「パーパス」という言葉をよく耳にするようになりました。企業の存在意義、個人の生きる目的といった文脈で語られることが多いこの概念。しかし、パーパスは、どのように表現されるべきなのでしょうか。
「パーパス」自体の意義意味について触れてほしいというラジオの企画をいただきました。その中のアジェンダに、「パーパスなキャラクターのセリフとは?」というもがありました。
でも、なかなかパーパスがセリフになっているケースが無くて困っていたんです。クロードAIに聞いてみたところ以下のような返答。
- ONE PIECE(尾田栄一郎)――ルフィ:「海賊王に俺はなる!」
- 機動戦士ガンダム(富野由悠季)――アムロ・レイ:「僕は、自由のために戦いたいんだ。」
- 北斗の拳(原哲夫、武論尊)――ケンシロウ:「お前はもう死んでいる。」
- 名探偵コナン(青山剛昌)――江戸川コナン(工藤新一):「真実はいつもひとつ!」
うーん。
たしかにどれもセリフであり、しかも決めゼリフと言われているものです。そして、それぞれのキャラクターの生き様が表現されていて、印象には残るのですが、必ずしも存在意義や意味を語っているかと言うと少し違うような・・・。
「海賊王」になるのも、「自由のために」戦うのも、それはそうなんですけど、パーパスって、社会とかもっとみんなとの関係性を表現されているはずですよね。「すでに死んでいる。」と言われてもな。むずかしい。
物語におけるパーパスの表現
物語の中で、キャラクターが自身のパーパスを直接言葉にすることは稀なのかも知れません。
それは、物語自体が物語として語られていることに関わっています。物語とは、登場人物の存在意義を営みとして間接的に描き出すものです。そのために、作者は、キャラクターの正確設定、背景、他者との出会いややり取りのディテール(細部)を描きこむことで、あくまで間接的に、その物語が伝えたいテーマを感じて頂く工夫をします。
例えば、ある主人公が困難に立ち向かうという物語があったとします。その主人公は自身の信念(存在意義)に基づいて、行動します。無鉄砲なところがあるかも知れないし、涙もろいところがあるかも知れない。
そういった自身の性格を存分に見せつけながら、仲間とのやりとりのシーンの中で、「困難に立ち向かうことの勇気や行動力のすばらしさ」を感じてもらうようにお話を展開するのです。
ちなみに、物語の作り方については、こちらの1冊「【「人格」を大切にせよ!?】シナリオ・センター式 物語のつくり方|新井一樹」が大変興味深い内容を提供してくれます。おすすめです。
主人公の内なる声、すなわちパーパスの表れと言えるでしょう。主人公のパーパスは、直接の言葉ではなく、行動と物語の展開を通して示されているのです。
企業活動とパーパスの関係
まぁ、たしかに存在意義や意味を直接語られることは、ナンセンスなのかも知れません。センスとは何かという議論もありますが、これはまた別のタイミングで考えてみましょう。
それまでは、こちらの1冊「【センスとは、ひとりひとりの自由である!?】センスの哲学|千葉雅也」もご覧いただけると嬉しいです。
物語の構造から学べるのは、パーパスを直接語ることではなく、キャラクター(特定の個人)の行動として、間接的に行動として実体化するということです。
企業のパーパスを考える上でも、示唆があるように思います。それはすなわち、従業員ひとりひとりの言葉や活動によって、全体としてパーパスという壮大な意義意味を感じて頂くこと、それが、企業活動であるということです。
物語の構造から学べるのは、パーパスを実体化するには、個人の行動が不可欠だということです。企業においても同様で、パーパスを言葉で定義するだけでは不十分です。従業員一人ひとりが、パーパスを自分事として捉え、日々の活動に反映させることが肝要なのです。
パーパスを実現するには、商品開発、顧客サービス、社内コミュニケーションなど、あらゆる場面で従業員がパーパスを意識して行動する必要があります。一人ひとりの小さな行動の積み重ねが、企業全体のパーパス実現につながっていくのです。
パーパスを生かし、生きるために?
パーパスは、心の奥底から生まれる声であり、行動によって実体化されるものです。物語のキャラクターが示すように、その信念から生み出される言葉だけではなく、一挙手一投足にパーパスを宿らせることが大切なのです。
そのためには、パーパス自体を一人ひとりの個人が噛み砕き、自分なりの理解をして、現場という「シーン」で、言葉や行動の「選択」として少しずつ積み重ねていけるか、ということです。
物語も、そして、企業も、ひとつの大きなテーマを持ちながらも、終わりのないストーリーを紡ぎ出していきます。そしてそれは、パーパスという名前のディテールに宿る魂が、目には見えないが、たしかにそこに感じられる骨子を提供するものなのでしょう。