経営とは、パラドクスである!?『パラドックス思考』舘野泰一,安斎勇樹

『パラドックス思考』舘野泰一,安斎勇樹の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】矛盾した感情を「解消すべき問題」ではなく「人間らしさの証」として受け入れることが、経営判断の質を根本から変えます。舘野泰一らが提示するパラドックス思考は、二者択一の罠を超えて、矛盾を創造性の源泉へと転換する実践的な方法論です。
 
1.感情パラドックスの受容:「AかBか」ではなく「AもBも」と抱えることで、意思決定のストレスが緩和され、思わぬ突破口が開く
2.犠牲から両立へのストーリー転換:「点」の選択ではなく「線」の設計として問題を捉え直すことで、感情の矛盾が解決策の素材になる
3.ビジョンがパラドックスを包む:組織のミッション・ビジョン・バリューは、矛盾する感情を束ねる「包含戦略」そのものであり、経営の判断基準となる

  • 「変化したいけれど安定も欲しい」「挑戦したいけれど失敗は怖い」——あなたの組織の中にも、こうした矛盾した声が渦巻いていませんか?
  • 実は、その矛盾を「解決しなければならない問題」として扱っているかぎり、本当の突破口は見えてきません。
  • なぜなら、経営活動のほとんどは、そもそもパラドックスで成り立っているからです。効率を上げたいが、同時に創造性も高めたい。短期利益を出しながら、長期ビジョンも追いかける。顧客のニーズに応えつつ、自社らしさも守り抜く。どれも「AかBか」に還元できない、矛盾した要請ばかりです。
  • 本書は、こうした矛盾を「感情パラドックス」として捉え直し、それを受容・編集・活用する「パラドックス思考」の方法論を提示しています。
  • 本書を通じて、矛盾は排除すべき雑音ではなく、組織を前進させるエネルギーそのものだという認識が、深く腑に落ちるはずです。

舘野泰一(たての・やすかず)は、立教大学経営学部教授。専門はリーダーシップ開発・人材育成・成人発達理論で、「経験から学ぶ力」をテーマに研究と実践の両面で活動しています。青山学院大学大学院を経て博士号を取得後、人材開発の現場と学術研究を横断しながら、「大人がどう育つか」という問いに向き合い続けてきた研究者です。

共著者の安斎勇樹(あんざい・ゆうき)は、東京大学大学院情報学環特任助教を経て、組織開発・ワークショップデザインの実践者・研究者として活動するファシリテーター。「問いのデザイン」や「チームの創造性」をテーマに、多くの企業や組織の変革を支援しています。本書では、理論と実践の両輪から、パラドックス思考の方法論を丁寧に解き明かしています。

矛盾は解消するものではなく、受容するもの

経営の現場で判断に迷うとき、多くの場合、私たちは「どちらが正しいか」を問おうとします。選択肢をAとBに整理して、合理的な根拠をもとにどちらかを選ぶ。それが「賢い判断」だと信じています。

でも、本書を読んで気づくのは、その問い方そのものが間違っているケースが少なくないということです。

本書が「感情パラドックス」と呼ぶのは、問題の背後に矛盾する感情AとBが同時に存在していて、どちらかを優先すると、もう一方が蔑ろにされてしまうような状況のことです。「縛られずに自由に働きたい」という気持ちの裏側に、「適度に管理されたい」という感情が共存している。この2つは一見すると矛盾しているように見えますが、どちらも嘘ではない、本物の感情です。

人は無意識に、こうした矛盾を「なかったこと」にしようとします。どちらかの感情に蓋をして、すっきりした選択肢を選ぼうとする。ストレスを軽減するための、一種の防衛本能といえます。

ところが、蓋をされた感情は消えません。水面下でくすぶり続け、やがて「あの決断はなんか違った」という後悔や、組織内のぼんやりした不満として浮かび上がってきます。

本書が提案する最初のステップは、シンプルです。矛盾を解消しようとするのをやめること。「自分はAとBという、矛盾した感情を同時に持っているんだ」と、ただ認めること。それだけで、驚くほどストレスが緩和される、と本書は言います。

これは経営の文脈でいうと、何を意味するでしょうか?

たとえば、組織の中で「なぜか議論が噛み合わない」「決まったはずのことが実行されない」という場面は多いと思います。その背景には、個々のメンバーが感情パラドックスを抱えたまま、それを言語化できずにいるケースが少なくありません。「変化したい」という気持ちと「今のやり方を守りたい」という気持ちが、同じ人の中に共存している。でも会議の場では「変化推進」側か「現状維持」側かの立場を取らなければならない空気がある。

その結果、発言と本音がずれていき、決定への当事者意識が薄れていく。

リーダーに必要なのは、この感情パラドックスを「発見」し、チーム全体で「受容」できる場をつくることだと思います。矛盾を責めない、どちらかに決めさせない。その余白こそが、組織の心理的安全性の本質なのかもしれません。

本書が挙げる5つの基本パターン——
【素直⇄天邪鬼】【変化⇄安定】【大局的⇄近視眼的】【もっと⇄そこそこ】【自分本位⇄他人本位】
——は、まさにどんな組織にも潜在する、普遍的な感情の地図です。このパターンを知っているだけで、「この人は変化⇄安定のパラドックスを抱えているんだな」と冷静に見られるようになる。それは、経営者やリーダーにとって、非常に実用的な視点です。

矛盾を抱えた人間を「めんどくさいけれど愛らしい存在」として受け入れること。これが、パラドックス思考の出発点であり、人間中心の経営の根幹だと感じます。

犠牲のストーリーから両立のストーリーへ

受容の次に来るのは「編集」です。

本書の中で、特に刺さったのが「コンピテンシー・トラップ」という概念です。ある事業がうまくいって成功体験が生まれると、人はその「得意技」を繰り返し磨くことに取り憑かれてしまう。チャレンジ精神溢れる競合が新しい領域に踏み出しているあいだに、気づけば追い抜かれている。

これはお笑いの「一発屋」の話として語られますが、企業経営の話でもあるし、個人のキャリアの話でもあります。「得意なことを極める」という感情Aと、「新しいことに挑戦する」という感情Bのパラドックス。多くの経営者がここで、無意識に「犠牲のストーリー」を選んでいます。「新しいことをやるためには、今の事業を犠牲にするしかない」と。

でも本書はここで、全く別の問いを立てます。「両立のストーリーはないか?」と。

「厄介な問題」に解決の突破口を見出すためには、「犠牲のストーリー」から離れて、思い切って「両立のストーリー」に立とうとすることが必要です。両立のストーリーとは「AとBは考え方次第では両立するはずだ」と考えることです。

この転換は、言葉にすれば簡単に聞こえますが、実際にはかなりの意識的な努力が要ります。なぜなら、私たちの脳は「AかBか」という二項対立の問いのほうが、認知負荷が低くて楽だからです。矛盾をそのまま抱えて思考し続けることは、脳にとってストレスなんです。

だからこそ、意識的に「両立のストーリー」を探す習慣が必要になります。

本書が提案するもう一つの重要な視点は、「点」ではなく「線」で問題を捉えるということです。ダイエットしたいけれど焼肉も食べたい、というパラドックスを例に説明されているのですが、これが非常にわかりやすい。「ダイエットするか、焼肉を食べるか」という「点」の二択に還元するのではなく、「焼肉を食べた日は1駅分歩いて帰る」というルールを設けることで、矛盾する2つの感情を「線」として編み直す。

徹底して「点」で捉える考えを封印して、新しい「線」を作ろうとすること。これが、感情パラドックスを「編集」する上での基本的な考え方なのです。

これを経営に置き換えると、どうなるでしょうか。「既存事業を守る」か「新規事業に投資する」かという二択は、典型的な「点」の発想です。でも「既存事業の利益の一定割合を、毎期必ず新規探索に充てる」というルールをつくれば、それは「線」の設計になります。アンゾフの成長マトリクスも、本質的にはこの「線の編集」の思考です。

本書が示す3つの編集戦略——「切替戦略」「因果戦略」「包含戦略」——は、いずれもこの「線」をどう設計するかの具体的な方法論です。切替戦略は振り子のようにAとBを交互に実行すること、因果戦略はAだからこそBという因果関係を見出すこと、包含戦略はAもBも包み込む上位の感情Cを発見すること。

経営判断に迷ったとき、「どちらを選ぶか」ではなく「どんな線を設計できるか」という問いに切り替えるだけで、思考の幅は大きく広がります。これは単なるフレームワーク以上の、思考の姿勢の転換だと思います。

ミッション・ビジョン・バリューはパラドックスを包む容器である

本書の最も深いところに、「包含戦略」と「真善美」の話があります。

包含戦略とは、矛盾する感情AとBの両方を肯定する上位の感情Cを発見する戦略です。「変化したい」と「安定したい」というパラドックスを抱えているとき、その2つを包み込む「自分はなぜ変化を求め、なぜ安定を求めるのか」という、より深い問いに向き合うことで、突破口が開けてくる。

そのためには、自分の価値観が明確になっている必要があります。本書はそれを「真善美」という言葉で表現しています。

真:自分にとって何が「正しい」のか? 
善:自分にとって何が「よい」のか? 
美:自分にとって何が「美しい」のか?

この3つの問いは、一朝一夕では答えられない。日々の経験と対話を積み重ねながら、少しずつ輪郭が見えてくるものです。

ここで本書が示す重要な示唆が、私にとって最も印象深い部分でした。

これはまさに組織の中で「ミッション・ビジョン・バリュー」を構築していく作業とも重なるものです。個々人の「真善美」を明確にするだけでも時間がかかるので、それを組織レベルの認識としていくためには当然時間がかかるでしょう。

MVVの構築は、多くの企業でプロジェクト化され、ワークショップが行われ、言語化されます。でもその場で「よい言葉」を作ることが目的化してしまい、肝心の「対話の積み重ね」が抜け落ちてしまうケースが少なくありません。

本書の視点から見ると、MVVとは「パラドックスを包む容器」です。組織の中に存在するさまざまな矛盾——短期と長期、効率と創造性、個人と組織——を、どちらかに還元することなく抱え続けるための器。だから、その器は対話によってしか育てられない。

ブランドプロデューサーとして多くの中小企業のMVV策定に携わってきた経験からいうと、「なぜそのビジョンを掲げるのか」という問いに経営者自身が即答できない場合、それはまだ「感情Cの発見」に至っていない状態です。言葉は整っていても、パラドックスを包む器にはなっていない。

逆に、本当に強いビジョンを持つ組織のリーダーは、矛盾した要求に対して「それはどちらも大事なんです。だから私たちはこういう判断をします」と言える。感情パラドックスを自覚した上で、それを包む価値観を持っている。

パラドックス思考の最終的な目標は、矛盾を「利用して」創造性を最大化することです。本書の言葉を借りれば、「矛盾を遊ぶ」経験を積み重ねていくこと。それは経営者として、リーダーとして、長い時間をかけて培われる成熟の姿です。

「人は戦略ではなく意味や物語によって動く」というのが私の基本的な考え方ですが、その「意味や物語」は、矛盾を抱えながらも諦めないという姿勢から生まれるのだと、本書を通じて改めて感じました。パラドックスは障害ではなく、意味を深めるための燃料なんです。

二者択一の前提からの脱出を検討していくには、こちらの1冊「【私たちは、二者択一にとらわれている!?】両立思考|ウェンディ・スミス,マリアンヌ・ルイス」も大変おすすめです。ぜひご覧ください。

まとめ

  • 矛盾は解消するものではなく、受容するもの――感情パラドックスとは、問題の背後に矛盾する感情が共存している状態です。どちらかに蓋をするのではなく、「めんどくさいけれど愛らしい」人間の特性として受け入れることが、思考の突破口を開く第一歩になります。
  • 犠牲のストーリーから両立のストーリーへ――「AかBか」という点の発想を手放し、「AもBも設計する」という線の思考に切り替えることで、コンピテンシー・トラップを超えた経営判断が可能になります。切替・因果・包含という3つの編集戦略が、その具体的な道具になります。
  • ミッション・ビジョン・バリューはパラドックスを包む容器である――組織のMVVとは、矛盾する感情を束ねる「感情C」の器です。対話を積み重ねながら「真善美」を問い続けることが、パラドックスを創造性へと転換する組織の土台をつくります。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

感情パラドックスに気づいても、どうしても「どちらかを選ぶ」思考に戻ってしまいます。どうすれば両立の発想を習慣化できますか?

本書が提案する「線」の設計という考え方を、小さな日常の場面から練習するのが有効です。たとえば「会議を短くしたいが、議論も深めたい」というパラドックスに対して、「前半10分で論点を絞り、後半20分で深掘りする」というルールを設ける。

このように、日常の意思決定の場面で「点ではなく線」を意識し続けることで、思考の習慣は少しずつ変わっていきます。

組織の中でメンバーが感情パラドックスを抱えていると感じたとき、リーダーはどうアプローチすればいいでしょうか?

まず「どちらが正しいか」を問わないことが大切です。本書の視点でいえば、矛盾した感情を持つメンバーに「どちらを取るの?」と迫ることは、パラドックスの解消ではなく、どちらかの感情への抑圧になります。

「変化したい気持ちも、安定したい気持ちも、どちらも本物だよね」と受容する言葉かけが、チームの心理的安全性を高め、創造的な突破口につながります。

ミッション・ビジョン・バリューをすでに策定済みの会社でも、パラドックス思考は活用できますか?

むしろ既存のMVVがある組織こそ、活用の余地が大きいと思います。策定済みのMVVを「自分たちのパラドックスを包む器になっているか?」という視点で見直すことで、形骸化していないかを点検できます。

組織内の葛藤や対立が起きたとき、「私たちのビジョンから見ると、どちらの感情も大切にしているはずだ」と言えるかどうかが、器の強度を測るひとつの基準になります。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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