この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】バイアスは排除すべき欠陥ではなく、経営者が意図的に扱うことのできる道具でもあります。栗山直子氏は、生存者バイアスが起業家神話を歪める危うさと、説得の技術・経験則が持つ実践的な力の両面を描き出しています。
1.成功物語への警戒:生存者バイアスは、失敗した無数の事例を見えなくし、成功譚だけを特別なものに見せかけます。
2.説得は武器にも防具にもなる:チャルディーニの6原則を知ることは、他者を動かす力であると同時に、自分が動かされないための備えでもあります。
3.人間にしかできない立ち止まり:生成AIがバイアスを増幅する時代だからこそ、判断の最終地点に人間の吟味を置く役割が重みを増します。
- 起業家の成功物語を聞いて、「自分にもできるかもしれない」と胸が高鳴った経験はありませんか。
- 実は、その高鳴りの多くは、生存者バイアスという認知の歪みによって生み出されています。
- なぜなら、私たちの目に入る成功物語は、無数の失敗の中から偶然生き残った、ごく一部の事例に過ぎないからです。
- 本書は、この生存者バイアスをはじめとする認知バイアスが、私たちの判断をどのように歪めるかを丁寧に解き明かしながら、同時にバイアスを「うまく付き合う対象」として捉え直す視点を提示しています。
- 本書を通じて、私はバイアスを一方的に敵視するのではなく、経営やチームづくりの現場で意図的に活用する道具として位置づけ直す必要性を強く感じました。生存者バイアスの危うさから、説得の技術、そして生成AI時代の人間の役割まで、順を追ってお伝えしたいと思います。
栗山直子氏は、東京科学大学リベラルアーツ研究教育院/環境・社会理工学院講師です。専門は認知心理学、教育心理学、教育工学と幅広く、青山学院大学文学部教育学科を卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻で修士課程・博士課程を修了し、博士(学術)の学位を取得しています。
日本学術振興会特別研究員PDを経て、東京工業大学大学院の助手・助教、その後の改組を経て現職に至るまで、一貫して人間の思考や推論、問題解決に関する研究に従事してきました。2016年には文部科学大臣表彰科学技術賞(理解増進部門)を受賞しており、認知バイアスを含む人間の柔軟な思考の解明を、学術と社会をつなぐ形で発信し続けている研究者です。
現在は論理的思考を育成するための研究にも取り組んでおり、本書には研究者としての厳密さと、ビジネスの現場に届ける翻訳力の両方が息づいていると感じます。
生存者バイアスは、成功物語を実物以上に美しく見せます
情報が溢れる時代ほど、目立つ成功事例だけが繰り返し流通し、その裏にある無数の失敗が見えなくなっていきます。
見えない失敗事例が成功の確率を錯覚させる
イタリアで実際に起きた宝くじの悲劇は、この錯覚の恐ろしさを象徴しています。ある番号が長期間出ていないという事実だけが独り歩きし、多くの人が「そろそろ出るはずだ」と信じ込んで大金を投じ、なかには自ら命を絶つ人まで現れました。
しかし、くじの結果は毎回独立した事象であり、過去に出ていないことは次に出る確率を何も高めません。
起業の世界でも、同じ構造の錯覚が繰り返されています。新規事業に参入した人の大半は失敗しますが、メディアが取り上げるのは成功した一握りの事例だけです。
私たちはその一握りを見て、「起業とはこういうものだ」という歪んだ確率感覚を無意識のうちに刷り込まれてしまいます。
見えているものだけを根拠にする判断は、見えていないものの分だけ間違っています。
経営者が陥りやすい「自分だけは例外」という思い込み
生存者バイアスが厄介なのは、当事者自身がそのバイアスに気づきにくい点にあります。
成功した経営者に話を聞けば、当然ながら「自分の判断は正しかった」という物語が語られます。
しかし、同じ判断をして失敗した人たちの声は、そもそも表舞台に出てくることがありません。
私は経営者の方々と伴走する中で、成功事例を安易に模倣することの危うさを繰り返し感じてきました。
ある会社でうまくいった施策が、別の会社でも同じように機能する保証はどこにもありません。
生存者バイアスへの警戒とは、他者の成功を否定することではなく、その成功が「たまたま生き残った一例」である可能性を常に頭の片隅に置いておく態度だと考えています。
チャルディーニの説得原理と経験則は、正しく使えば強力な武器になります
バイアスは常に人を欺くものとは限りません。他者を動かす説得の技術も、瞬時に判断する経験則も、扱い方次第で経営における有効な武器になります。
「好意」「返報性」「社会的証明」――説得の原理を知ることは防御にもなる
心理学者ロバート・チャルディーニは、人を説得するための6つの原理として、好意、返報性、社会的証明、コミットメントと一貫性、権威、希少性を挙げています。これらは営業やマーケティングの現場で日常的に使われている技術です。
たとえば、相手に好意を示されると人は好意を返しやすくなり、周囲の多くが同じ選択をしていると知ると自分もそれに従いたくなります。これらの原理を知らないままでいると、意図的にこの仕組みを使ってくる相手に対して無防備になってしまいます。逆に、原理を理解していれば、自分が不合理な圧力によって判断を歪められていないかを点検する視点を持てます。
私は、これらの原理を経営における信頼構築にも意識的に活用できると考えています。
強引な説得のテクニックとしてではなく、相手との一貫した関係性を積み重ねる姿勢そのものが、結果として社会的証明や返報性を自然に生み出していくはずです。
経験則(システム1)は、必ずしも合理的判断に劣らない
人間には、じっくり考える論理的な思考経路と、直感的・感情的に判断する経路の2つがあるとされています。後者はしばしば「バイアスの温床」として扱われがちですが、近年の研究では、経験則による判断が合理的な判断と同等か、それ以上の精度を示すという指摘もあります。
長年その分野に携わってきた人の勘は、膨大な経験の蓄積から導かれた高速な統計処理だとも言えます。すべての判断を時間をかけた論理的思考に委ねることは、現実の経営においては非効率であり、むしろ不可能です。
直感を疑うことと、直感を切り捨てることは、まったく別の話です。
重要なのは、経験則そのものを否定することではなく、経験則が通用する場面と、立ち止まって検証すべき場面を見極める感覚を養うことだと私は考えています。
生成AIはバイアスを消すのではなく、増幅する可能性があります
AIに判断を委ねれば公平な結論が得られると考えるのは、早計かもしれません。
AIもまた、人間がつくり出したデータの偏りを引き継ぐ存在です。
AIの中立性という幻想
「AIに聞けばどうにかなる」という風潮が強まっています。
特に生成AIが普及してからは、会議の企画や意思決定の一部をAIに委ねる場面が増えました。
しかし、生成AIは存在するデータを分析して新しいコンテンツを生成する仕組みである以上、そのデータに人間の認知バイアスが入り込んでいれば、生成される内容にも当然バイアスが反映されます。
さらに懸念されるのは、AIが生成したコンテンツが新たなデータとしてまた学習に使われていくと、間違いや歪みがどんどん強化されていく可能性がある点です。
人間が個人として持つバイアスとは異なり、多くの人がAIの出力に頼るようになれば、社会全体の思考の方向性すら、特定のバイアスに基づいて画一化されていく危険があります。
「一歩立ち止まって考える」役割は、これからも人間に残ります
だからこそ、AIが提示した答えをそのまま採用するのではなく、それが本当に自分たちの状況に合っているかを吟味する役割は、これからも人間の側に残り続けると私は考えています。
判断そのものをAIに代替させるのではなく、AIが出した提案を材料として、人間が一歩立ち止まって検証する。この構造を組織の意思決定プロセスに組み込むことが、生成AI時代における経営の実践知になっていくはずです。
バイアスとの付き合い方とは、結局のところ、便利な道具に頼りきらず、判断の最後の一線を自分たちの手に残しておくことなのだと思います。
認知を上手に付き合っていくためには、こちらの1冊「【正しいナッジの見つけ方とは!?】行動経済学の使い方|大竹文雄」もぜひご覧ください。

まとめ
- 生存者バイアスへの警戒――目に見える成功物語は、失敗した無数の事例が消え去った後の一部に過ぎません。他者の成功を模倣する前に、それが「たまたま生き残った一例」である可能性を疑う視点が必要です。
- 説得の武器としてのバイアス理解――チャルディーニの説得の原理を知ることは、他者を動かす力であると同時に、自分が不合理に動かされないための防御にもなります。経験則もまた、必ずしも合理的判断に劣るものではありません。
- 生成AI時代に残る人間の役割――AIはバイアスを消すどころか増幅する可能性を持っています。AIの提案を材料としながら、最終的に一歩立ち止まって検証する役割は、これからも人間の手に残るはずです。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
