この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「ふつう」という基準は、誰かが恣意的に引いた線に過ぎません。美馬達哉が医学と社会学を横断する視点で、健康や病気というラベルがどのように作られ、誰の利益に資するかを解き明かします。
1.ラベリングの経済構造:HSPや内向型という性格分類が、いかにビジネスとして市場化されていくかを理解する。
2.疾患喧伝という警鐘:パニック障害という病名が「発見」ではなく「発明」された経緯から、組織における「問題の定義」の危うさを学ぶ。
3.線引きの主体性:「ふつう」を決めるのは自分自身であるという気づきを、経営における評価基準の設計に活かす。
- 「ふつう」という言葉を、私たちはどれほど無自覚に使っているでしょうか。
- 実は、この言葉ほど、使う人によって中身が変わるものはありません。
- なぜなら、「ふつう」とは誰かが客観的に定めた基準ではなく、社会や市場、あるいは私たち自身が、その時々の都合で引いている線に過ぎないからです。
- 本書は、医学の専門家である美馬達哉が、病気や障害という切り口から「ふつう」という概念そのものを問い直す一冊です。
- 本書を通じて、人や組織を分類し、評価するという行為に潜む危うさと、その先にある可能性について、経営に携わる立場から考えていきたいと思います。
美馬達哉さんは、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授です。1966年、大阪府生まれ。京都大学大学院医学研究科を修了し、医学博士の学位を取得しています。専門は医療社会学、脳科学、そして権力の政治学という、一見すると交わりにくい領域を横断する研究者です。
臨床医としての経験を土台にしながら、フーコーの統治論を医学と医療政策の分析に応用してきた点が、美馬さんのユニークなところだと思います。『〈病〉のスペクタクル』『リスク化される身体』『生を治める術としての近代医療』など、医学と社会理論を架橋する著書を数多く手がけてきました。
「病気とは何か」という問いを、単なる生物学の問題としてではなく、社会がどのように線引きを行うかという権力構造の問題として扱う姿勢に、私は強い知的誠実さを感じます。
「ふつう」というラベルは誰の利益を生むのか
性格や気質に病名がつけられるとき、そこには必ず利害関係が生まれます。
本書で紹介されているHSP(Highly Sensitive Person)や内向型パーソナリティをめぐる動きは、経営やブランディングに携わる立場から見ると、示唆に富む事例です。
「繊細さん」という商品化されたラベル
1990年代の社会不安障害の「発見」から、2000年代の「繊細さん」ブームに至るまで、性格特性が次々と病名やカテゴリーとして市場に投入されてきた過程は、決して偶然の産物ではありません。
新しい病名や気質分類がひとつ生まれるたびに、そこには治療薬を売りたい製薬企業や、カウンセリングサービスを提供したい民間資格ビジネス、あるいは自己理解グッズを売りたいスピリチュアル市場が連なっています。私はこれを読みながら、企業が採用や人材育成の場面で使う「タイプ分け診断」のビジネスモデルと、驚くほど構造が似ていると感じました。
HSPを新しいキャッチコピーのように扱うことで、これまで先の精神医学から批判的にみられていなかった先の飴村博士のポップ心理学ビジネスのマーケティング戦略ではないかと指摘していきます。
組織においても、「あなたは〇〇タイプです」という診断結果は、受け取る本人に安心感や納得感を与えます。
しかし、その分類基準を作り、運用しているのが誰であり、その分類によって誰が利益を得ているのかを問い直す視点は、意外と見落とされがちです。
パーパス経営における「分類」の危うさ
パーパスやビジョンを軸にした経営を標榜する企業ほど、「らしさ」や「タイプ」を強調したがる傾向があります。もちろん、多様な個性を可視化し、それぞれの強みを活かすこと自体は前向きな取り組みです。
ただし、その分類が「誰かにとって都合の良いラベル」になっていないか、常に問い直す姿勢が必要だと思います。
内向型を「静かな才能」と称揚する一方で、その称揚自体が新しい商品として消費されてしまう構造があることを、本書は的確に指摘しています。人的資本経営を掲げる企業ほど、この視点を持っておくべきだと感じます。
「病名」は発見されるのか、発明されるのか
本書の中でも、特に経営的な示唆に富んでいるのが、パニック障害という病名をめぐる「発見」と「発明」の対比です。
疾患喧伝というマーケティング構造
パニック障害は1980年代、アメリカ精神医学会の診断基準改訂によって、正式な病名として認められました。しかし本書は、この病名の広がりが、医薬品の売り上げ増加という商業的な動機と分かちがたく結びついていたことを示しています。
社会に「これは病気である」というメッセージを宣伝広告費ではなく、社会貢献活動や啓発活動という形で広めていくマーケティング手法は、「疾患喧伝(disease mongering)」と呼ばれています。
医薬品を直接宣伝する代わりに、その病気を売り込むマーケティング手法ではないか、それこそが疾患喧伝です。
これは、企業のブランディングにおいても他人事ではありません。市場に「課題」を発明し、その課題の解決策として自社の商品やサービスを位置づけるという手法は、マーケティングの世界では珍しくないからです。
「問題を定義する力」を持つ者の責任
組織の中で「これが問題だ」と最初に定義する人は、その後の意思決定の方向性を大きく左右する力を持ちます。
パニック障害という病名の広がりが示すのは、問題を定義する力を持つ主体が、必ずしも中立ではないという事実です。
ブランドやパーパスを掲げる立場にある私たちは、自分たちが「課題」や「あるべき姿」を定義するとき、それが本当に相手のためのものなのか、それとも自分たちの都合の良いストーリーに過ぎないのか、絶えず問い直す責任があると思います。ナラティブは強力な武器である分、その使い方には誠実さが求められます。
線引きをしているのは、いつだって自分自身である
本書の「おわりに」に描かれる着地点は、シンプルでありながら、経営やリーダーシップのあり方そのものを問い直す力を持っています。
「ふつう」を疑うことは、自分を疑うこと
美馬さんは、「ふつう」という常識を押しつけがましさを少しでも和らげることができるのではないか、という控えめな野望を本書の目的として語っています。私はこの姿勢に、強い共感を覚えます。
「ふつう」に無理に合わせすぎなくてもよくなるかもしれない、という美馬さんの言葉は、組織における評価基準や人事制度を設計する立場にある人間にとって、重要な問いかけだと思います。
誰かに「ふつう」を強いる評価制度は、知らないうちに多くの可能性を切り捨ててしまうものです。
「ふつう」に無理に合わせなくてもよくなるかもしれない、そのことに気づくだけでも、ずいぶん生きやすくなるはずです。
経営ビジョンにおける「線引きの主体性」
私たちが掲げるビジョンやパーパスもまた、ある種の「ふつう」を定義する行為です。
だからこそ、その線引きを誰が、どのような意図で行っているのかを、常に自覚しておく必要があります。
線引きの主体が自分自身であるという気づきは、裏を返せば、その線引きの責任もまた自分自身にあるということです。組織のリーダーには、自分たちが定義する「あるべき姿」が、誰かを排除する線になっていないかを問い続ける誠実さが求められていると、本書を読みながら改めて感じました。
「ふつう」について考えを深める2冊をご紹介します。こちら「青田麻未『「ふつうの暮らし」を美学する』――感性は18世紀に生まれ、いまマルチメディアに委ねられている」とこちら「大島育宙『なぜあなたの感想はふつうなのか』――「ふつう」を超える言葉の筋力」。どちらも「ふつう」に対する解像度をあげる視点を提供してくれます。


まとめ
- ラベリングの経済構造――性格や気質を分類する行為の裏には、必ず商業的な利害関係が存在しています。
- 疾患喧伝という警鐘――問題を最初に定義する力を持つ者には、その定義が誰の利益のためかを問い直す責任があります。
- 線引きの主体性――「ふつう」を決めているのはいつも自分自身であり、その自覚こそが評価基準を設計する出発点になります。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
