信頼を決めるのは、「能力」ではなく「価値観」とその絶え間ない共有――『信頼学の教室』中谷内一也

『信頼学の教室』中谷内一也の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】信頼とは、相手の能力を評価すれば生まれるものではなく、価値観を共有していると感じられたときに初めて根づくものです。中谷内一也がリスク心理学の知見と実証データから解き明かす、信頼形成の構造を経営に応用する視点を提示します。
 
1.価値共有という土台:能力や実績のアピールよりも、価値観の一致こそが信頼を強く規定する。
2.非対称性という宿命:信頼は積み上げるのに長い時間がかかる一方、失うのは一瞬である。
3.共通目標という橋:対立する関係も、共に目指すべき上位の目標があれば和解へと向かう。

  • なぜ、あれほど誠実に振る舞ってきたはずなのに、一度の失敗で相手からの信頼をすべて失ってしまうのでしょうか?
  • 実は、信頼という感情は、私たちが思っているよりもずっと不安定で、崩れやすい性質を持っています。
  • なぜなら、信頼は人類が進化の過程で身につけてきた警戒本能と深く結びついており、一度でも「裏切られた」という根拠が積み重なると、瞬時に崩壊してしまう仕組みになっているからです。
  • 本書は、リスク心理学者である中谷内一也が、信頼という目に見えないものを、進化論・社会心理学・実証データという3つの切り口から丁寧に解きほぐしていく一冊です。
  • 本書を通じて、なぜ人は簡単には人を信じられないのか、そして、それでもなお信頼を築くために何が必要なのかという問いに、経営とブランディングの視点から向き合ってみたいと思います。
中谷内一也
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中谷内一也さんは、同志社大学心理学部教授を務めるリスク心理学の専門家です。原子力や食品安全といったリスクをめぐる人々の認知や、行政・企業への信頼がどのように形成されるかを、長年にわたり実証的に研究してきました。

東京電力や気象研究所といった具体的な組織を対象にした調査データを用いながら、信頼という抽象的なテーマを、数字と構造で語ることができる稀有な書き手だと思います。学術的な厳密さを保ちながらも、対話形式を交えた語り口で、専門知識のない読者にも届く言葉を選んでいる点に、著者の誠実さが表れているように感じます。

なぜ人は簡単には人を信じられないのか

人間の本質は、そもそも信頼することに積極的なのでしょうか、それとも消極的なのでしょうか。

本書はこの問いから出発します。ここではまず、私たちがなぜ他者を簡単には信じられないのかという、進化論的な背景を見ていきたいと思います。

協力と裏切りのジレンマが警戒心を育てた

長く続いた狩猟採集生活の時代、人間は集団の中で役割を果たし合い、協力することによって、一人では得られなかった大きな成果を手にしてきました。

農耕社会が成立し、定住するようになってからも、人間は社会的な動物として、何世代にもわたり役割分担を行い、協力し合うことで生産性を高めてきました。

一方で、協力関係には常に大きな誘惑がつきまといます。個人では捕まえられなかった獲物を、集団の力で手にすることができたとしても、その成果を不公平に独占しようとする裏切りの誘惑が、常に存在してきたということです。

一度相手を裏切ってグループ内で悪評が立つと、そんな人間と協力すると自分の生存が危うくなり、子孫を残すこともできなくなる。

このように、裏切りが割に合わない仕組みが社会の中に組み込まれていたからこそ、人間は協力し合う存在として進化してきたと考えることができます。そして同時に、信頼すべきでない相手を見誤らないよう、警戒心の強い個体ほど生き延びやすかったという側面もあったはずです。

非対称性が信頼を壊れやすくする

信頼が非対称な構造を持つ理由も、ここに深く関わっています。

他者から信頼を得るには、信頼に足る根拠をたくさん積み重ねていくことが必要で、それには長い時間がかかります。ところが、信頼を失うまでの時間や出来事の重みは、それとは比較にならないほど軽いものです。たった一度のまずい出来事があれば、信頼はごく短時間で失われてしまいます。

この非対称性をもたらす理由のひとつが、確証バイアスと呼ばれる心理的な傾向です。良い印象を持っている相手に対しては、私たちは多少あいまいな情報に接しても、それを好意的に解釈しようとします。

一方、もともと悪い印象を持っている人については、良い情報を無視し、悪い情報ばかりを取り入れて、元の悪印象を維持しようとする傾向があります。

経営やリーダーシップの現場に置き換えてみると、この構造は決して他人事ではないはずです。

新しく着任したリーダーが、どれほど誠実に振る舞っても、最初の小さなつまずきによって、それ以降のあらゆる言動が疑いの目で見られてしまうことがあります。

信頼とは、築くには膨大な時間を要し、失うのは一瞬であるという、この非対称な性質そのものを、経営者はまず前提として理解しておく必要があると思います。

信頼の土台をつくるのは価値観の共有である

それでは、私たちはどうすれば、崩れやすい信頼の土台を、少しでも強くすることができるのでしょうか。ここで本書が紹介する「主要価値類似性モデル」という考え方が、大きな手がかりになります。

能力より価値共有が信頼を規定する

従来の信頼研究では、相手の特定の能力の高さや、動機づけの強さといった評価によって、信頼が決まると考えられてきました。

それに対して主要価値類似性モデルでは、信頼は相手の特性への評価だけで決まるのではなく、信頼する側とされる側の価値の共有によって決まると考えます。

この仮説を裏づける実証データとして、本書では東京電力に対する住民の信頼を分析した調査結果が紹介されています。分析には構造方程式モデリングという手法が使われ、価値共有認知・能力認知・動機づけ認知という3つの要素が、信頼にどれだけ影響を与えているかが数値化されました。

価値共有認知から信頼へのパス係数は二〇一一年調査で〇・六七、能力認知からのパス係数は〇・一五にとどまった。

福島第一原発事故の直後という、信頼が最も損なわれていた時期において、能力の高さについての評価よりも、価値を共有しているという認識こそが、信頼を最も強く決めていたという事実は、私にとって非常に示唆に富むものでした。

さらに興味深いのは、事故対応をめぐるトラブルが発生した際に、多くの組織が能力面でのアピールに走りがちだという指摘です。原因を調査し、再発防止策を科学的な観点から説明し、専門家に評価してもらうという取り組みは、たしかに重要ですが、それだけでは信頼回復には直結しにくいということが、本書のデータから読み取れます。

人と人との結びつきを重視し、公正中立な立場から誠実に向き合おうとする姿勢のほうが、信頼される側にとってはるかに重要だということです。

これは、ブランディングの文脈に置き換えても、まったく同じ構図が成り立つはずです。

企業が発信するメッセージの多くは、機能や実績、専門性の高さといった「能力」のアピールに偏りがちです。

しかし、生活者や取引先が本当に見ているのは、その企業がどのような価値観を大切にしているか、そして、その価値観を自分たちと共有できているかどうかという一点に尽きるのではないかと思います。

危機時こそ価値共有の重みが増す

危機が訪れたとき、価値共有の重みはさらに増大します。

実際、信頼レベルが震災直後にどうであったかにかかわらず、一年後には、信頼を決める要因として価値共有認知の重要性がいっそう高まっていたという分析結果が示されています。

平時にこそ、能力の証明以上に、価値観を丁寧に共有し続ける努力が、危機に強い信頼関係の土台をつくるということだと考えます。

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信頼は伴走の積み重ねであり、共通の目標が対立を溶かす

ここまでの2つの視点を踏まえたうえで、では、実際に組織や人間関係の中で、信頼をどのように築いていけばよいのかという実践的な問いに向き合ってみたいと思います。

信頼は小さな実績の伴走でしか築けない

信頼の非対称性が教えてくれるのは、信頼とは一度の大きな施策で獲得できるものではなく、小さな実績を地道に積み重ねていくことでしか築けないという事実です。

リーダーやコンサルタントが結果を急いで押しつけるのではなく、相手のペースに寄り添いながら、小さな約束を確実に果たしていくことの積み重ねこそが、長期的な信頼の礎になるはずです。

積み重ねの効用については、こちらの1冊「1%(1日14分)を積み重ねよ!?『仕事ができる人がキリの悪い時間にやっていること』本山裕輔」も勇気をくれます。ぜひご覧ください。

共通の上位目標が対立を信頼に変える

一方で、価値観を共有しているはずの組織どうしであっても、対立が生じることは避けられません。本書で紹介されているロバーズ・ケイブ実験は、この対立をどう乗り越えるかについて、重要な示唆を与えてくれます。

二つのグループが協力し合わなければ問題が解決できない状況を研究者が導入したのがこの実験のすごいところで、給水施設の破損など同じ目標に向かって力を合わせる経験の中で両者間の葛藤は解消した。

自分たちのグループだけでは解決できない共通の課題に直面し、相手グループと力を合わせなければならない状況に置かれたとき、それまで敵対していた2つの集団の間にも、友情や協力関係が芽生えていったということです。

これは、単に相手グループへの敵対心が薄れたというだけでなく、共に困難を乗り越えた経験そのものが、新たな信頼関係を生み出したことを示していると思います。

この知見を経営に応用するならば、部門間の対立や、企業間の利害の衝突を解消しようとするとき、単に「仲良くしましょう」と呼びかけるだけでは不十分だということになります。

両者にとって意味のある共通の上位目標を見出し、それに向かって共に汗を流す機会をつくることこそが、対立を信頼へと転換させる最も確実な方法だということです。

これはまさに、パーパス経営やビジョナリー・ブランディングが目指している方向性と重なります。企業が単独で掲げるビジョンではなく、顧客や社会、取引先といったステークホルダーと共に追いかけられる上位の目的、すなわちCo-Missionを描き出すことができれば、そこに集う人々の間には、能力の証明を超えた深いレベルでの信頼が育っていくはずです。

信頼とは、戦略として設計するものというより、共に歩む物語の中で、少しずつ醸成されていくものだと、本書を通じて改めて感じています。

Co-Missionの考え方については、こちらのページ「Purpose Workshop(パーパスワークショップ)――「人生の物語」から始める組織づくり」もぜひご覧ください。

まとめ

  • なぜ人は簡単には人を信じられないのか――信頼は進化の過程で刻まれた警戒本能と結びついており、積み上げるには長い時間がかかる一方、失うのは一瞬であるという非対称な性質を持っています。
  • 信頼の土台をつくるのは価値観の共有である――東京電力への信頼を分析した実証データが示すように、能力や動機づけへの評価以上に、価値観を共有しているという認識こそが、信頼を強く決定づけています。
  • 信頼は伴走の積み重ねであり、共通の目標が対立を溶かす――小さな実績を地道に積み重ねる伴走の姿勢と、ロバーズ・ケイブ実験が示す共通の上位目標こそが、対立を信頼へと転換させる鍵になります。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

信頼を回復するために、まず能力の高さを証明するべきではないでしょうか?

能力の証明は無意味ではありませんが、それだけでは信頼回復に直結しにくいことが実証データから示されています。

危機の場面ほど、人と人との結びつきを重視し、公正中立な姿勢で向き合っていることを伝えるほうが、信頼の回復には効果的だと考えられます。

部門間や企業間の対立が根深い場合、どこから手をつければよいのでしょうか?

まずは双方にとって意味のある共通の上位目標を見つけることから始めるとよいと思います。

目標そのものへの合意を急ぐよりも、その目標に向かって共に汗を流す小さな機会をつくることが、対立を溶かす現実的な一歩になります。

信頼関係を築くのに時間がかかりすぎて、成果が見えず焦ってしまいます。どう向き合えばよいでしょうか?

信頼はもともと積み上げるのに長い時間を要する非対称な性質を持つものだと理解しておくことが、焦りを和らげる助けになります。

大きな施策で一気に信頼を得ようとするのではなく、小さな約束を確実に果たす伴走の姿勢を継続することが、遠回りに見えて最も確実な道だと思います。

中谷内一也
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この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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