見える化とカイゼンを!!『旅行客を惹きつける観光改革 下呂温泉価値創出プロジェクト』瀧康洋

『旅行客を惹きつける観光改革 下呂温泉価値創出プロジェクト』瀧康洋の書影と手描きアイキャッチ

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール

【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】温泉地の二極化は、マーケティングの差が生み出す構造的問題です。下呂温泉の復活劇から、データ活用・ブランド戦略・現場改善という経営の普遍的な論点を読み解きます。
 
1.自社ポジションの把握:データなき施策は自滅への道。50年分の宿泊データを軸にしたDMO戦略が、経営判断の起点となる
2.地域ぐるみのブランディング:行政・民間・住民が一体となって初めて、観光ブランドは機能する
3.カイゼンによる意識変革:「1歩1秒1円」の思想が現場を変え、組織文化そのものを塗り替えていく

  • 温泉地が「勝ち組」と「負け組」に分かれていく理由は、 何でしょう!?
  • 実は、温泉の質や立地の差よりも、「マーケティングの有無」が明暗を分けているんです。
  • なぜなら、どれほど素晴らしい泉質や歴史を持つ温泉地でも、 口コミ管理を怠れば評判は急落し、 周囲の飲食店や土産物店まで巻き込んで地域全体が衰退していくからです。
  • 本書は、かつて年間140万人を超えた宿泊者数が約106万人にまで落ち込み、 さらに御嶽山噴火の風評被害まで重なった下呂温泉が、 DMO(観光地経営・マーケティング組織)を核にした戦略で復活を遂げるまでの 実践的なドキュメントです。
  • 本書を通じて、温泉地振興の物語を追いながら、 「データ活用」「ブランディング」「カイゼン」という 中小企業経営にもそのまま転用できる普遍的な論点に 出会うことができます。

瀧康洋(たき・やすひろ)氏は、1984年に玉川大学を卒業後、東京のホテルで修業を積んだのち、カナダ・アメリカ・スイスへの留学を経験しています。スイスのIHTTIホテルスクールを1990年に卒業後、オーストラリアのチェーンホテルレストランでも研鑽を積みました。

バブル崩壊後に下呂温泉の老舗旅館・水明館に入社し、高速道路開通による環境変化の中で売上を回復させた実績を持ちます。

2014年に代表取締役社長に就任。国内外での現場経験を持つ実践家として、下呂温泉全体の再生に深く関与してきた人物です。

ポジション把握がすべての起点になる

経営において「現在地を知る」ことは、地図を持たずに旅に出ないという当たり前の話のように聞こえます。けれど実際には、自社の強みや顧客構造をデータで把握せずに、「なんとなく良さそうな施策」を打っている企業は少なくありません。本書がまず突きつけるのは、このシンプルだけど重い問いです。

データに基づかない施策は自滅の道をたどるだけ

下呂温泉の復活劇の核心は、DMOを通じた50年分の宿泊者データの活用にあります。 DMOとは観光地全体の観光資源を統合的に管理し、 マーケティングを行う組織ですが、 その本質は「データの一元化によって地域全体の課題と対策を共有する仕組み」です。

面白いのは、このデータ活用が抽象的な「分析」で終わっていないところです。 例えば、観光庁の事業で開発されたプラットフォームを使い、 ニセコや秩父といった競合地域と宿泊データを比較すると、 「週末はニセコや秩父の方が多いが、平日は下呂が多い」という事実が浮かび上がりました。 ここから「平日に旅行できるシニア層」というターゲットが特定され、 シニア層に強いOTA(オンライン旅行代理店)の「ゆこゆこ」との連携が実行されています。

これはデータが「施策の引き金」になっている典型例です。データを集めて眺めるのではなく、競合比較から自社ポジションを把握し、 そこから有効な打ち手を論理的に導いている。この思考の流れは、温泉地に限らず、あらゆるビジネスに応用できます。

中小企業診断士として多くの企業の現場を見てきましたが、「自分たちがどのセグメントで優位に立っているか」を 客観的に把握できている企業は本当に少ないと感じます。競合と比較したとき、自社が勝っている軸はどこか。弱い軸はどこか。そして、その差を埋めるよりも 勝ちている軸をさらに伸ばす方が賢いのではないか——。

データはそうした問いへの答えを、感覚でなく根拠として示してくれます。

データはうそをつきません。データをしっかり読み解けば、「今何が課題なのか」「この先どんな施策が必要なのか」が浮き彫りになってきます。

この言葉は、観光地の話として読むより、「経営者へのメッセージ」として受け取る方がずっとリアルに響きます。

さらに本書が示すのは、個々の施設がデータを持つだけでは不十分だということです。 観光地全体のデータを共有することで、地域の課題を面として把握し、観光客の滞在時間延長や消費額の増加といった波及効果を設計できる。これは企業に置き換えると、部門ごとにデータを抱え込まず、 会社全体で共有することで初めて「経営の地図」が描けるという話と同じ構造です。

ポジション把握は戦略の出発点です。どれだけ良い戦術を持っていても、現在地を誤認していては 目的地にたどり着くことはできません。

ブランドは「地域ぐるみ」でしか育たない

ブランドとは何でしょうか。 多くの人は「ロゴ」や「キャッチコピー」のような外見的なものをイメージするかもしれません。 けれど本書が描く下呂温泉のブランディングは、 もっと根深いところから始まっています。

観光ブランディングは「地域ぐるみ」で行うからこそ大きな成果を生むものであり、行政だけでも民間だけでも不十分だということです。

この言葉が示すように、ブランドは「統一された体験」の積み重ねによって育まれます。 どれほど素晴らしい旅館があっても、街に出た瞬間に活気がなければ、 観光客の記憶に残るのは「旅館は良かったけど、街が……」という 複合的な印象になってしまいます。

下呂温泉が取り組んだE-DMO(エコツーリズムとDMOを融合させた独自モデル)は、 この問題に正面から向き合っています。 2016年に立ち上げられたこの仕組みは、 自然・文化・歴史といった地域資源を活かしながら、 観光振興と環境保全を両立させることを目指しています。

特に印象的なのが「宝探し事業」です。 市内全戸にアンケートを配布し、「あなたが思う地元の宝」を書いてもらったところ、 2714種類もの地域資源が発掘されました。 自然景観、歴史的建造物、文化、特産品—— 今まで観光素材として認識されてこなかった宝物が無数に存在していたのです。

これはブランディングの文脈で言えば「リソースの棚卸し」です。 企業でも同じことが起きています。 長年の現場で培われてきた技術、取引先との関係性、 社員が無意識に実践してきた知恵—— それらは「ブランドの源泉」になりうるのに、 言語化されることなく埋もれていることが多い。

外から見れば輝いて見えるものが、 当事者には「当たり前のこと」として見えていないのです。

行政と民間の役割分担についての記述も、組織論として興味深いです。 民間主導のプロモーションが結果を出すことで行政側の考え方が変わり、 「街づくりは行政で、誘客については民間に」という役割分担が自然に生まれてきた。 これは「最初から全員合意」を求めるのではなく、 「結果が出やすいところから動いて巻き込んでいく」というアプローチの勝利です。

ブランド構築において「全社合意してから動く」という発想は、 しばしば実行を遅らせる原因になります。 まず小さく動いて結果を見せ、 その結果が反対派の態度を変えていく—— これは温泉地再生の物語であると同時に、 社内変革のリアルなロードマップでもあります。

また、「湯めぐりスタンプラリー」の効果も示唆的です。 温泉施設だけでなく商店街や観光スポットも巡回ルートに組み込むことで、 参加者の平均滞在時間は従来の1.5倍に伸び、 1人当たりの消費額も35%増加したというデータがあります。 複数エリアを訪問した参加者の割合は60%以上に達しました。

顧客に「点」ではなく「面」での体験を提供する設計—— これはカスタマージャーニーの設計として、 あらゆるビジネスに応用できる考え方です。

観光地の魅力を支えるのは、何よりもそこで働く人々の「熱い想い」です。

最終的にブランドを体現するのは、 施設でも制度でも広告でもなく、人です。 下呂温泉はその認識のもと、職場環境の改善や人材育成にも力を注いでいます。 ブランドとは「約束」であり、その約束を日々の接点で履行するのは人である—— この本質を、温泉地の再生物語は静かに教えてくれます。

カイゼンは文化であり、意識変革である

「カイゼン」という言葉は、製造業の現場から生まれたものですが、 本書はそれをサービス業の最前線に移植した実践録として読むことができます。

下呂温泉の旅館が導入したのは、トヨタ生産方式の根幹にある思想—— 無駄を排除し、効率を最大化することで、 品質向上とコスト削減を同時に実現するというアプローチです。

具体的に何が変わったか。

従来は、布団を上げる人、掃除機をかける人、トイレ清掃をする人と、 業務を細かく分業していました。 この方法は一見合理的に見えますが、 誰かの作業が終わるのを待つ「手待ち時間」が必ず発生し、 清掃品質にもばらつきが出やすいという問題がありました。

そこで、1部屋の清掃全工程を1人が担当し、 責任をもって仕上げる「セル方式」に転換したところ、 待ち時間や移動時間が大幅に削減され、 年間で数百万円単位のコスト削減が実現しました。

スローガンとして掲げられた「1歩1秒1円」という言葉も秀逸です。 スタッフが1歩余計に移動するごとに1秒かかり、 その1秒の積み重ねが1円のコスト増につながる—— このシンプルなイメージの言語化が、 現場のスタッフに「自分の動きがコストと直結している」という意識を芽生えさせます。

さらに予約システムの入力作業を標準化したことで、 1件当たりの処理時間が平均2分短縮され、 年間710万円の削減を達成しています。

この数字の大きさに驚かされますが、 むしろ重要なのは数字の背景にある思想の転換です。

カイゼン活動を始めた当初は、その効果を疑問視する声もあったといいます。 それが、実際に成果が目に見えるかたちで表れるにつれ、 「自分のアイデアが現場を良くする」という成功体験を得るスタッフが増え、 従業員全体の意識が大きく変化していきました。 自主的に改善提案を行う文化が醸成されていったのです。

ここが本書の中で最も経営的に重要なポイントだと思います。

カイゼンの目的は「コスト削減」ではありません。 コスト削減はあくまで結果であって、 本当の目的は「現場の人間が当事者として考え、動く組織をつくること」です。

指示された仕事をこなすだけのスタッフと、 自ら問題を発見し改善を提案するスタッフでは、 組織として生み出す価値がまったく異なります。 そしてその差は、トップダウンの命令では生まれません。

「自分のアイデアが採用され、現場が良くなった」という体験の積み重ねが、 人を「仕事の主体者」へと変えていくのです。

中小企業の現場でも、この構造は同じです。 改善提案制度を設けても形骸化してしまう企業は多いですが、 それはたいてい「提案が実際に採用されない」か「採用されても反応がない」かのどちらかです。カイゼンが文化になるためには、小さな成功体験が繰り返されることが必要で、 そのためには経営者が「すぐ動ける余白」を現場に渡すことが求められます。

目指すべきは「サービスの質を落とさずに経費削減」

この言葉は、単なるコスト管理の話ではなく、 「質と効率は両立する」という経営哲学を表しています。 品質を犠牲にしたコスト削減は短期的には有効でも、 長期的には顧客離れと評判の低下を招きます。

カイゼンが目指すのは、質を保ちながら無駄を取り除くこと。
それは組織の知恵を現場から汲み上げることでしか実現できません。

まとめ

  • ポジション把握がすべての起点になる――データなき施策は自滅への道。50年分の宿泊データを活用したDMO戦略が示すように、まず「自社の現在地」を客観的に把握することが、有効な経営判断の前提条件となります。
  • ブランドは「地域ぐるみ」でしか育たない――2714種類の地域資源を発掘した宝探し事業や、行政と民間の役割分担が示すように、ブランドは「統一された体験」の積み重ねです。全員合意を待つのではなく、結果を出しながら巻き込んでいくアプローチが、組織変革のリアルな進め方です。
  • カイゼンは文化であり、意識変革である――「1歩1秒1円」の思想は、スタッフ一人ひとりを「仕事の主体者」に変えていきます。コスト削減は結果であって目的ではなく、本当のゴールは「自ら考え動く組織をつくること」です。

実践のためのQ&A

本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。

自社のポジションをデータで把握したいが、何から始めればいいか?

まず「自社が勝っている軸」と「競合が勝っている軸」を比較できるデータを探すことから始めてみてください。売上データだけでなく、顧客属性・購買頻度・滞在時間(ECなら回遊行動)など、行動データを一元化することが重要です。

下呂温泉が平日の優位性を発見したように、「弱点を補う」より「強みをさらに伸ばす」施策の方が、多くの場合コストパフォーマンスが高くなります。

社内でカイゼン活動を始めたいが、形骸化しないためにはどうすればよいか?

最初の提案が「採用されて現場が変わった」という体験を、できるだけ早く・小さく作ることが鍵です。大規模な改善より、「明日から実行できる小さな改善」を優先して承認し、結果を見える化してください。

「自分のアイデアが通った」という成功体験が積み重なることで、自主的な提案文化が自然に育ちます。制度より体験が先です。

地域や業界全体を巻き込んだブランディングは、中小企業にも応用できるか?

十分に応用できます。「地域ぐるみ」を「バリューチェーン全体」に置き換えると見えやすくなります。仕入先・協力会社・顧客が「この会社と関わると良いことがある」と感じる体験を設計することが、中小企業のブランド構築の本質です。

まず自社が「巻き込む価値のある結果」を小さく出し、その実績をもって関係者を少しずつ巻き込んでいくアプローチが現実的です。

この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。

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