松浦弥太郎『伝わるちから』――「気」を見ることが、すべての仕事の起点になる

松浦弥太郎『伝わるちから』の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】「伝わる」とは、技術や話術ではなく、相手の「気」を感じ取る感受性から生まれます。松浦弥太郎が70のエッセイで静かに語る、目に見えないものへのケアという仕事観と生き方の哲学です。
 
1.「気」を見るという仕事観:相手の今日の状態を感じ取り、それに応じた関わりをすることが、あらゆる仕事の本質です。
2.見ることは気づくこと:表面に見えているものではなく、その奥に隠れた輝きを発見する姿勢が、人との関係を豊かにします。
3.対話で「わからない」を「安心」に変える:今と未来を話す対話によって不安をなくし、相手との信頼を育てます。

  • 誰かに何かを「伝えよう」として、うまくいかなかった経験はありませんか?
  • 実は、「伝わる」という現象は、伝えようとする側の努力ではなく、相手を思う側の感受性から生まれるものです。
  • なぜなら、どれほど言葉を磨き、論理を整えても、相手の「気」を見ていなければ、それはただの情報発信に過ぎないからです。
  • 本書は、元『暮しの手帖』編集長・松浦弥太郎が70のエッセイを通じて、「伝わるちから」の正体を静かに、しかし確かに照らし出す一冊です。
  • 本書を通じて、人との関わり方がテクニックから姿勢へと変わり、日常のなかに「目に見えないものへのケア」という豊かな習慣が育まれていきます。
松浦弥太郎
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松浦弥太郎(まつうら やたろう)は、1965年東京生まれのエッセイスト・編集者です。18歳で渡米し、アメリカの書店文化に魅了された後、帰国して独自の本屋を始めます。2002年には東京・中目黒にセレクトブック書店「COW BOOKS」をオープン。その後、2006年から約9年間、老舗生活雑誌『暮しの手帖』の編集長を務め、広告を一切載せない誌面づくりで多くの読者の支持を集めました。

退任後はクックパッドへの移籍やDEAN & DELUCAマガジンの編集長、映画監督など、メディアと暮らしの境界を軽やかに越えながら活動を続けています。

「正直、親切、笑顔、今日もていねいに」を信条とし、仕事と暮らしにおける楽しさや豊かさ、学びについて書き続けています。

「気」を見るという仕事観

仕事の本質は、相手の状態を感じ取ることにあります。

本書の冒頭近く、あるカフェの女性の言葉が登場します。「おいしいコーヒーを淹れるコツは何ですか?」という問いに、彼女はしばらく考えた後、こう答えます。「お客さんの『気』を見て、今日はどんな味を求めているのかを、自分なりに見極めることです」と。

「料理で覚えるべきことは、技や知識ではなく、愛情の表現です」

料理家のウー・ウェンさんが語ったこの言葉を引きながら、松浦さんはこう深めていきます。おいしさとは口だけで感じるものではなく、「気」という心で感じるものが大きい、と。

「気」を見るとは何か

「気」を見るという行為は、今日この人は元気なのか疲れているのか、今どんな気持ちなのかを、さりげなく感じ取ることです。そしてそれに合わせた微妙な調整をすること。コーヒーであれば焙煎の深さや温度かもしれませんが、仕事であれば言葉の選び方、話すペース、提案のタイミングかもしれません。

これはスピリチュアルな話では全くありません。相手をよく見ている、という純粋な観察力の話です。相手の表情、声のトーン、その日の来方、返信の速さ。それらすべてが「今日のその人」を教えてくれる情報です。

愛情が基本をつくる

本書の中に「すんぎり」という料理用語が登場します。日本料理店「かんだ」の神田裕行さんが教えてくれたこの言葉は、一寸=約3センチという野菜の切り方の基本です。なぜ一寸なのか。それは子どもから大人までの口の平均の大きさだからです。

「料理は、味や見た目よりも、食べやすさがもっと大切なんです」

誰もが食べやすい大きさに切るという、この基本の背後には「その人を思うこと」があります。どんなことにもその先には人がいて、その人を思うことで小さな工夫やアイデアが生まれ、それがいつしか基本になる。松浦さんはこう結びます。「基本とは愛のかたちなのだ」と。

仕事において「なぜこの基本があるのか」を問い直す時、必ずそこには人への配慮という起源があります。マニュアルを守ることと、その背後にある意味を理解することは、全く異なる仕事の質を生みます。「気」を見るという姿勢は、その意味の層まで届こうとする態度そのものです。

機能より意味を届ける

ブランドプロデューサーとして多くの企業と向き合う中で感じることがあります。多くの場合、「伝えたいこと」は明確でも、「相手が今どんな状態にあるか」への感受性が薄い。プロダクトの機能を説明する前に、その人の「今日の気」を見ることができれば、伝わり方はまったく変わるはずです。

松浦さんが語る「気」を見るという姿勢は、コミュニケーションを技術の問題から、関係性の問題へと引き戻してくれます。

見ることは気づくこと

「見る」という行為には、2つの層があります。

本書の中で松浦さんは、随筆家・白洲正子の言葉を引きます。「本当に見るとは、かくれたものを引出すことであろう」。この言葉に「そうだ、その通り」と膝を打った、と記しています。

目に見えているものを単に目に写してわかったつもりになるのではなく、ぱっと見では見えない、かくれているきらきらした輝きをいかによく見て発見するか。それが「見る」ということの本当の意味だと。

スコアボードではなくグラウンドを見る

本書にはもうひとつ、印象深い言葉があります。

「スコアボードではなく、グラウンドで行われている試合をしっかり見る」

結果やデータを知ることに一所懸命になるのではなく、実際にそこで変化していること、動いていること、起きていることをよく観察するという意味です。何でも簡単に知ることができる時代だからこそ、とても大事なことだと松浦さんは言います。

これはデータ経営への批判ではありません。むしろ、数字の背後にある実態を丁寧に観察することの重要性を語っています。売上が下がっているという数字の前に、現場で何が起きているかを見ること。顧客満足度の点数の前に、あのお客さんが今日どんな顔をしていたかを見ること。

先入観を持たずに見る

松浦さんはさらに続けます。この世にたくさんある、目をそむけたくなるようなものや、美しくないものにも、必ずどこかにきらきらした輝きはある。先入観にとらわれず、決して目を閉じないようにしている、と。

これは非常に大切な姿勢です。「この会社は難しい」「あの人とは合わない」という判断を早々に下してしまうと、そこにある可能性の輝きを見逃します。よく見るということは、見つめるということ。見つめるということは、隠れているいいところを見つけるということ。

感受性は学べる

「センスを感じることができれば、そのセンスはいつしか自分の中で育ち、発達して身につくようになる」と松浦さんは言います。見るという行為は訓練できる、ということです。

よく見るということは、誰にでもできる学びである。そして「見る」とは「気づく」ということだ、と本書は静かに結論を出します。気づく力は才能ではなく、日々の観察習慣から育てるものです。

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対話で「わからない」を「安心」に変える

「伝わるちから」のさらなるポイントは、対話の設計です。

松浦さんが気をつけていることは、できるだけ相手と対話をすることだと言います。この対話の時間がなくなると、何かと問題がくすぶってくる。あなどってはいけない、と。

対話の構造:今と未来を話す

対話のポイントは、常に「今のこと」と「未来のこと」の両方を話すように心がけることです。

まず、今自分が思っていること、悩んでいること、向き合っていること、抱えている問題を自ら話す。自分のことを相手に話せば、自然と相手も話してくれます。そしてその先に、自分が望んでいる、または計画している未来のことを話す。今こうだから、未来はこうしたい、という前向きな対話です。

「対話の目的は、相手にとっての『わからない』をなくして、『安心』させること」

この定義は、コミュニケーションの本質を突いています。私たちが人間関係で感じる多くの摩擦は、情報の不足から生まれる「わからない」が「不安」に変わることで起きます。

「不安」という要素をなくす

大切な人の今と未来を知るということは、とても安心することだと松浦さんは言います。そうすると気になっていた些細なことを許せたり、受け入れることができたりもする。

自分と相手の間にぷくっと生まれる「不安」という要素を、対話によってできる限りなくすようにすると問題は起きない。これは組織論としても、顧客関係論としても、そのまま使える洞察です。プロジェクトが停滞する時、チームに不和が生じる時、その多くは「今あの人が何を考えているかわからない」という不安の蓄積です。

余白があるから対話できる

本書には「余白を作る」という章もあります。一日のすべてを埋め尽くしてしまうのではなく、チャンスに飛びつく瞬発力や、直感の鋭さを残しておく。余白があるから、目の前の人の「気」を感じることができる。

見えないものへのケアは、時間的・精神的な余白の中でしか機能しません。忙しさの中では「スコアボード」しか見えなくなります。余白を意図的につくることは、「気」を見る感受性を保つための実践的な方法です。

「気」の捉え方については、こちらの1冊「いかに人を信じ、任せ、育てられるか!?『働くこと、生きること、つながること』新田信行,中島宏明」も多くの刺激をくれます。ぜひご覧ください。

まとめ

  • 「気」を見るという仕事観――仕事の本質は技術や知識ではなく、相手の今日の状態を感じ取ることにあります。コーヒーを淹れる女性が語った「気を見る」という言葉は、あらゆる仕事の起点に「その人を思うこと」があることを教えてくれます。
  • 見ることは気づくこと――「本当に見るとは、かくれたものを引出すこと」という白洲正子の言葉が示すように、スコアボードではなくグラウンドを見る姿勢が、先入観を超えた発見を生みます。見る力は才能ではなく、日々の観察習慣から育てられるものです。
  • 対話で「わからない」を「安心」に変える――対話の目的は相手の「わからない」をなくして「安心」させることです。今と未来を話す構造的な対話習慣が、人間関係の摩擦を減らし、信頼の土台を静かに積み重ねていきます。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

相手の「気」を見るとは、具体的にどんなことをすればいいのですか?

特別な訓練は必要ありません。今日この人はいつもより声が小さいか、目が疲れているか、返信が遅かったか、といった日常的な観察を積み重ねることです。本書のカフェの女性は、お客さんの状態を感じ取って微妙な味の調整をしていました。

仕事であれば言葉の選び方、提案のタイミング、情報の量を相手の今日の状態に合わせることが、「気」を見るという実践になります。

「伝えようとするから届かない」という逆説は、プレゼンや営業の場面でも当てはまりますか?

当てはまります。プレゼンで「伝えよう」と力が入りすぎると、相手の反応を見る余裕がなくなります。本書が示す「気」を見る姿勢は、伝える前にまず「今日この人は何を求めているか」を感じ取ることです。

それができると、話す量も内容も自然と相手に合ったものになり、結果として伝わりやすくなります。

対話の時間が取れない忙しい職場環境で、どう対話の習慣をつくればいいのですか?

本書が示す対話の本質は長さではなく、「今と未来を話す」という構造にあります。会議の冒頭に「最近どう?」と聞き、相手の今を知ることから始めるだけでも変わります。

また松浦さんが語る「余白を作る」という概念も重要で、一日のスケジュールをぎゅうぎゅうに詰め込まず、意図的に隙間をつくることが、対話の質を保つための土台になります。

松浦弥太郎
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この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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