勝沼潤『チーフ・デザイン・オフィサーの条件』――「デザイン」という便利な言葉を、経営の言葉に翻訳し直す

勝沼潤『チーフ・デザイン・オフィサーの条件』の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「デザイン」という言葉は、便利すぎるゆえに輪郭を失いがちです。NECのチーフ・デザイン・オフィサーである勝沼潤さんは、この言葉を「深さ」「幅」「高さ」という3つの軸に翻訳し直すことで、経営が扱える単位へと変換しています。
 
1.言葉の解像度:「デザイン」を定義し直すことで、経営の意思決定が明確になります。
2.三軸の翻訳力:深さ・幅・高さという単位が、専門性を経営の言葉へと変換します。
3.定義は関係構築:定義し直す行為そのものが、組織に共有された意味を生み出します。

  • 「デザイン」とは、何を指す言葉でしょうか?
  • 実は、この問いに明確に答えられる経営者は、決して多くありません。
  • なぜなら「デザイン」という言葉は、意匠にも、体験にも、経営理念にも接続できてしまう、便利すぎる言葉だからです。使う人によって輪郭が変わり、都合よく解釈され、時には何も言っていないのと同じ結果を招いてしまいます。
  • 本書は、NECのチーフ・デザイン・オフィサーである勝沼潤さんが、この便利な言葉を経営の現場でどう定義し直してきたかを、実践の記録として綴った一冊です。
  • 本書を通じて見えてくるのは、デザインを定義するという行為そのものが、実は組織の意思決定を形づくっているという事実です。言葉を丁寧に翻訳し直すことは、経営そのものを翻訳し直すことでもあると思います。

勝沼潤さんは、NEC初のチーフ・デザイン・オフィサー(CDO)を務める人物です。

本書は、氏がダイヤモンド・オンラインで連載した企画「CDOの条件」を土台に、2025年から約1年をかけて、企業の経営者やデザイン部門のトップ、専門家など計12人と対話を重ねた記録を、体系的にまとめたものです。

NECでは、デザイン、ブランディング、コーポレートコミュニケーションを経営企画配下に統合し、ひとつの戦略軸として機能させる変革が進められてきました。
製品中心の事業モデルから、顧客との長期的な関係性を基軸とする企業へ。
その転換の渦中で、デザインを経営の周辺機能ではなく中核機能として位置づけ直そうとしてきたのが、勝沼さんの歩みです。

対話を重ねながら理論を体系化していく過程そのものが、本書には静かに刻まれていると感じます。

便利な言葉ほど、輪郭を失う

経営の現場で「デザイン」という言葉ほど、都合よく使われてきた言葉はないかもしれません。
デザイン部門への理解が得られないという悩みは、多くの社員にとって、デザインが自分の仕事とは無関係のものだと感じられていることの裏返しでもあります。
勝沼さんは、この輪郭のなさに正面から向き合うところから、CDOとしての仕事を始めています。

名目は自己紹介でも、実際にはデザインが事業にどう役立つのかを、一人ひとりに具体的に示していく行脚だったと振り返られています。

「デザイン行脚」が映し出した、共通言語の不在

勝沼さんが最初に取り組んだのは、役員一人ひとりを順に訪ねて回るという、地道な行為でした。
各部門にはそれぞれの困りごとや新しい挑戦があり、その課題に対してデザインを活用することで貢献できるかを説明することに、多くの時間が充てられています。

自己紹介自体は数分で終わるものの、残りの時間はそれぞれの役員が担当する事業の状況や課題を聞き、その課題に対してデザインをどう活用できるかを伝えることに費やされています。
話を聞いていくと、部門ごとにまったく異なる困りごとや、新しい挑戦の芽が見えてきたと述べられています。

この過程は、デザインという言葉が組織の中でどれほど多義的に受け取られているかを、勝沼さん自身に突きつける経験でもあったはずです。
共通言語がないままでは、どれほど優れた提案も、部門ごとに異なる解釈をされてしまいます。

「ブランド」「ビジネス」「イノベーション」という3語への翻訳

そこで勝沼さんが選んだのが、「ブランド」「ビジネス」「イノベーション」という3つのキーワードで、デザインの役割を説明し直すという方法でした。

  • 「ブランド」は企業の一貫性やユニークネスを示すものであり、企業価値を高めていくためには、この領域でデザインを活用することが不可欠だと位置づけられています。
  • 「ビジネス」は個々の事業を指し、事業成果を効果的に示していく上で、デザインが力を発揮できる視点として捉えられています。
  • 「イノベーション」は新規事業を意味し、この2つの領域でデザインの力を発揮するという理解が、あらゆるコミュニケーションの際に意識的に使われていったとされています。

これは単なる言い換えではなく、抽象的な「デザイン」という一語を、相手の立場に応じて具体的な意味へと変換していく作業だったと思います。

企業ブランドをそのまま体現することはできない、だからこそ企業全体としてのブランド価値を高めていく必要があるという考え方は、相手の立場を尊重しながら説明していく姿勢そのものを表していると感じます。

言葉を定義し直すというのは、決して抽象的な作業ではありません。
目の前の相手が何に困っていて、何を求めているのかを見極めた上で、初めて成立する、極めて具体的な仕事なのだと思います。

「深さ・幅・高さ」という翻訳の技術

役員への行脚を経て、勝沼さんはCDOという役割そのものを、より体系的に定義し直していきます。
その結晶が「深さ」「幅」「高さ」という3つの軸です。
これは能力を分類するための便宜的なラベルではなく、「デザイン」という一語を経営が扱える単位にまで分解し直す、翻訳の技術だと捉えることができます。

CDOに求められる要素は、深さ・幅・高さという三つの軸で捉えられるという仮説のもと、企業の経営者やデザイン部門のトップ計12人に話を聞いてきたと述べられています。

深さ――専門性を経営の言葉に変換する力

「深さ」とは、デザインに関する専門性のことです。
広範かつ高いデザインスキル、そして自ら手足を動かしてきた実践的な経験などを意味するとされています。

興味深いのは、この「深さ」が単一の能力ではないと繰り返し強調されている点です。
プロダクト、グラフィックといった個別領域に閉じることなく、企業が取り組む多様な事業やコミュニケーション、経営戦略にまで、デザインの力を及ぼしていく力として説明されています。
思想、プロセス、実装、主体性、そしてアウトプットの届け方など、企業や人によって多様な形を取るという学びが得られたと振り返られています。

専門性という言葉を聞くと、ひとつの技術を極めることを想像しがちです。
しかし本書における「深さ」は、むしろひとつの技術を、経営という異なる文脈へ届け直す力として描かれています。
これは、専門知識そのものよりも、専門知識を翻訳する力に価値を置く視点だと言えると思います。

幅――組織のすみずみに実装していく対応力

「幅」とは、デザインの役割が広がる中で、CDOにも求められる対応力のことです。
グラフィックデザイナーからサービスデザインについては目的があり、適切なプロセスで、アウトプットまで導くのがCDOの役割であるとされています。

さらに「幅」は単にデザインを適用できる対応範囲の広さだけを意味するものではなく、それを組織の仕組みとして「使える」状態にするための工夫でもあったと述べられています。
組織の仕組みとしてデザインを組み込むことや、文化として社員に浸透させることなど、決して難しくはないものの、現場で実装させる力が不可欠になるとされています。

つまり「幅」とは、デザインという言葉を理解してもらうことがゴールではなく、組織の日常業務の中に、当たり前の判断基準として溶け込ませていくための、地道な設計力なのだと思います。
これは、あらゆる部門でトップダウンによって進めることに有効な理由を説明し、実現までのプロセスを描き、現場で実装させる力が不可欠になるということでもあります。

高さ――経営視座としてデザインを資産化する視点

「高さ」とは、経営視座としてのデザインの視座を客観的に捉えることを表す言葉です。
ここには経営陣や事業責任者のデザインへの理解をつくるための対話力と、経営者としてのコミュニケーション力という、2つの要素が含まれるとされています。

自社の経営とデザインの関係を客観的に捉えることが求められるため、それにはおのずとデザイン組織から経営を見るのではなく、その逆の捉え方、つまり経営としてデザイン組織を駆使するという姿勢が求められるとされています。

もうひとつの要素はいずれも、自社の経営とデザインの関係を客観的に捉えることが求められるため、そこでは専門知識や暗黙知を前提にした会話ではなく、経営者としてのコミュニケーションが求められるとされています。
専門性を深めるだけでは届かない場所に、「高さ」という視座が必要になるということだと理解しています。

定義するとは、意味を共有地に変えること

3つの軸を通じて見えてくるのは、勝沼さんが一貫して「デザイン」という言葉を、誰かに届く言葉へと翻訳し続けてきたという姿勢です。

そしてこの姿勢は、本書の冒頭に置かれた、NEC取締役代表執行役社長兼CEOである森田隆之さんの言葉とも、深く共鳴していると感じます。

CDOは単なるデザイン部門の管理者ではなく、経営構造から企業価値をつなぐ重要な役割を担うと位置づけられています。

「刊行によせて」に映る、CDOという存在の本質

森田さんは、テクノロジーを通じた社会価値創造を追求するパーパスの下、技術と事業、カルチャーの改革、ブランドの発信、そして社会インフラを支える一貫した企業姿勢が、今こそ問われている時代だと述べています。
そうした中で、デザインの役割とは何かを問い直す一冊として、本書が位置づけられています。

決して単なるデザイン部門の管理者ではない経営構造の中で、企業価値をつなぐ上での重要な役割を担うことへの期待が、この言葉には込められていると感じます。
Purposeやブランドの本質を言語化し、組織横断の思考の枠組みにまで解きほぐしていくためのポイントになるかもしれないという期待も、率直に語られています。

社長自身が「刊行によせて」という形で言葉を寄せているという事実そのものが、この本が単なるデザイン部門の一冊ではなく、経営そのものの一冊として位置づけられていることの、何よりの証だと思います。

定義し直す行為が、組織にナラティブを取り戻す

ここまで読み進めてくると、この本の価値は「デザインとは何か」という問いへの、ひとつの正解を示すことにはないと感じます。
むしろ、便利すぎる言葉をそのまま使うことをやめ、目の前の相手や状況に応じて、粘り強く定義し直し続けるという姿勢そのものに、本書の価値があるのだと思います。

経営において人を動かすのは、精緻な戦略の言葉だけではなく、意味や物語だと考えています。
「デザイン」という言葉を、深さ・幅・高さという3つの軸に翻訳し直す作業は、まさに組織の中に共有された意味、つまりナラティブを取り戻していく作業そのものだったのではないでしょうか。

対談本というかたちゆえに、ひとつの理論として一気通貫に語り切られているわけではありません。
けれどもそれは弱点ではなく、むしろ多様な現場の声を通じて、ひとつの言葉が少しずつ輪郭を持っていく過程を、そのまま読者に追体験させる構成なのだと捉え直すことができます。

デザインという言葉の解像度を上げて読むことで、この本は一気に深みを増す一冊だと思います。

デザインという言葉については、こちらの1冊「場を作るために重要なこと!?『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』坂田幸樹」もぜひご覧ください。おすすめです。

まとめ

  • 便利な言葉ほど、輪郭を失う――「デザイン」という多義的な言葉は、行脚と翻訳を通じて、初めて組織の共通言語になります。
  • 「深さ・幅・高さ」という翻訳の技術――専門性、対応力、経営視座という3つの軸が、デザインを経営の言葉へと変換します。
  • 定義するとは、意味を共有地に変えること――言葉を定義し直す行為そのものが、組織にナラティブを取り戻す営みになります。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

「デザイン」という言葉を、自社の経営に定義し直すには、何から始めればいいですか?

まずは相手ごとに異なる言葉で説明し直すことから始めることをおすすめします。
本書における「ブランド」「ビジネス」「イノベーション」のように、相手の関心に沿ったキーワードへ翻訳することで、抽象的な言葉が具体的な行動へとつながりやすくなります。

「深さ」「幅」「高さ」とい3つの軸は、デザイン部門以外の人材育成にも応用できますか?

応用できると思います。
専門性を磨く「深さ」、組織に実装していく「幅」、経営視座を持つ「高さ」という三つの視点は、デザインに限らず、どの専門領域を経営に接続する際にも参考になる枠組みだと考えられます。

対談本や複数人へのインタビューを通じて書かれた本を読むときに、大切にすべき視点は何ですか?

ひとつの結論を探すのではなく、複数の声を通じて、ひとつの概念がどのように輪郭を得ていくのかという過程そのものを追う読み方をおすすめします。
その視点を持つことで、断片的に見える対話の一つひとつが、より豊かな意味を持って読めるようになります。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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