乗れなくなる瞬間です。そしてその瞬間こそが、思考の始まりです。
エスカレーターの左右。クラブを研究した建築学科の先輩。「内作」という言葉。どれも、スムーズに流れなかったことで、見えてきたものがありました。
問いは、いつも違和感から生まれます。あなたの周りにも、まだ流していない違和感が、きっとあるはずです。
次回は、「なぜ、気づいても動けないのか。」
——違和感を感じているのに、それを口にできない理由について考えます。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
