増田みはらし書店・店主の増田浩一です。
東京・三田にあるコンクリートの建物「蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)」が、曳家されるというニュースを見かけました。
建築家・岡啓輔さんが20年以上かけてセルフビルドでつくり続けてきたこの建築は、もはや「建物」というよりも「思想の住処」と呼びたくなるような存在です。
図面はなく、完成の予定もない。ただ、手を動かしながら、自分の感性と対話しながら、積み上げられてきたコンクリートのかたまり。
その蟻鱒鳶ルが、まるごと別の土地へと動くのです。
これは単なる建築移動ではなく、「世界観ごと引っ越す」ことの象徴ではないかと思いました。

建築家・岡啓輔が笑顔で語る奇跡のような20年 2024.12.17 Tue リンク
世界観を、自らつくるという選択
これまでの人生設計は、「社会に用意された正解に、自分を当てはめること」だったのかもしれません。
どこで働き、どんな家庭を持ち、いつ何をするか。その選択肢の多くは、外から与えられていました。
でも、今は違います。
働き方も、住む場所も、つきあう人も、生きる価値も、自分で決める時代。地図のない時代に、私たちは「どんな世界を生きたいか」を自分で描く必要があるのです。
つまり、人生設計の出発点は、「世界観」になった。
そしてその世界観は、誰かに与えられるものではなく、自分自身の感性や違和感、価値観をたよりに編んでいくものです。
このような「世界観を自分でつくる」生き方は、実は歴史上の偉人たちも実践してきました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家・科学者・発明家の境界を超え、膨大な手稿を残しながらも多くを未完成のまま、生涯にわたって探求し続けました。「万能の天才」と呼ばれた彼の作品の多くが未完成だったのは、完成よりも探求そのものに価値を見出していたからかもしれません。
坂本龍馬は、藩という既存の枠組みから脱藩し、薩長同盟という誰も想像しなかった新しい構造を創造しました。当時「パスポートを持たずに外国へ行く」ようなリスクを冒してまで、自分が信じる世界観を実現しようとしたのです。
宮沢賢治は、故郷岩手をモチーフに「イーハトーブ」という独自の理想郷を造語で表現し、生涯をかけて更新し続けました。現実の地名ではなく、自分の心象世界に理想郷をつくり、そこに向かって歩み続けたのです。
彼らに共通するのは、既存の枠組みに収まることなく、自分だけの世界観を構築し、それを生涯かけて更新し続けたことです。
可搬性のある人生設計とは何か?
曳家とは、「建物ごと動かすこと」。蟻鱒鳶ルがそれを可能にしているのは、見た目の自由さの裏に「構造」があるからです。構造があるからこそ、全体を崩さずに持ち運べる。
人生も、同じではないでしょうか。
自分なりの「構造」を持っている人は、状況が変わっても、自分を見失わない。
たとえば、
- 何を大切にしたいか(価値観)
- どんな時間をどう使いたいか(暮らし方)
- 何に心が動き、何に違和感を覚えるか(感性)
それらを自覚し、組み合わせ、骨組みのように配置しておくことで、人生全体の“構造”ができていきます。
この構造があるからこそ、環境が変わっても、自分の“世界観”を持ち運ぶことができるのです。
世界観は、つくりながら更新するもの
ただし、構造をつくったからといって、それが一度きりの「完成形」であってはなりません。
蟻鱒鳶ルが象徴するように、人生のデザインは「未完成」であることを前提にしてよい。むしろ、日々の経験や出会いのなかで少しずつ手直しされ、組み替えられていく構造こそ、これからの時代にふさわしい姿ではないかと思うのです。
この「つくりながら住む」「住みながらまたつくる」という感覚。失敗も寄り道も、すべてが素材になりうる柔軟な設計。
私たちは、ただ完成を目指すのではなく、変化し続ける世界のなかで、「何度でも、自分をデザインし直せる」力を持つことが、人生を豊かにするのではないでしょうか。
あなたの構造は、どんなかたちをしているか?
世界がめまぐるしく変わるいま、自分の世界観も、柔軟に動かし、更新し続ける必要があります。
蟻鱒鳶ルのように、思想のかたまりをまるごと移動できる時代。それは私たちに、問いかけてきます。
あなたの人生は、持ち運べる構造になっているだろうか?
そして今日、どこをアップデートしてみますか?
「蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)」と、建築家・岡啓輔さんについては、株式会社インフォマートさんのインタビュー記事「「蟻鱒鳶ル」から考える”ゆっくり作る”未来のこと。岡啓輔氏インタビュー。」と、カルチャーメディアCINRAさんのインタビュー記事「「東京のサグラダ・ファミリア」三田の蟻鱒鳶ル、完成へ。建築家・岡啓輔が笑顔で語る奇跡のような20年」が非常に充実しております。ぜひご覧ください。
それでは、また来週お会いしましょう。