この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】境界知能とは、IQ70から85程度の範囲にあり、知的障害と診断されないまま生きづらさを抱える人たちを指す言葉です。人口の約14%、およそ1700万人が該当するとされながら、その存在は社会の中でほとんど気づかれていません。
1. 境界線の恣意性:IQ70から85という基準は、1959年から現在まで幾度も引き直されてきた、人間がつくった仮の線に過ぎません。
2. 支援の狭間:知的障害の基準に届かないという理由だけで、公的支援からこぼれ落ちる構造があります。
3. 発達観の転換:成長とは飛躍だけでなく、量的な積み重ねの先にあるものだと捉え直すことができます。
- 「あの人はなぜ、何度言っても同じ失敗を繰り返すのだろう」――そう感じたことは、ありませんか?
- 実は、その背景には、境界知能という、まだあまり知られていない特性が潜んでいる可能性があります。
- なぜなら、日本の人口の約14%、実に1700万人が、IQ70から85程度の「境界知能」の範囲に該当すると考えられているからです。学校のクラスで言えば、およそ7人に1人という計算になります。
- 本書は、児童精神科医である宮口幸治さんが、ベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』で提起した問題をさらに掘り下げ、境界知能という存在そのものに正面から向き合った一冊です。
- 本書を通じて、「線を引く」という行為が持つ意味と、その線の内と外でどれほど大きな差が生まれているのかを、あらためて考えてみたいと思います。
宮口幸治さんは、立命館大学教授であり、一般社団法人日本COG-TR学会の代表理事を務める児童精神科医です。もともとは京都大学工学部を卒業し、建設コンサルタント会社に勤務していたという、少し珍しい経歴をお持ちです。
その後、神戸大学医学部に入り直し、医学博士・臨床心理士として、精神科病院や医療少年院、女子少年院などで多くの非行少年や困難を抱える子どもたちの臨床に携わってこられました。認知機能を高めるトレーニング「コグトレ」の考案者としても知られ、学校教員や福祉・医療関係者への研修を全国で展開しています。
シリーズ累計220万部を超えるベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』では、非行少年たちを通して境界知能の問題にスポットを当てました。
本書は、その集大成として、境界知能という存在そのものを正面から取り上げた一冊です。
境界線は、人が引いた仮の線に過ぎない
境界知能の基準であるIQ70から85という数字は、一見すると科学的で揺るぎないもののように見えます。しかし実際には、この基準は1950年代から現在に至るまで、何度も引き直されてきた、人間の都合による仮の線でした。
IQ70という数字は、何度も引き直されてきた
境界知能は、一般にIQが70から85の範囲と定義されますが、そうしますと知能の正規分布から考慮すると人口の約13.6%が該当します。この割合は、境界知能に対する社会の注目度とはかかわりなく、ほとんど変わっていません。
過去には、境界知能は歴史的にはIQ検査が普及してから2標準偏差(IQ:85)以下を境界性精神遅滞、または学習障害に含まれて研究されるなど、境界知能の取り扱いは1973年のグロスマン定義で大きく変わることになります。
境界知能を知的障害の範疇に含めてきたという経緯があります。ここに境界知能の定義が知的障害の陰に埋もれてきた理由があるのです。
つまり現在の境界知能は、D~2SDを同様の精神遅滞の範疇に含めてきたという経緯を持ちながら、WHOによるICD-8においてもAPAのDSM-Ⅲに至っては境界性精神遅滞という定義が削除されるなど、基準そのものが時代ごとに書き換えられてきた歴史を持っています。
数字は変わらなくても、その数字が意味するものは、時代によって別のものになってきたということです。
消えた診断名と「忘れられた世代」
さらに印象的なのは、1980年頃まで知的障害の範囲だった境界知能が、1980年のDSM-Ⅲで境界知能はIQ値が1SD以下を知的障害とし、必要な教育や福祉サービスを受ける対象でなくなり、忘れられた世代として記載されるほどに、その後の追跡調査の報告書で様々な問題を引き起こしていることが明らかにされてきたのです。
診断名がひとつ消えるだけで、それまで受けられていた支援が受けられなくなる。
この事実は、境界線というものが単なる分類ではなく、人の人生にそのまま直結する力を持っていることを静かに物語っています。約28年間、境界知能は宙に浮いてしまい、必要な教育や福祉サービスを受ける権利がなく、その後の世代が行動の逸脱化、薬物使用、犯罪、投獄、自殺企図等かなり高い割合で様々な問題を引き起こしていたことが、その後の追跡調査の報告書で記載されるようになりました。
境界という言葉には、どこか曖昧で頼りない響きがあります。
しかし実際には、その線の引き方ひとつで、支援が届くかどうかが決まってしまう。境界線とは、決して中立な事実ではなく、その時代の社会が「どこまでを配慮すべき対象とするか」を選び取った結果でもあるのだと思います。
線の内と外で、支援は劇的に変わる
境界知能と学習障害、軽度知的障害は、いずれも試験が低得点であるといった特徴が現れるため、すべての活動を効率的にやり遂げることができないという点でよく似ています。
しかし、その区別は容易ではなく、そのことがそのまま支援の届きにくさにつながっています。
学習障害でも、軽度知的障害でもない、という言葉
「境界知能」「学習障害」「軽度知的障害」の3つは知的能力の連続体として理解される一方で、ほとんど毎学年ごとに個別かつ特別な指導が継続して行われなければ、それらの技能を学習するのに重度の困難さがあるといった定型項目がありますが、重度の限局性学習症の場合には、境界知能と学習障害の区別は容易ではありません。
複数の学業的領域における技能を学習するのに重度の困難さがある。ほとんど毎学年ごとに個別かつ特別な指導が継続して行われなければ、それらの技能を学習するのに重度の困難さがある。
学校現場においても、境界知能児に対しては、特別な教育サービスを受給させるため、学習障害児としての診断が教育学者たちによって用いられることがあると清水貞夫が指摘しています。
つまり、境界知能という言葉そのものが、支援を受けるための「通行証」として機能していないという現実があるということです。
フィンランドと日本、支援のかたちの違い
米国のマクミランらは境界知能児は「学業的領域において技能と適応機能を注意深く評価することが必要」と報告していますが、対象者の治療と予後に影響を及ぼす場合に使用されることがあるとされたものの、こういった個人は知的障害の重症分類に対するIQ水準を残した上で、境界知能に対する重症度分類にIQ水準がなくなり、境界知能というカテゴリーについては、それが臨床的な問題となっているかどうかが不鮮明になりました。
一方、フィンランドのペルトプーロらは、「境界知能」「学習障害」「軽度知的障害」を知的能力の連続体として理解する一方で、また学習障害の問題が顕在化せず、また支援も連続的でないため、境界知能児は特別な教育サービスを受けることができなくなっているとも述べています。
線が引かれること自体は、悪いことではありません。むしろ、支援を効率よく届けるためには、ある程度の分類が必要になる場面もあります。
ただ、その線引きの基準や名称が変わるたびに、同じ困りごとを抱えた人が支援の対象になったり、ならなかったりする。これは境界知能に限らず、組織やチームの中で人を評価したり分類したりするときにも、同じ構造が起こりうることだと思います。
基準そのものより先に、基準の外側に置き去りにされる人がいないかを問い直す視点を、私たちは持ち続ける必要があるのだと感じます。
発達とは、飛躍ではなく積み重ねである
境界知能について読み進めるうちに、最も心に残ったのは「発達」という言葉そのものの捉え方でした。
本書が示す発達のモデルは、成長を単なる直線的な伸びとしてではなく、質的な変化と量的な変化という、2つの軸で描いています。
「縦の発達」と「横の発達」という視点
発達論の立場からは、一般的に発達はなだらかな連続的変化(量的変化)と飛躍的に進行する非連続的変化(質的変化、発達の節目)からなるとされます。定型児においては、両者において発達段階間の移行に違いがあることも報告されています。
知的障害児の発達は低次の発達段階が十分に遂行されてから初めて高次の段階に移行します。定型児においてはより飛躍的に低次より高次に発達段階が移行しますが、フィールからは、知的障害児の発達段階の移行過程においては定型児に比べ全範囲で等しく遅れを有することも示唆されています。
つまり定型発達の子どもは、横の発達(量的変化)を経ることで縦の発達(質的変化)へと移行していきますが、知的障害児・境界知能児の場合は、低次の発達段階が十分に遂行されてから初めて高次の段階に移行するという特徴があるということです。この移行には、過剰学習や繰り返し学習が必要であることが示唆されています。
繰り返しが、次の段階への土台になる
ただ量的な遅れである軽度知的障害児の発達段階が高次に移行するには十分な指導によって高次の質的変化に至るまでにどのくらいの期間(横の発達)を要するかだといわれています。
境界知能の学習不振に対しては、十分な横の発達への支援(過剰学習・繰り返し学習)が必要であることが示唆されます。
さらに、ダスらが提唱するPASSモデルという認知処理モデルの観点からは、境界知能の人たちはプランニング(計画を立てる力)に問題があるとされ、定型児が同時処理を主に使っている一方で、知的障害児でも同時処理を主に使っていることも仮説として示唆されています。抽象思考は可能ですが制限を受け、成人になっても困難さが生じることもあるとされています。
この「横の発達」という考え方は、成長というものが必ずしも劇的な飛躍によってのみ起こるのではなく、地道な繰り返しの先にたどり着くものであるという事実を、あらためて教えてくれます。効率や最短距離ばかりが評価されがちな今の時代において、時間をかけて量を積み重ねることの意味を、私はこの図式から静かに受け取りました。人の発達とは、決して一本の線を早く駆け上がることだけではなく、それぞれのペースで横に歩みを重ねていくことそのものなのだと思います。
「発達」という論点については、こちらの1冊「【言動は、氷山の一角である?】発達障害からニューロダイバーシティへ|モナ・デラフーク,花丘ちぐさ」もぜひご覧ください。

まとめ
- 境界線は、人が引いた仮の線に過ぎない――IQ70から85という基準は、何度も引き直されてきた、社会がつくった仮の線でした。
- 線の内と外で、支援は劇的に変わる――知的障害と診断されるかどうかという一線が、受けられる支援の有無を大きく左右しています。
- 発達とは、飛躍ではなく積み重ねである――成長は必ずしも劇的な飛躍だけで起こるのではなく、地道な繰り返しの先にあるものだと本書は教えてくれます。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
