中屋敷均『生命とは何か 溶けていく「個体」の境界線』――「合体」がもたらす経営進化論

中屋敷均『生命とは何か 溶けていく「個体」の境界線』の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「個体」という輪郭は、実は防御しながらも常に外部と交わり続ける、便宜的な仮構に過ぎません。中屋敷均さんが生命科学の知見から解き明かす、境界を守ることと外部と合体することの両立が、経営に新たな視座を与えてくれます。
 
1.境界の相対化:自己と他者を隔てる線は、免疫が防御しながらも常に外部と接触し続ける、流動的なものだと捉え直す。
2.合体という進化戦略:異質なものを取り込み、融合することで、単独では到達できない機能を獲得する営みに注目する。
3.守破離としての経営:型を保存する力と、型を破り新しい形へと開いていく力を、同時に働かせる経営のあり方を考える。

  • 「わたし」や「自社」という輪郭は、いったいどこまで確かなものでしょうか?
  • 実は、生命科学の最前線では、個体という概念そのものが、共生と融合の歴史の中で生まれた便宜的な仮構に過ぎないという見方が広がっています。
  • なぜなら、私たちの体を構成する細胞そのものが、かつて独立していた微生物との合体によって成立してきた歴史を持っているからです。
  • 本書は、免疫による境界の防御から、腸内フローラという第二の臓器、ミトコンドリアや葉緑体の共生、そして生命が40億年かけて磨いてきた守破離のシステムまでを、一貫した視点で描き出しています。
  • 本書を通じて、自社の境界を固定的に守ろうとする姿勢と、外部と合体して新しい形へと開いていく姿勢を、経営としてどう両立させるかを考えていきたいと思います。

中屋敷均さんは、分子生物学、とりわけ真菌(カビ)のウイルスやトランスポゾンを専門とする研究者です。神戸大学大学院農学研究科教授として、生命の根源的な仕組みに向き合い続けてこられました。

専門的な研究の傍ら、生命現象を哲学的な問いへと接続する筆致に定評があり、『ウイルスは生きている』などの著作でも知られています。ミクロな分子の挙動から、「個体とは何か」「わたしとは何か」という大きな問いへと橋を架けていく姿勢に、研究者としての誠実さと、思考する人間としての深さの両方を感じます。

本書もまた、解離性同一性障害の事例から始まり、腸内細菌、細胞内共生、意識の哲学、そして生命進化の原理へと、驚くほど広い射程で「個体」という概念を解体していきます。専門領域に閉じない、越境する知性のあり方そのものが、本書の魅力だと思います。

境界を守ることの限界に気づく

免疫という精緻な防御システムを持ちながら、私たちの体は常に外部と接触し続けています。

この矛盾を直視することが、自前主義からの脱却の出発点になります。

ヒトの体表面積の多くは「外界」との接触面である

自然免疫や獲得免疫といった生体防御機構は、体の外側にあろうとする異物の侵入を許さない、原則的には異物の存在に寛容でない場所だとされています。

しかし実際には、皮膚だけでなく口腔、鼻腔、気道、腸管腔、呼吸器などを含めた粘膜の表面積は、皮膚の200倍以上にもなります。

消化管粘膜の表面積は、実に400平米(テニスコート1.5面分)にもなるとされており、外側の皮膚表面積の200倍以上である。動物にとって、消化管は最大の異界との接触の場であり、外界にどんな異物があるのか、その異物に対してどのような対応をするのか、そこから得られる情報が、我々の健全な免疫システムの維持の鍵となっている。

この事実は、境界を守るという行為そのものが、実は外部との広大な接触面を前提にしているということを教えてくれます。

企業においても、コンプライアンスや情報管理といった「守り」の体制は、外部と接する領域を広く持つ組織ほど、精緻に設計する必要があるはずです。

体を構成する細胞数より微生物の総数のほうが多い

私たちの体内にある微生物の総数は、少なくとも私たちの体を構成する細胞の数と同等か、それ以上と推定されています。ヒトの体を構成する細胞の数は約37兆2000億個とされていますが、そこに常在する微生物たちは、それと同等かそれ以上の規模で存在しているのです。

さらに、腸内フローラは個人によって大きく異なり、その構成比は食生活、遺伝、年齢といった要因によって、一人ひとり固有のものになっています。腸内フローラを構成する細菌種は約150属といわれ、非常に複雑な生態系ネットワークを持つ、いわば「臓器」としての性質を帯びているといいます。

これは経営にとっても示唆的です。

組織の「内部」だと思っている領域の多くは、実は取引先、顧客、地域社会といった外部の存在によって、日々つくり変えられ続けています。純粋に自社だけで完結する組織など、実際には存在しないのだと思います。

「合体」がイノベーションを生む

境界を守るだけでなく、異質なものを取り込み融合することで、生命は新しい機能を獲得してきました。この「合体」の力学こそが、イノベーションの本質だと考えています。

ミトコンドリアはかつて独立した微生物だった

細胞内共生説によれば、現在私たちの細胞の中でエネルギーを生み出しているミトコンドリアは、もともと独立して生きていた微生物でした。それが宿主となる細胞に取り込まれ、長い共生の歴史の中で、細胞小器官として完全に組み込まれていったのです。

クリプト藻という生物は、この合体の途上にあるような、興味深い存在です。紅藻を細胞内に丸ごと取り込み、光合成を行う共生体としていますが、その証拠に、宿主由来の細胞膜と紅藻由来の細胞膜という、二重の膜構造を今も保持しています。

クリプト藻の中には、ヌクレオモルフと呼ばれる、約500個の遺伝子がコードされ、実際に機能している共生体自身の核が、かなりの容積を持って独立して存在している。

かつて外部だったものが、時間をかけて内部化されていく。

この過程そのものが、生命にとってのイノベーションのモデルだと感じます。

ウミウシは藻類の葉緑体だけを盗んで光合成する

盗葉緑体現象と呼ばれる現象があります。エリシア・クロロティカという北米大西洋沿岸に生息するウミウシは、藻類を食べた際に、その葉緑体だけを体内に取り込み、自らの細胞の中で光合成を行わせるのです。

動物でありながら、光合成をする動物が存在する。この事実は、既存の型(動物)を保ちながら、外部の機能(葉緑体)を部分的に取り込むという、柔軟な合体のかたちを示しています。

企業に置き換えれば、これは自社の事業構造をすべて変えることなく、外部のケイパビリティを部分的に取り込み、新しい価値創出の回路を持つという発想に近いと思います。全面的な統合でなくとも、機能単位での合体は十分に可能なのです。

守破離としての経営を考える

本書のあとがきで語られる「守破離」の理論は、情報の保存と変革という、相反するベクトルの両立として生命進化を捉え直しています。ここに、経営が学ぶべき最も本質的な示唆があると思います。

情報の保存と変革は相反するベクトルである

生命の原理とは「情報の保存」と「情報の変革」という、ふたつの相反するベクトルが相互に作用するプロセスだと捉えることができます。

同じことをただ繰り返すだけでは、発展も進化もありません。
しかし、正反対のベクトルをただ繰り返すだけでも、正反対の力に敵わないのです。

どんな芸でも、伝統的な「型」というものは、生命の情報の保存を極めて大切にするシステムと、同じことの一種の相似形であり、私はそう思っている。生命が継続していくためには、次の「幸運」を生み出すための、さらなる環境への適合するような「破」を生み出す、奇才(変異)が必要だが、そこに個人の創意を入れてみれば、それはこの世界にあまねく観察されるはずである。

型(守)を保存しながら、環境の変化に応じて型を破り(破)、新たな形(離)へと展開していく。

このサイクルこそが、企業が長く存続していくための基本戦略だと考えます。

「幸運」は多くの場合、外側に開かれた姿勢から生まれる

多くの場合、幸運の「型」より優れた新種の誕生は、想像もつかないような複雑化として、あまねく観察されるはずです。生命は死に絶えてしまう危険を冒しながらも、外側に開かれたオープンソース性を、その根源的な性質のひとつとして持ち続けてきました。

これは、ブランディングの実践においても、示唆に富む視点です。

自社の内発的な何かだけに閉じるのではなく、パーパスを軸にしながら外部との合体を厭わない姿勢こそが、次の型を生み出す土壌になるのだと思います。自社の解像度を高めていく過程は、境界を守ることと、境界を溶かして合体することの、両方を必要とするのです。

内外を横断的に、行き来することで、その境界を曖昧にすることに、新しい道をひらくヒントが有るのかも知れないと思いました。こちらの1冊「東浩紀『観光客の哲学』――ゆるやかな越境が、「誤配」を生み、イノベーションをもたらす!?」も大変興味深い論点を提供してくれます。

まとめ

  • 境界を守ることの限界に気づく――免疫という精緻な防御システムを持ちながらも、私たちの体は常に広大な面積で外部と接触し続けています。守ることと、外部と接することは、矛盾ではなく表裏一体の関係にあります。
  • 「合体」がイノベーションを生む――ミトコンドリアの細胞内共生や、ウミウシの盗葉緑体現象が示すように、異質なものを部分的にでも取り込み融合することで、生命は単独では到達できない機能を獲得してきました。
  • 守破離としての経営を考える――型を保存する力(守)と、型を破り新しい形へと開いていく力(破・離)を同時に働かせることこそが、生命が40億年かけて磨いてきた進化の原理であり、経営が学ぶべき本質だと思います。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

自前主義から脱却するといっても、何から手をつければよいのでしょうか?

まずは自社が「守っている境界」の正体を可視化することから始めるとよいと思います。免疫が広大な粘膜面積を通じて外界と接しているように、実際の組織も、取引先や顧客との接点を通じて常に外部の情報を受け取っています。その接点のどこに、意図的に外部を取り込む余地があるかを洗い出すことが、合体の第一歩になります。

外部との合体は、自社の独自性を失うリスクにはならないのでしょうか?

ウミウシが自らの動物としての型を保ったまま葉緑体だけを取り込むように、合体は必ずしも全面的な統合を意味しません。むしろ、核となる型(パーパスや理念)をしっかり守った上で、機能単位で外部を取り込むという発想であれば、独自性を保ちながら新しい価値を獲得できると思います。

守(型の保存)と破(型の変革)のバランスは、どのように取ればよいのでしょうか?

守破離が示すように、この二つは対立するものではなく、同時に働かせるべきものだと捉えるとよいと思います。核となる理念やビジョンはしっかりと保存しながら、事業のかたちや外部との連携のあり方については、環境の変化に応じて柔軟に破っていく。この両輪を意識的に運用することが、長期的な存続につながるはずです。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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