山口裕之『「みんな違ってみんないい」のか?』――「人それぞれ」で終わらせない対話の作法

山口裕之『「みんな違ってみんないい」のか?』の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「正しさは人それぞれ」という言葉は、対立を避けるための便利な最後通牒です。山口裕之が言語学・科学哲学・道徳感情の議論を横断しながら、対話によって「より正しい正しさ」を作っていく手続きを描き出しています。
 
1.対立回避の正体:「人それぞれ」という言葉が、対話を打ち切るための最後通牒として機能している構造を理解します。
2.普遍性の手がかり:言語や色彩語彙の研究が示す、人間が思うほど「それぞれ」ではないという事実を知ります。
3.合意形成という手続き:科学者が仮説を検証していく過程に学び、組織における「より正しい正しさ」の作り方を掴みます。

  • 「正しさは人それぞれですよね」――この一言で、対話を終わらせてしまった経験はないでしょうか。
  • 実は、この言葉は多様性を尊重しているように見えて、対話そのものを放棄するための便利な逃げ道になっていることが少なくありません。
  • なぜなら、「人それぞれ」という言葉は、相手の主張の根拠を問うことも、自分の考えの根拠を示すことも不要にしてしまうからです。合意形成という面倒な手続きを、まるごと省略できてしまいます。
  • 本書『「みんな違ってみんないい」のか?――相対主義と普遍主義の問題』は、こうした「人それぞれ」という態度がどこから生まれ、どのような限界を持つのかを、言語学・科学哲学・道徳感情の議論を横断しながら解き明かしていきます。
  • 本書を通じて、私は「正しさ」とは誰かが独断で決めるものでも、それぞれが好き勝手に主張するものでもなく、対話と合意形成という手続きを経て作られていくものだという視点を、経営やチーム運営の現場に重ねて考えていきたいと思います。

山口裕之さんは、1970年奈良県生まれ、徳島大学総合科学部教授として、フランス近代哲学と科学哲学を専門にしてこられた研究者です。

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を経て、2002年に博士(文学)の学位を取得しています。『コンディヤックの思想』『人間科学の哲学』『認知哲学』『コピペと言われないレポートの書き方教室』『ひとは生命をどのように理解してきたか』など、哲学と科学の境界を丁寧に往復する著作を数多く手がけてきました。

専門的な議論を、高校生でも読み解けるほど平易な言葉に翻訳する筆致に定評があり、本書もその姿勢が貫かれています。

「正しさは人それぞれ」に潜む思考停止――対立回避の構造

まず私が考えたいのは、「正しさは人それぞれ」という言葉が、実際には何をしているのかということです。

対話を終わらせる最後通牒

「正しさは人それぞれ」「みんな違ってみんないい」という言葉は、一見すると多様性を尊重する優しい態度に見えます。

しかし、よく考えてみると、この言葉が使われる場面には共通したパターンがあります。

意見の異なる相手と話し合い、「結局、わかりあえないな」と感じたときに、対話を打ち切るための決まり文句として発動されるのです。

これらの言葉は、言ってみれば相手と関わらないで済ますための最後通牒です。

この指摘は、経営やチーム運営の現場に身を置く私にとって、非常に耳が痛いものでした。会議の場で「まあ、人それぞれの考え方がありますからね」と言って議論を収めてしまうことは、一見すると角が立たない配慮のように見えます。しかし実際には、お互いの考えの根拠を突き合わせるという、面倒だが本質的な手続きを放棄しているにすぎません。

実存主義の流行と相対主義の広がり

こうした「人それぞれ」という感覚は、いつどこから広まってきたのでしょうか。

本書は、その源流のひとつを、第一次大戦後のドイツでハイデガーらが唱えた実存哲学の流行に見ています。「実存」とは、一人ひとりの人間の具体的なあり方のことであり、「現実に存在している」ということが要するに「ひとりひとりの具体的なあり方」なのだと考える立場です。

この考え方は、やがて文化人類学や科学哲学にも波及し、「正しさは文化や時代によって異なる」という文化相対主義的な主張が広く支持されるようになっていきます。

私自身、これまで「正しさはその人の育った背景を通して培われるものであり、その背景は時代や文化によって異なる」と、素朴に信じていた部分がありました。しかし本書を読み進めると、この「それぞれ」という前提自体が、あらためて検討を要するものだと気づかされます。

SNS時代に強まる「人それぞれ」の逃避

さらに本書が指摘するのは、こうした態度が現代のSNS環境と結びついて、罵詈雑言や誹謗中傷と表裏一体になっているという点です。自分の気に入らない主張に対して感情的な言葉をぶつける一方で、根拠のない自分の正しさについては一切吟味しない。「正しさは人それぞれ」という言葉は、そうした思考停止を助長してしまいます。

経営という仕事において、私たちは日々、価値観の異なる人々と向き合っています。だからこそ、「人それぞれ」という言葉で対話を終わらせるのではなく、なぜそう考えるのかという根拠を、お互いに差し出し合う姿勢が求められているのだと、あらためて思います。

科学・言語に見る普遍性の手がかり――チョムスキーの言語生得説と色彩語彙の研究

「人はそれぞれ違う」という前提そのものが、実はそれほど強固ではないという手がかりを、本書は言語学の知見から示してくれます。

世界の色彩語彙に見る緩やかな共通性

人類学者ブレント・バーリンと言語学者ポール・ケイが行った古典的な研究では、世界のさまざまな言語の色名を比較し、「もっとも基本的な色」として選ばれる色にはほぼ一定の傾向があることが明らかになりました。

白・黒・赤・緑・黄・青・茶・紫・ピンク・オレンジ・グレーの11色が、多くの文化圏で共通して基本色として扱われているというのです。色の名前という、いかにも文化ごとにばらばらになりそうな領域においてさえ、人間の身体構造に根ざした緩やかな共通性が見出されます。

チョムスキーが指摘するように、色の見え方には人類普遍性がありながらも、日本語の「青」がフランス語では緑の畑を含んで扱われるように、名前の区分の仕方には多少のばらつきも存在します。つまり、完全に同一でもなければ、まったくの「それぞれ」でもない。この中間地帯にこそ、本書のいう「普遍性の手がかり」があるのだと思います。

チョムスキーの言語生得説が示す人間の共通基盤

もうひとつ興味深いのが、チョムスキーの言語生得説です。子どもは、大人が「これはリンゴだよ」と一度指さしただけで、その名前が色でも形でも大きさでもなく、物体そのものを指していることを理解します。指の先にあるものが何を指しているのか、経験だけからは論理的に決定できないはずなのに、子どもたちは迷うことなくその意味にたどり着きます。チョムスキーは、これを人間が生まれつき持つ言語獲得の仕組みによるものだと考えました。

言語という、文化によって最も多様に見える領域の奥底に、人類に共通する認知的な土台がある。この事実は、「正しさ」や「価値観」についても、文化や個人によってまったくばらばらだと決めつける前に、共通する基盤を探る余地があるのではないか、と私に問いかけてきます。

「それぞれ」ではなく「共通した土台」がある

経営の現場でも、私たちはしばしば「世代が違うから」「立場が違うから」という理由で、対話をあきらめてしまいがちです。

しかし本書が言語学の知見を通じて示しているのは、人間はそれほど「それぞれ」ではないという事実です。表面的な意見の違いの奥に、共通する関心や前提が眠っていることは少なくありません。

組織の対話においても、違いを強調する前に、共通した土台を探すという発想の転換が、案外大きな突破口になるのではないかと考えています。

対話によって「より正しい正しさ」を作る手続き――クーンの科学哲学と社会的合意形成

ここまでの議論を踏まえて、本書は「では、正しさはどのようにして作られるのか」という核心に進んでいきます。

クーンのパラダイム論と「理論の比較不可能性」

科学哲学者トーマス・クーンは、天動説と地動説のどちらが正しいかを、地動心臓部に立てば地動説も天動説も周転円も理論に含まれているという事情から、単純な観測データだけでは決められないと論じました。

異なった知の体系同士は、優劣を比較するための共通の物差し自体が成立しない場合がある、というのがクーンの「理論の比較不可能性」という考え方です。

この主張は1960年代以降、文化相対主義を科学哲学の側から支持する根拠として広く受け止められていきます。しかし本書は、クーンの主張がしばしば誤解されていることを丁寧に解きほぐします。

正しさは人それぞれだから、対立する両者を比較することはできない、ということにはならないのです。

比較する基準がすぐには見つからないということと、正しさが最初からそれぞれ勝手に決まっているということは、まったく別の話だという整理は、経営における意思決定の場面にもそのまま応用できる視点だと感じます。

道徳的な正しさも社会的な手続きによって作られる

本書はさらに、道徳的な正しさについても、誰かが独断で決めるものでも、個人が勝手に感じるものでもなく、社会的な合意形成の手続きを経て作られてきたものだと論じます。

人間には、他者の喜びや不正に共感する進化的・生物学的な仕組みが備わっている一方で、その感情がどのように社会的なルールへと結晶化していくかは、当事者たちの声を聞き、思考停止せずに議論を重ねるという手続きにかかっています。

かつて社会的に当然とされていたルールが、そこに巻き込まれる人たちの声によって問い直され、更新されてきた歴史を思い返すと、「正しさ」とは固定された絶対的なものではなく、絶えず更新されうる暫定的な合意なのだという実感が強くなります。

経営における「より正しい正しさ」の作り方

この視点は、そのまま組織運営の指針になると私は考えています。

経営における「正しさ」もまた、経営者ひとりが独断で決めるものでも、社員それぞれが好き勝手に主張してよいものでもありません。事実と論理にもとづいて思考し、共有できる「より正しい正しさ」を、対話を通じて作っていくというプロセスそのものが、組織の合意形成の本質なのだと思います。

「正しさは人それぞれ」と言って議論を打ち切るのではなく、「なぜそう考えるのか」を粘り強く問い合う。この地味な手続きの積み重ねこそが、暴力にも独断にも頼らない、健全な組織文化を作っていくのだと、本書を通じて確信しました。

正しさとそれぞれの世界観については、こちらの1冊「朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる』――正しさとは、ひとつの仮説である」もぜひご覧ください。

まとめ

  • 「正しさは人それぞれ」に潜む思考停止――対立回避の構造――「人それぞれ」という言葉は、対話を打ち切るための最後通牒として機能してしまうことがあります。
  • 科学・言語に見る普遍性の手がかり――チョムスキーの言語生得説と色彩語彙の研究――言語や色彩語彙の研究は、人間が思うほど「それぞれ」ではなく、共通する認知的土台を持っていることを示しています。
  • 対話によって「より正しい正しさ」を作る手続き――クーンの科学哲学と社会的合意形成――正しさは独断でも相対主義でもなく、対話と合意形成という手続きを経て、絶えず更新されていくものです。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

「人それぞれ」と言わずに、意見の違う相手とどう向き合えばよいですか?

相手の主張の根拠を問い、自分の考えの根拠も差し出すという、地道なやり取りを避けないことです。すぐに納得し合えなくても、対話を続ける姿勢そのものが、より正しい正しさへの一歩になります。

組織の中で価値観の異なるメンバーが対立したとき、どう合意形成を進めればよいですか?

違いを強調する前に、共通する関心や前提を探ることをお勧めします。人はそれほど「それぞれ」ではないという前提に立つと、対立の奥にある共通の土台が見えてくることがあります。

「正しさ」は結局のところ誰が決めるものなのですか?

特定の誰かが独断で決めるものではなく、事実と論理にもとづいて対話を重ねた結果として、当事者たちの間で暫定的に共有される合意です。だからこそ、その手続きに参加し続けることが重要です。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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