みなさん、こんにちは。増田みはらし書店・店主の増田浩一です。
私は、広告会社でマーケティングセクションの部長として組織マネジメントを担当しながら、中小企業診断士としても活動しております。
#考えるノートと題して、週に1回、私がさまざまなご支援のもとで考えたことや、経営者や専門家の方からヒントを頂いたことについて、まとめて発信をしております。
今回は、「必要の用」から生まれる新規事業開発について考えていきましょう。
「必要の用」という原点に立ち返る
多くの企業で新規事業開発が思うように進まない理由、それは出発点にあるのではないでしょうか。
「新規事業を作ろう」という目的から始まるプロジェクトは、しばしば本質的な価値創造に至らないことがあります。
なぜなら、真に価値あるイノベーションは、「今ここで何が必要か」という切実な問いから生まれることが多いからです。
目の前の課題や痛みに真摯に向き合い、それを解決しようとする過程で、思いがけない形で新しい価値が創出される——このプロセスこそが、持続可能なイノベーションの源泉なのです。
「ゑびや」の事例:必要から生まれた創発的イノベーション
この「必要の用から始まるイノベーション」の好例として、老舗飲食店「ゑびや」の変革があります。
10年前、ゑびやは食べログの評価が2.86と低迷し、そろばんと手切りの食券を使用する旧態依然とした経営で、飲食事業の縮小とテナント化を検討していました。
「このままでは立ち行かない」という切実な状況の中、彼らは生き残りのために、目の前の課題に素直に向き合いました。
まずはPOSレジの導入、Excelでのデータ管理など、地道な改善活動から始まった取り組みは、段階的に発展していきます。
AIによる来客予測や画像解析AIカメラの導入など、彼らは決して「新規事業開発」を目指したわけではなく、ただ目の前の問題を解決するために必要なことを、一つひとつ実行していったのです。
そして興味深いのは、この過程で蓄積した知見やノウハウが、「株式会社EBILAB」という新たな事業体の創設につながったことです。
自社の課題解決のために生み出した仕組みが、同じ課題を抱える他の飲食店や小売店にとっても価値があると気づいたのです。
これこそが「必要の用」から生まれる創発的イノベーションの典型と言えるでしょう。
「素直さ」と「健全な怒り」が「必要の用」を見出す鍵
では、この「必要の用」を見出すために最も重要な要素は何でしょうか。
私は「素直さ」と「健全な怒り」だと考えています。
「素直さ」とは何でしょう。
それは現実を直視する勇気、先入観を手放す柔軟性、本音で対話する正直さ、そして直感を信じる純粋さではないでしょうか。
そして「健全な怒り」とは、「このままではいけない」「もっと良くできるはずだ」という強い感情です。痛みが受け身的な感情であるのに対し、怒りはより能動的でエネルギーを持った感情です。
変革の原動力となる、建設的な怒りこそが、イノベーションの種を見出す重要な感情なのです。
ゑびやの事例でも、経営状況の厳しさを素直に認め、「このままではいけない」という健全な怒りのエネルギーが変革を推進したのではないでしょうか。自分たちの知識不足も素直に受け入れ、目の前の課題に真摯に向き合ったからこそ、新たな価値創造につながりました。
この「素直さ」と「健全な怒り」は、企業が成長するほど失われがちな貴重な資質です。
過去の成功体験、既存のビジネスモデル、社内の権力構造など、様々な要因がこれらを阻害します。特に大企業では、現状維持バイアスや組織の慣性が「素直に必要を見る目」を曇らせ、「健全な怒り」が「空気を読む」文化の中で抑圧されがちです。
大企業における「必要の用」発見のジレンマと打開策
大企業において「必要の用」を見出すことが難しい理由は、いわゆる「成功のパラドックス」にあります。成功している企業ほど、切実な「必要の用」が見えにくくなるのです。
だからこそ、多くの企業では「新規事業開発部門」を設置し、イノベーションを制度化しようとします。
しかし、この部門だけで「必要の用」を発見することには限界があります。なぜなら、本質的な「必要の用」は現場の痛みの中にこそあるからです。
ではどうすれば良いのでしょうか。以下に、大企業における「必要の用」発見のための具体的アプローチを考えてみましょう。
1.現場の「痛み」を経営資源として再解釈する
多くの企業で「問題」や「不満」は、解消すべきネガティブな要素として扱われがちです。しかし、これらを「新たな価値創造のための貴重な情報源」として捉え直すことが重要です。
例えば、社内の業務プロセスで最も非効率な部分や、顧客からのクレームが多い領域こそ、実は新規事業のタネが埋まっている可能性があります。
2.「素直さ」と「健全な怒り」を育む組織文化を創る
「現場の声」を直接経営層に届ける仕組みや、失敗を素直に共有し学びに変える文化、肩書きや立場を超えた「素直な対話」の場など、組織全体で「素直さ」を大切にする文化を意識的に育むことが重要です。
同時に、「このままではダメだ」という健全な怒りの感情を抑圧するのではなく、それをイノベーションのエネルギーに変換する文化づくりも欠かせません。建設的な提案を伴う「怒り」は、組織を前進させる貴重な原動力なのです。
「美しい建前」より「不格好な本音」を、「穏やかな現状維持」より「不安定でも進化する挑戦」を優先する姿勢が、真の「必要の用」を発見する土壌となります。
3.小さな問題解決から始める実験的アプローチ
大きな新規事業を一気に立ち上げるのではなく、まずは目の前の小さな課題解決から始め、そこから学びを蓄積していくアプローチが効果的です。
ゑびやの例でも、最初からAIシステムを導入したわけではなく、まずはExcelでのデータ管理という小さな一歩から始めています。この段階的な問題解決の過程こそが、思いがけない価値発見につながるのです。
「必要の用」から始まる創発的イノベーションのプロセス
「必要の用」を起点とした新規事業開発のプロセスを、ステップで整理してみましょう。
ステップその1:素直に「今ここでの必要」に向き合い、健全な怒りを感じる
現状の課題や痛みポイントを、言い訳や正当化なしに素直に認識します。「なぜこれが必要なのか」「誰にとって必要なのか」「本当の課題は何か」を深堀りし、表層的な症状ではなく、根本的な「必要の用」を見出します。
同時に、「このままでは良くない」「もっと良くできるはずだ」という健全な怒りの感情を抱くことも重要です。この感情こそが、問題解決のエネルギー源となるからです。
ただし、単なる不満や愚痴ではなく、「より良くするための建設的な怒り」であることが肝心です。
ステップその2:全力で問題解決に取り組み、知見を蓄積する
見出した「必要の用」に対して、全力で解決策を考え、実行します。
この過程では「新規事業を生み出そう」という意識よりも、「目の前の課題を解決しよう」という純粋な問題解決志向が大切です。
解決策を試行錯誤する中で得られる気づきや知見を丁寧に記録・蓄積していきます。
ステップその3:解決過程で生まれた副産物に可能性を見出す
問題解決の過程で生まれた副産物(技術、ノウハウ、仕組みなど)に対して、「これは他でも活用できるのではないか」という視点で可能性を探ります。
ゑびやの例では、自社の経営改善のために開発したシステムやノウハウが、他の飲食店や小売店にも価値があると気づいたことが重要なポイントでした。
ステップその4:得られた知見を抽象化し、新たな価値として再定義する
具体的な問題解決から得られた知見を抽象化し、より普遍的な価値として再定義します。
「私たちが解決した課題は、実は多くの企業が抱える共通の課題なのではないか」という視点で捉え直すことで、新規事業の種が見えてきます。
コミュニケーションとマーケティングにおける「必要の用」の活用
この「必要の用」を起点とするアプローチは、新規事業開発だけでなく、コミュニケーションやマーケティングにおいても大きな示唆を与えてくれます。
「売りたいもの」から「必要なもの」への視点転換
多くのマーケティング活動は「売りたい商品・サービス」から発想されがちですが、真に響くコミュニケーションは「顧客にとって何が必要か」という視点から生まれます。
自社の「必要の用」から生まれた解決策は、同じ課題を抱える顧客にとっても価値があるものです。
ゑびやがEBILABを通じて提供するサービスが説得力を持つのは、彼ら自身が実際に課題を抱え、それを解決した経験があるからこそです。
自社の課題解決が最高のマーケティングストーリーになる理由
「私たちも同じ課題を抱えていました」と語ることほど、共感を生むストーリーはありません。自社の痛みから生まれた解決策だからこそ、同じ痛みを持つ顧客の心に深く響きます。
このような真実に基づくストーリーは、作られたマーケティングメッセージよりも遥かに強い説得力を持ちます。ゑびやの変革物語が多くの共感を集めているのも、それが切実な必要から生まれた本物のストーリーだからでしょう。
まとめ:「素直さ」と「健全な怒り」を基盤とした新規事業開発の原則
最後に、「必要の用」から始まる新規事業開発の核心をまとめておきましょう。
「テーマ出し」から「テーマ見つけ」へのパラダイムシフト
従来の新規事業開発では、「どんな新事業のテーマを設定するか」というテーマ出しから始めることが多いですが、「必要の用」アプローチでは、すでに組織の中に埋もれている課題や解決策の中から、新事業の種を「見つける」という姿勢が重要になります。
課題設定の会議室から現場の最前線へ、計画からの発想から観察による発見へ——この視点の転換こそが、真に価値あるイノベーションの出発点なのです。
計画されたイノベーションを超える創発的イノベーションの可能性
事前に緻密に計画されたイノベーションよりも、現場の必要から創発的に生まれるイノベーションの方が、しばしば強い生命力を持ちます。
なぜなら、それは実在する痛みや怒りから生まれた本物の解決策だからです。
痛みは「ここに問題がある」ことを教え、怒りは「それを変えなければならない」というエネルギーを与えます。
この2つが結びついたとき、真のイノベーションが生まれるのです。
「いま・ここ」に素直に向き合うことが未来を切り拓く逆説
新規事業を生み出すには「未来志向」が重要と言われがちですが、実は「いま・ここ」の課題に素直に向き合うことこそが、結果として最も確かな未来を切り拓く道となる
——これが「必要の用」から始まるイノベーションの逆説的な知恵ではないでしょうか。
「新規事業を作ろう」ではなく「今、何が必要か」から始める。そして、その解決策の中に新たな価値を見出していく。
このシンプルでありながら奥深いアプローチが、持続可能なイノベーションの源泉になると私は考えています。
皆さんの組織でも、「必要の用」という視点から、身近な課題解決を見つめ直してみてはいかがでしょうか。そこには、思いがけない新規事業の種が眠っているかもしれません。
それでは、また来週お会いしましょう。
いま・ここにフォーカスする着眼点については、こちらの1冊「【成功に、必要なこととは?】成功をめざす人に知っておいてほしいこと|リック・ピティーノ,弓場隆」もぜひご覧ください。
