物語は入口に過ぎない――『Brand Shift(ブランド・シフト)』レイ・イナモト

『Brand Shift(ブランド・シフト)』レイ・イナモトの書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「意味」を売る時代は、静かに終わりを迎えつつあります。レイ・イナモトが説くのは、ストーリーだけに頼らず、一貫した行動によって信頼を積み重ねていくブランド構築の技術です。
 
1.安心と信頼の違い:システムが保証する安心と、リスクを引き受けて相手に委ねる信頼はまったく別のものだと理解する。
2.構造の転換:一方通行のファネル思考から、信頼が信頼を生み出すフライホイール型の循環へと発想を変える。
3.物語の限界:ストーリーは人を動かす入口にすぎず、その先にある一貫した行動こそが信頼を築くと知る。

  • 経営者にとって、ブランドとは何によって選ばれ続けるものなのでしょうか?
  • 実は、多くの企業が「意味」や「ストーリー」を語ることに力を注いできましたが、それだけでは選ばれ続ける理由にはならなくなってきています。
  • なぜなら、生成AIの進化によって、誰もが巧みな言葉や洗練された映像を生み出せる時代になり、“物語の説得力”そのものが相対化されてしまったからです。
  • 本書は、レイ・イナモトさんが、ナイキやユニクロ、トヨタ、アシックスといった世界的ブランドとの協働から導き出した、「信頼による差別化」という新しいブランド構築の理論と実践を一冊にまとめたものです。
  • 本書を通じて、なぜ今、ブランドが「ストーリー」から「信頼」へとシフトしなければならないのか、その構造を掴むことができるはずです。
レイ・イナモト
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レイ・イナモトさんは、I&CO創業パートナー/クリエイティブ・ディレクターとして、ニューヨークを拠点に世界で活躍されています。米Creativity誌の「世界で最も影響力のある50人」、米Forbes誌の「世界の広告業界で最もクリエイティブな25人」に選出されるなど、国際的に高く評価されてきました。

米大手デジタルエージェンシーR/GAを経て、AKQAに所属し、ナイキやアウディ、Xbox、グーグルといった世界的ブランドのデジタル戦略とクリエイティブを数多く手がけてこられました。2013年と2019年には、日本人として初めてカンヌ国際広告祭モバイル部門・デジタルクラフト部門の審査委員長を務められています。

2016年にI&COを立ち上げ、2019年には東京オフィスを開設。以来、東京・ニューヨーク・シンガポールを拠点に、国内外の経営層と協働しながら、ブランド戦略を基盤とした企業成長の戦略づくりに取り組んでこられました。アメリカのコーネル大学ではMBAやエンジニアの大学院生を対象に教鞭も執られています。

そうした第一線での実践知を、日本の企業やビジネスパーソンに届けたいという思いから、本書が生まれていると感じます。

「安心」では選ばれない時代が来ている

本書の出発点にあるのは、ブランドを「意味」や「価値」の言い換えとして捉えることへの、静かな違和感だと思います。イナモトさんは、これからを「信頼」で選ばれる時代と位置づけ、その根拠を丁寧に紐解いていきます。

「安心」と「信頼」はまったく別の概念

本書を読んで、まず、思わず手が止まったのが「安心」と「信頼」の違いです。社会心理学者の山岸俊男教授の議論を手がかりに、本書はこの2つを明確に区別しています。

安心とは、システムや制度によって保証され、裏切られる可能性が限りなく低い状態を指す。

電車が時間通りに来ること、コンビニで買った商品が問題なく使えること。そこには「相手を信じる」という行為は必要ありません。仕組みが整っているからこそ、裏切られにくいという状態です。

一方で、信頼はまったく異なる性質を持ちます。不確実性の中で、それでもなお相手に委ねるという意志ある選択です。少し価格が高くても選ぶ。発売されたばかりの商品でも試してみる。誰かの評価がなくても自ら購入する。こうした行動の背景には、必ずリスクを引き受けるという覚悟があります。

この違いは、経営にとって決定的だと思います。私たちはこれまで、品質を安定させ、仕組みを整えることで「安心」を提供することに力を注いできました。しかし安心は、裏切られないことの証明であって、選ばれ続ける理由そのものにはならないのです。

AI時代に、なぜ「信頼」が経営の中心課題になるのか

生成AIの進化により、コンテンツの真偽や背景がますます見えづらくなっています。美しいコピー、洗練された映像、整ったUI。それらすべてが、実体のないつくられた印象かもしれないという疑いが、常に人々の頭にあります。

だからこそ、人々が見るのは「何を伝えているか」ではなく、「誰が、どのように伝えているか」へと変化しています。広告でどれだけ美辞麗句を並べても、実際のふるまいがそれと一致していなければ、信頼はあっという間に崩れてしまいます。

本書では、この構造の転換を、ファネルからフライホイールへのシフトとしても描いています。

認知から関心、検討、購入へと一方向に絞り込んでいく従来のファネル思考は、購入をゴールとし、その先にある顧客との関係性を前提としていません。

これに対してフライホイール型のブランド構築は、会社がプロダクトを生み出し、それが顧客を魅了し、顧客がブランドを信頼し、その信頼がブランドを差別化し、また会社に還っていくという循環そのものを経営の核に据えます。信頼は、一度きりの説得ではなく、回り続ける仕組みとして設計されるべきものだと思います。

物語は、なぜ人を動かすのか――そしてなぜ、それだけでは足りないのか

ここからは、本書がもうひとつの軸として掲げる「ストーリー」と「信頼」の関係について考えていきたいと思います。

ストーリーは、人類最古の技術である

本書は、イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏の議論を手がかりに、「ブランドとは、ある種のストーリーである」という定義から始まります。

ホモ・サピエンスの脳が進化し、架空のストーリーを創造し、それに心を動かされる力を獲得したことで、人は見知らぬ他者とも同じ概念や価値観を分かち合えるようになりました。ハラリ氏はこれを「Human-to-Story Chain(人からストーリーへの連鎖)」と呼んでいます。共通の物語を信じることで、人は直接知り合っていなくても、時空を超えて協力し、共に行動できるようになったのです。

これは、私が長らく大切にしてきた「人は戦略ではなく意味や物語によって動く」という考え方と、深く重なります。ブランドが物語として語られるとき、それは単なる情報伝達ではなく、人と人をつなぐ装置として機能してきたのだと思います。

1年前、同じ日に考えた「物語の限界」

実は、ちょうど1年前の本日、私は難波優輝さんの『物語化批判の哲学』という一冊を紹介しました。そこで論じられていたのは、物語に頼りすぎることの危うさです。

人生の複雑な出来事を、目的に沿ってきれいに整えてしまうことで、本来の感情や偶然性、”わからなさ”が見えなくなってしまう。物語は人を励ます一方で、かえって人を縛ってしまう可能性がある、という指摘でした。

このことは、ブランドにも同じように当てはまるのではないかと思います。本書にも、印象的な一節があります。

ブランドは、企業の決算書ではなく、人々の記憶や関係の中に存在するものである。

いくら資金調達に成功しても、株価が上がっても、そこに人々の信頼がなければブランドとは呼べません。

むしろ過剰な期待だけが膨らみ、実態とのギャップが広がることで、かえって不信を招くリスクさえあります。メタやテスラのように、企業価値ではトップを走っていても、社会における信頼を失っている企業が存在することは、この危うさをそのまま示していると思います。

つまり、物語だけを整えすぎたブランドは、難波さんが指摘した「物語化された人生」と同じ構造の危うさを抱えることになります。語られる姿と、実際のふるまいとの間に隙間が生まれた瞬間、その物語は説得力を失ってしまうのです。

レイ・イナモト
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経営における物語と信頼の両立――なぜ、それでも「物語」は要るのか

では、物語を手放すべきなのでしょうか。私はそうは思いません。

ここで大切なのは、物語を「土台」ではなく「入口」として位置づけ直すことだと考えます。

信頼を築く「一貫性」という実践

本書は、信頼を構成する要素を3つに整理しています。

顧客のリスクを引き受ける姿勢を持っているかどうか。
判断の一貫性があるかどうか。
そして、信頼の証拠が存在するかどうか。

とりわけ印象的だったのは、判断の一貫性についての指摘です。

企業のパーパスやミッションといった理念が、実際のプロダクトや接客、価格設定、広告表現にどれだけ反映されているか。矛盾した意思決定は、小さな違和感として少しずつ蓄積され、やがて静かに信頼を削っていきます。
一方で、意思決定において一貫した姿勢が感じられるブランドには、人は時間をかけて確かな信頼を寄せるようになります。

これは、私が普段からお伝えしている「伴走」という考え方とも重なります。信頼とは、一度の説得によって得られるものではなく、日々の小さな行動の積み重ねによって、時間をかけて育てていくものなのだと思います。

物語は入口、信頼は土台

「人は戦略ではなく意味や物語によって動く」という考え方は、今も私の中で変わっていません。

ただし本書を通じて、その先にもう一段の視点を加えることができたと感じています。物語は、人の心を開き、関心を寄せてもらうための入口です。しかし、その物語が現実の行動と一致し続けなければ、開かれた心はやがて閉じてしまいます。

物語によって出会い、信頼によって選ばれ続ける。
この両輪があってはじめて、ブランドは長く選ばれる存在になれるのだと思います。

まとめ

  • 「安心」では選ばれない時代が来ている――安心はシステムが保証するものであり、信頼はリスクを引き受けて相手に委ねる意志ある選択です。AI時代には、この違いが経営の中心課題になります。
  • 物語は、なぜ人を動かすのか――そしてなぜ、それだけでは足りないのか――ストーリーは人と人をつなぐ人類最古の技術ですが、現実の行動と一致しなければ、その説得力はあっという間に崩れてしまいます。
  • 経営における物語と信頼の両立――物語は人の心を開く入口であり、信頼はその先に築かれる土台です。判断の一貫性という日々の実践が、信頼という資産を育てていきます。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

自社にとって「信頼」を測る具体的な指標は何ですか?

売上や認知度のような数字だけでなく、「同じ価格帯の競合があっても、あえて選んでもらえているか」「悪条件が重なった局面でも離脱されなかったか」といった行動の痕跡が、信頼の手がかりになります。理念と実際の判断が一致しているかを、意思決定の記録から振り返ってみることをおすすめします。

小さな会社やチームでも、フライホイール型のブランド構築は実践できますか?

はい、むしろ規模が小さいほど、一つひとつの判断の一貫性が伝わりやすいという利点があります。会社が生み出すプロダクト、それが顧客を魅了する体験、顧客が寄せる信頼、その信頼が生む差別化。この循環を意識的に設計することが、規模を問わず取り組める第一歩になります。

ストーリーを語ることは、もう意味がなくなったということですか?

いいえ、物語には今も人の心を開く力があります。大切なのは、物語を”整えすぎない”ことです。語られる姿と実際のふるまいの間に隙間が生まれないよう、日々の行動を物語に一致させ続ける意識が求められます。

レイ・イナモト
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この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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