めがねが教えてくれた「心地よい解像度」の価値――あえての曖昧さが生み出す創造性

めがねが教えてくれた「心地よい解像度」の価値――あえての曖昧さが生み出す創造性

みなさん、こんにちは。増田みはらし書店・店主の増田浩一です。

私は、広告会社で内外連携のもと新規事業を生み出していくインキュベーションセンターマネージャーの役割をいただきながら、中小企業診断士としても活動しております。

#考えるノート と題して、週に1回、私がさまざまなご支援のもとで考えたことや、経営者や専門家の方からヒントを頂いたことについて、まとめて発信をしております。

今回は、「眼鏡の度数調整」から気づいた「適切な解像度」の価値について考えていきたいと思います。

「見えすぎる」ことの不思議な疲労感・・・

先日、長年愛用していた眼鏡を新調する機会がありました。視力の低下を感じていたこともあり、思い切って度数を強めにしてみたのです。

それで、確かに世界は鮮明に見えるようになりました。

遠くの看板も、書類の小さな文字も、かつてないほど明確に認識できます。

ところが、使い始めて数日経ったころ、なんとも言えない疲労感に襲われました。

「目が良くなりすぎて、疲れているのかな?」
「あれ、40にして、もしかしたら老眼!?」

ちょっと不思議に&不安に思いながら、めがねやさんに相談に行くと、店員さんから興味深い説明を受けました。

「もしかしたら、度数が高すぎちゃったかもしれませんね・・・
実は、人間の目と脳は、必ずしも全てを鮮明に見ることを求めていないんですよね。ある程度の『曖昧さ』の中で予測しながら世界を認識することに慣れているんです」

と、ご親切にもご説明を丁寧にいただきながら、保証の範囲内で、レンズの度数を見直していただきました。感謝・・(泣)

そして、店員さんの言葉が、私の中で大きな気づきにつながりました。

適切な解像度という考え方

私たちは無意識のうちに、「より鮮明に」「より高解像度で」「より多くの情報を」という方向に価値を見出しがちです。

しかし、人間にとって本当に心地よいのは、必ずしも「最高の解像度」ではなく「適切な解像度」なのかもしれません・・・。

考えてみれば、私たちの日常は案外、曖昧さの中で過ごしています。

遠くのものはぼんやりと見え、周辺視野はそれほど鮮明ではなく、記憶も完璧ではありません。そうした「不完全さ」の中で、私たちは想像力を働かせ、予測しながら世界と関わっているのです。

全てが鮮明に見えすぎると、脳は処理しきれない情報量に疲弊してしまう。

この気づきは、ビジネスや情報設計にも応用できるのではないでしょうか。

日本文化に根付く「あえての曖昧さ」の美学

視野を広げてみてみると、この「適切な曖昧さ」という考え方は、実は日本文化に深く根付いています。

例えば、日光東照宮の陽明門には「逆柱(さかばしら)」と呼ばれる柱があります。

これは一本だけ、あえて上下逆さまに設置された柱です。完璧な建物を作ると神の怒りを買うという考え方や、あえて不完全にすることで災いから守るという思想が込められています。

また、日本画における余白、俳句における省略、「間(ま)」の概念など、日本文化には「全てを表現しない」美意識が脈々と受け継がれています。

説明しきらず、余白を残すことで、見る人や読む人の想像力を喚起し、より深い共感や理解を生み出す知恵があるのです。

ビジネスにおける「適切な解像度」の価値

この「適切な解像度」「あえての曖昧さ」という考え方は、現代のビジネスにも重要な示唆を与えてくれます。

1.情報提供における適切な解像度

情報過多の時代、すべての情報を高解像度で提供することが必ずしも価値を生むわけではありません。

例えば、プレゼンテーションで細部まで説明しきるよりも、重要なポイントを明確にし、余白を残すことで、聞き手の想像力や思考を促す方が効果的なことがあります。

また、もうひとつの事例として、マニュアルや説明書の類なども同様かもしれません。
すべての手順や例外を詳細に記載するよりも、基本的な考え方と重要なポイントを押さえ、あとは利用者の文脈に合わせた応用を促す方が、かえって使いやすいマニュアルになることがあります。

2.製品開発における「あえての不完全さ」

製品開発においても、すべての機能を完璧に作り込むのではなく、あえて余白や拡張性を残すことで、ユーザー自身が自分なりの使い方を見つけ、愛着を持って長く使い続ける製品が生まれることがあります。

例えば、無印良品の製品などは、極力装飾を省いたミニマルなデザインですが、それゆえにユーザーの生活に溶け込み、長く愛用されています。

完璧すぎるデザインよりも、ユーザーが自分なりの意味を見出せる余白があることが、かえって価値を高めているのです。

3.顧客とのコミュニケーションにおける「余白」

顧客との対話においても、すべてを説明しきるのではなく、適切な「余白」を残すことで、顧客自身が考え、気づく余地を作ることが大切です。

例えば、コンサルティングの現場では、解決策をすべて提示するよりも、クライアント自身が「自分で見つけた解決策」と思えるような支援の方が、実行力と定着度が高まることがあります。

全て与えるのではなく、共に考え、発見する余地を残す。それが真の支援ではないでしょうか。

「見えすぎない」ことの智慧

眼鏡の度数調整という小さな体験から、私は「適切な解像度」という大きなテーマに気づかされました。

すべてを鮮明に見せることよりも、適切な曖昧さや余白を残すことで、人間の創造力や想像力が活性化し、より深い理解や共感が生まれるのではないでしょうか。

「より多くの情報」「より鮮明な映像」「より詳細な説明」という方向性が必ずしも価値を生まないことは、実は私たちの身体が教えてくれていたのかもしれません。

技術の進化と人間中心の設計のバランスを考える上で、この「適切な解像度」という視点は、重要な示唆を与えてくれるように思います。

みなさんもぜひ、自分の事業やプロジェクトにおける「適切な解像度」「心地よい曖昧さ」について考えてみてはいかがでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。また来週の #考えるノート でお会いしましょう。

余白の魅力については、こちらの投稿「【余白が、継続のキー!?】「やりたいこと」も「やるべきこと」も全部できる! 続ける思考|井上新八」でもぜひご覧ください。

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