この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】庭のかたちは、庭師の意図だけでなく、地形や時間との相互作用のなかで生まれます。山内朋樹が京都・大聖院庭園の作庭現場を丹念に記録した本書は、「つくる」と「つくられる」の境界を溶かす制作論として、経営やブランディングにも重要な示唆を与えてくれます。
1.配置の観察:戦略の意図を深読みするのではなく、実際の配置や行動そのものから読み解く姿勢を養います。
2.欠落の設計:すべてを見せないことで完成度を高める、余白のデザイン力を学べます。
3.中動態的な運営:支配でも放任でもない、時間とともに育つ組織のあり方を考えるヒントが得られます。
- 経営者が思い描いたビジョンは、そのまま組織のかたちになるのでしょうか。
- 実は、意図した通りに形になることは、ほとんどありません。
- なぜなら、組織は時間の経過や現場との相互作用のなかで、つくり手の想定を超えて変化し続けるからです。
- 本書は、庭師・古川三盛が手がけた京都・大聖院庭園の作庭工程を、フィールドワークを通して丹念に記録した一冊です。
- 本書を通じて、意図と偶然がどのように共犯関係を結び、かたちが生まれていくのか、その経営的な示唆を探っていきたいと思います。
山内朋樹さんは、1978年兵庫県生まれ。
京都教育大学の教員であり、同時に庭師でもあるという、めずらしい経歴の持ち主です。
専門は美学。
在学中に庭師のアルバイトを始めたことがきっかけとなり、研究の傍らそのまま独立するに至ったといいます。
庭のかたちがなぜそうなっているのか、その論理を物体の配置や作庭プロセスの分析から明らかにするフィールドワークを、長年にわたって続けてきました。
共著に『ライティングの哲学』(星海社)、訳書にジル・クレマン『動いている庭』(みすず書房)があります。
本書は、そんな山内さんの初単著。
京都・福知山の観音寺で行われた大聖院庭園の作庭工事に密着し、その一部始終を記録した、いわば「令和の作庭記」です。
刊行後は紀伊國屋じんぶん大賞2024でも読者から高く評価され、庭という日常的な対象を通して、制作と生成をめぐる新しい思考の枠組みを提示した一冊として広く読まれています。
前回、前々回と、宇野常寛さんの『庭の話』を読みまして、その続きとして概念を発展させてみたいと思い、手に取りました。宇野常寛さんの『庭の話』のレビューについては、こちら「『庭の話』宇野常寛――承認のゲームを降りて、制作する経営者になるために」やこちら「『庭の話』宇野常寛――共同体の「安心」に、変化をなかったことにさせるな」もぜひご覧ください。
石組という決断――配置の意図をどう読むか
庭に足を踏み入れたとき、わたしたちが目にするのは、すでに完成された物体の配置です。
なぜこの石がここにあるのか、なぜこの木がここに植わっているのか。
その理由を、わたしたちはつい歴史的な経緯や図像的な解釈のなかに探そうとしてしまいます。
「浅めることで理解する」という視点
山内さんは、この態度に対してひとつの補助線を引きます。
深く意味を掘り下げることでのみ理解するのではなく、配置そのものの浅さを丹念に見つめることでも理解できる、という視点です。
これは経営の現場にもそのまま応用できる姿勢なのかもしれない・・・と思います。
わたしたちはしばしば、組織の課題を「深い理由」のなかに探そうとします。
企業文化の歴史、創業者の哲学、業界構造。
たしかにそれらも大切ですが、いま目の前にある配置――誰がどこに座り、どんな言葉が交わされ、どんな順番で意思決定がなされているか――を丹念に観察することのほうが、多くを語ってくれる場合があります。
戦略を解釈するのではなく、実際の配置をまずただ見ること。
これはビジョン・プロデュースの現場でも、繰り返し立ち返るべき基本姿勢だと感じています。
ひとつの石が語る、庭師の思想
大聖院庭園の正式名称は「斗籔庭」といいます。
空海の『性霊集』にある一文からとられた言葉です。
斗藪して早く法身の里に入れ
俗世を離れ、ゆったりとした心で眺める庭。
これが、山主である小籔実英さんの込めた思いだといいます。
しかし庭師の古川三盛さんが実際に石を据える場面を見ていくと、その意図はもっと具体的で、身体的なものであることがわかります。
「向こう」と呼ばれる一石をどこに置くか。
その一手によって、庭全体の見え方が決まってしまう。
大きな理念を掲げることと、目の前のひとつの配置を決めることは、まったく別の行為でありながら、実は同じ地平でつながっています。
経営においても、パーパスを言葉にすることと、日々の小さな意思決定の積み重ねは、切り離せない関係にあるのだと思います。
「欠く」という設計思想――見せないことで完成する庭
すぐれた庭は、すべてを見せることでは完成しません。
古川さんの仕事ぶりを追っていくと、むしろ「見せない」ことへの強いこだわりが見えてきます。
石組を見せたくない、という矛盾
古川さんはあるとき、こんな言葉を漏らしています。
石組を見せようとはしたくないんだよね
自分の作品として石組を誇示したい、という制作者としての欲求は誰にでもあります。
しかし古川さんは、庭を人為的な操作の跡が見えないよう、あえて自然に語ろうとします。
これはブランディングの現場でもよく起きることです。
つくり手の意図や努力を全面に押し出すほど、受け手はその作為性を感じ取り、かえって興ざめしてしまう。
意図を隠しながら、しかし意図をもって隠す。
この矛盾に耐える構えこそが、プロフェッショナルの仕事なのだと思います。
あとから植えたモミジが「もとの姿」になる
さらに興味深いのは、庭に後から植えられたモミジの扱いです。
本来はその場になかった木を、まるで最初からそこにあったかのように配置する。
山内さんはこれを、あとからつくられた庭が「もとの状態」としての自然を現出させる事態として描いています。
意図的な配置が、意図の痕跡を消しながら、あたかも必然であったかのような顔をして立ち現れる。
企業のナラティブづくりにも、よく似た構造があります。
後づけで整理されたはずのストーリーが、語られるたびに「もとからそうだったこと」として組織に定着していく。
欠落や見せない部分をどう設計するかが、物語の説得力を大きく左右するのだと感じます。
中動態的経営――「つくる」と「つくられる」のあいだで組織は育つ
庭という対象は、完成した瞬間から、すでに変化を始めています。
庭のレシピは手に入らない
山内さんはあとがきで、この本を書いた理由についてこう述べています。
庭のレシピは、まず手に入らない
庭師たちがなぜその配置に至ったのか、その判断のプロセスは、パンフレットや看板を読んでも決してわかりません。
だからこそ、作庭の現場に長く立ち会い、記録し続ける必要があったといいます。
経営の現場でも同じことが起きていると思います。
成功事例のレシピをいくら集めても、そこに至るまでの無数の判断や、現場との対話の積み重ねまでは再現できません。
伴走支援という仕事の意味は、まさにこの「レシピ化できない部分」に寄り添い続けることにあるのだと、あらためて感じます。
庭は変わり続け、文はつねに遅れている
本書の最後で、山内さんは印象的な一文を残しています。
庭は変わり続け、文はつねに遅れている
石の配置は変わり、樹林は伐採され、苔や下草は生長し続ける。
書き手がどれほど丹念に記録しても、その記述は必ず現実の後を追うことしかできません。
これは、組織やブランドを言葉で記述しようとするときにも、そのまま当てはまることだと思います。
ビジョンやパーパスをどれほど精緻に言語化しても、組織そのものは日々、現場との相互作用のなかでかたちを変え続けています。
支配することも、放任することもできない、この中動態的な状態を引き受けること。
それこそが、経営やブランディングに伴走するうえで欠かせない構えなのだと思います。
まとめ
- 石組という決断――配置の意図は、深読みではなく、目の前の配置そのものを丹念に観察することで見えてきます。
- 「欠く」という設計思想――見せない部分をどう設計するかという判断そのものが、緻密な意図に支えられています。
- 中動態的経営――組織はレシピ化できず、つくり手の想定を超えて変化し続けます。そこに寄り添う伴走の姿勢が求められます。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
