岩田彰一郎『起業家になる前に知っておいてほしいこと』――「顧客のために」を意志に

岩田彰一郎『起業家になる前に知っておいてほしいこと』――「顧客のために」を意志にの書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「はじめに意志ありき」――この一言が、アスクル創業者・岩田彰一郎の経営哲学の核心です。顧客の問題を徹底的に解決しようとする意志が事業を強くし、社会課題と利益を両立させる道を切り拓きます。
 
1.意志が事業を駆動する:戦略より先に意志がある。「お客様のために」という一点を起点に、すべての判断が整合していく。
2.顧客の目線で見る:自社商品ではなく顧客の問題を売る。顧客のもとを直接訪問し、その言葉と目線を経営の羅針盤にする。
3.社会最適という視座:社会課題の解決と利益の追求は対立しない。社会最適を目指すことが、長期的な事業の強さになる。

  • 「徹底的に顧客のためにある」ということを、どこまで本気でやりきれるか。
  • アスクル創業者・岩田彰一郎の初著書を読みながら、そのことを何度も自問しました。
  • 顧客のために、と言葉では言える。けれど、その言葉を「意志」と呼べるレベルまで昇華させている経営者は、意外なほど少ないのではないかと思います。
  • 本書は、プラス株式会社の社内ベンチャーとして始まったアスクルが、売上高4千億円を超える企業に成長するまでの過程で、岩田氏が直面したリアルな経営の難問を、Q&A形式で語りきった一冊です。
  • 本書を通じて、「はじめに意志ありき」という一点の考え方が、いかに多くの難局を突破する力になるかを実感できます。

岩田彰一郎(いわた・しょういちろう)。1950年、大阪府生まれ。慶應義塾大学卒業後、ライオン油脂株式会社に入社し、ヒット商品の開発に携わります。1986年にプラス株式会社へ転じ、1992年に同社営業本部アスクル事業推進室の室長に就任。翌年、アスクル事業をスタートさせます。

1997年にアスクル株式会社として分社独立し、代表取締役社長に就任。2012年にはLOHACOのサービスを開始するなど、BtoC領域にも事業を拡大しました。2019年8月に退任後は、フォース・マーケティングアンドマネージメント株式会社を設立。現在は大手企業のイノベーション推進やベンチャー企業のハンズオン支援を行っています。

ベンチャー経営者として多くの出版オファーを断ってきた岩田氏ですが、支援先の経営者たちが過去の自分と同じように理想と現実のギャップに葛藤する姿を目の当たりにし、「一人の経営者の意志と葛藤を飾ることなくお伝えすることで、重要な決断の参考にしてほしい」という思いから、初めて著書を世に出すことを決意しました。

意志とは、最初から「意志」として存在しているわけではない

「はじめに意志ありき」という言葉は、どこか理念的に聞こえるかもしれません。けれど岩田氏がこの本で語るのは、整理された哲学ではなく、何度も迷い、何度も問い直してきた経営者の泥くさいリアルです。意志とは最初から完成形としてあるものではなく、葛藤を経ることでしか鍛えられない、というのが本書の核心にあるインサイトです。

社長のポジションより、自分が大切にしたかったことがあった

「はじめに意志ありき」という言葉は、聞こえのいいスローガンに見えるかもしれません。けれど岩田氏がこの本で語っているのは、そんな整理された言葉とはほど遠い、泥くさい葛藤の話です。

アスクル創業の文脈で語られるのは、意志の美しさではなく、意志を持つことの重さです。無から有を生み出すのは意志の力だからこそ、意志がなければゼロがイチになることはない。そのうえでどんな決断を下すか、常に悩んできたと率直に語ります。

葛藤と向き合う経営者こそが、意志を持っている

経営をしていれば、理想と現実のギャップにぶつかります。社会のためのビジネスか、お金のためのビジネスか。初志貫徹するか、ニーズに合わせて変化するか。最初に大きな投資をするか、身の丈に合った投資をするか。業績不振の事業から撤退するか、粘るか。上場を目指すか、非上場を貫くか。

これらはすべて、どちらかが正解というものではありません。重要なのは、そのたびに「自分はなぜこの事業をやっているのか」という意志に立ち返ることができるかどうかです。

意志というのは、最初から完成形として存在しているものではありません。葛藤を重ね、問い続け、選択し続けることのなかで鍛えられていくものだと、岩田氏の言葉は示しています。中小企業支援の現場でも同じことを感じます。戦略の精度よりも、経営者が「なぜこれをやるのか」に答えられるかどうかが、組織の腰の入り方を大きく変えていく。

ガバナンスも、意志を守るための仕組みだった

本書で印象的だったのは、ガバナンスの話です。ワンマン経営者が権力を振りかざして「志」を失わせてしまうリスクを指摘しながら、意志を貫くためにこそ、正しいガバナンス体制が必要だと語っています。

社外からも経営陣の暴走を食い止めるための客観的な意見を取り入れ、取締役会も社外から招き監督機能を強化する。それは外圧に従うためではなく、意志そのものを守るための設計でした。意志と仕組みは対立するものではない。意志を持続させるためにこそ、仕組みが要る。そういう視点でガバナンスを捉え直すと、経営者にとって全く異なる意味を持ちます。

顧客の目線に降りることが、事業のアイデアを生む

顧客のために、と言葉では言える。しかし本当にそれを実践しようとすると、自社の都合や親会社の期待、短期的な数字との間に必ず摩擦が生まれます。アスクルの創業過程は、その摩擦と正面から向き合い続けた記録でもあります。顧客の現場に降りていくことで初めて見えてくる問題がある、というのが岩田氏の一貫したスタンスです。

世の中のムダが、新しい事業の種になる

アスクルの事業アイデアの原点は、ある委員会での社長の問いから始まりました。オフィスビルの搬入口を朝から晩まで見ていると、たくさんの業者がひっきりなしに出入りしている。全体として見ると、明らかにムダが生じている。そのムダを解消できないかという問いが、事業の種でした。

「社会最適であるか?」「お客様は誰か?」という2つのキーワードがそこから生まれます。消費者ではなく企業、大企業ではなく中小企業。その目線に立ったとき、大企業には当たり前のサービスが、中小企業には届いていないという構造的な課題が見えてきました。

お客様のもとを直接訪問してこそ、気づかされることがある

岩田氏は、他社の商品をずっと使い続けているお客様のもとを直接訪問します。「発注者の権限では変えられない」「オフィスの棚一面に同じデザインのファイルが並んでいる」という実態に触れ、長年の問題が明確になります。

顧客の言葉は、訪問しなければ得られない。データや報告書を眺めているだけでは、問題の輪郭しか見えません。顧客の現場に入り込み、その空気を感じることで初めて「本当に解決すべき問題」が見えてくる。これは事業開発においても、コンサルティングにおいても、同じ構造です。

もとの目的は自社商品の拡販だったが、顧客が求める商品を売ることを決意した

本来の目的はプラスの商品を売ることでした。しかしお客様の話を聞くうちに「プラスの商品を使ってほしい」より「長年使ってきた悔しさを晴らしたい」という感情が先に出てきます。

「たとえライバル会社の商品だったとしても、お客様が喜んでいただくことではないか」「たとえライバル会社の商品だったとしても、お客様が求めるなら取り扱ったほうがいいのではないか」という考えを持つようになります。

自社商品の拡販という親会社からの期待と、顧客の問題を解決するという自分たちの意志。その間に生じたのは、矛盾ではなく、問いでした。その問いに正直に答え続けることが、事業を本物にしていったのです。

社会課題の解決が、事業の強度を高める

社会最適を目指すことは、理念的な話ではなく、事業の設計原理です。誰かが不便を被っている構造的な課題に気づいたとき、そこには必ずビジネスの種があります。岩田氏はその視点を経営の中心に置き続けることで、利益と社会貢献を対立させることなく両立させてきました。

社会最適を追求することが、社会課題の解決につながる

世の中のビジネスも、戦後に構築された社会システムも、時代の変化とともに「社会最適」になっていない部分が生まれています。誰かがその不都合を被っているとき、そこにビジネスの種があります。

アスクルが取り組んだのは、社会課題の解決に直結した物流の革新でした。バラバラに運んでいた商品を物流センターに集約し、お客様に直接届けることで物流を効率化する。ドライバーの労働環境も改善できる。社会最適を目指すことで、おのずと社会課題の解決にもつながっていく。

間違ったKPIの設定が、豊かな日本社会を壊した

本書の中で特に重く受け止めたのが、KPIにまつわる章です。与えられたKPIを無条件に受け入れるのは、従業員だけではありません。経営者も同じで、資本市場から求められるROE(自己資本利益率)20%以上、売上高成長率2桁といった指標に縛られていきます。

上場を目指している時期も、出資者から認められるために必要なKPIの達成を求められ、本当に重要なKPIをおろそかにするようになります。そして経営者は、与えられたKPIにばかり頭が行ってしまい、お客様への価値提供に関するKPIよりも、目先の売上やコスト削減を優先してしまうのです。

「大きな真面目」より「小さな真面目」が、長期的な成長を支える

アスクルの経営をしていた時、岩田氏の判断基準にあったのは「大きな真面目」と「小さな真面目」という考え方です。「大きな真面目」とは、中長期的な成長に寄与することならば、多少ムダに見えても、どんどん投資したほうがいいという考え方です。

短期的には、そのどちらが簡単かといえば、後者です。社内のあらゆる固定費や変動費にメスを入れ、ムダだと思われる出費を削れば、利益は増えます。しかし岩田氏から見ると、これは「小さな真面目」でした。中長期的な成長につながるかということを考えれば、多少ムダのように見えても投資し続けることが、「大きな真面目」の実践でした。

目の前の数字に反応して経営することの危うさは、中小企業支援の場でも強く感じます。短期的な売上やコストの話に終始するほど、事業の根幹にある「誰のためにあるか」という問いが薄れていく。だからこそ、KPIの設計そのものを問い直す視点が経営者には必要です。

岩田氏の経営論、全体最適、上位概念、そして、そのための、顧客の中に入り込む形で、本当の言葉を得るという方法は、商いの根本を問う論点であると思いました。お客様を見つめるという視点には、こちらの1冊「顧客を見つめよ!?『「一万円選書」でつながる架け橋 北海道の小さな町の本屋・いわた書店』岩田徹」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。

まとめ

  • 意志とは、葛藤のなかで鍛えられるもの――「はじめに意志ありき」は美しいスローガンではなく、何度も理想と現実のギャップに直面し、それでも問い続けた経営者だけが辿り着く言葉です。意志を守るためにこそ、ガバナンスという仕組みが必要になります。
  • 顧客の目線に降りることが、事業を本物にする――データではなく、現場の空気を通して初めて「本当に解決すべき問題」が見えてきます。自社商品の拡販という目的を超えて、顧客が求めるものを売ることを決意したとき、事業は顧客のものになっていきます。
  • 社会最適という視座が、事業の強度を高める――短期的なKPIに縛られるほど、「誰のためにあるか」という問いが薄れていきます。社会課題の解決を事業の目的に据えることで、長期的な成長と社会貢献が同じ方向を向くようになります。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

「はじめに意志ありき」と言われても、自分の意志がそもそも何なのかわからない経営者はどうすればいいか?

意志は最初から完成形で存在するものではありません。「なぜこの事業をやっているのか」という問いに、経営の岐路に立つたびに向き合い続けることで、少しずつ言語化されていきます。まずは直近の重要な判断を振り返り、何を優先したかを棚卸しするところから始めてみてください。

顧客のニーズに合わせて変化することと、初志を貫くことは、どう折り合いをつければいいのか?

表面的なニーズに応じることと、顧客の根本的な課題に応え続けることは別物です。「お客様のために進化する」とは、手段を変えながらも目的を変えないということです。「何のための変化か」を常に意志に照らし合わせることで、変化が迷走になるのを防ぐことができます。

売上やROEではなく、顧客への価値提供を中心にKPIを設計するとはどういうことか?

まず「お客様から見た自社の魅力は何か」を問い、その魅力を実現するために重要な指標を部門ごとに設定することが出発点です。アスクルの場合、品揃えの豊富さ・価格・翌日配送という3要素を中心に据えました。自社にとって「価値が生まれる指標」と「価値が失われる指標」の両面から設計することが大切です。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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