この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
【経営ビジョンの視点で読み解く本書の核心】習慣への介入は「タイミング」と「文脈」で決まります。消費者が習慣モードから抜け出す瞬間を捉え、未顧客期間に記憶を植え付けることが、ブランド成長の本質的な戦略です。
1.習慣の不連続性を狙う:引っ越しや結婚などライフイベントで習慣が途切れる瞬間こそ、新しいブランドが選ばれる最大のチャンスです。
2.95:5ルールの時間軸:任意の時点で購買検討中の潜在顧客はわずか数%。残り95%の「未顧客期間」にブランドの記憶を刻むことが将来の売り上げを決めます。
3.文脈想起が成長の先行指標:「カテゴリー」ではなく「購買文脈」と結びついた想起を高めることが、浸透率向上への正しい道筋です。
- 「いつか買ってくれる日のために、今から何をすべきか?」
- その問いに、多くのマーケターは明確な答えを持てていないかもしれません。
- なぜなら、マーケティングの施策のほとんどは「今すぐ買える状態にある人」に向けて設計されているからです。
- 本書は、消費者の購買行動を支配する「習慣」の構造を解明しながら、その習慣にどのタイミングで、どのように介入するかという実践的な戦略論を展開しています。
- 本書を通じて、「無関心な消費者」を待つのではなく、習慣が途切れる瞬間を狙い、未顧客期間に記憶を育てるという、ブランド成長の新しい地図を手に入れることができます。
村山幹朗さんは、消費者行動と習慣科学を専門とするマーケティング研究者・実務家です。アレンバーグ・バス研究所をはじめとする行動科学の最前線の知見を日本のビジネス文脈に翻訳し、消費財・サービス業を中心に幅広い企業の戦略立案に携わってきました。
本書では、習慣の形成・維持・不連続性のメカニズムを丁寧に解説しながら、CEP設計・95:5ルール・文脈想起という実践的なフレームワークを提示しています。データと神経科学の両面からマーケターの思考を刷新する、骨太な一冊です。
習慣の不連続性を狙う——CEPという介入の起点
習慣とは強固なものです。第1回で見てきたように、消費者の日常的な購買行動の多くは脳のオートパイロットによって自動実行されており、意向を変えても行動はなかなか変わらない。
では、マーケターにできることは何もないのでしょうか?
そんなことはありません。習慣には「途切れる瞬間」があります。
そしてその瞬間こそが、新しいブランドが選ばれる最大のチャンスです。
神経科学の研究によると、習慣的な行動と目的志向の行動では、脳内で関与する領域が異なります。
習慣的な行動は背外側線条体(DLS)、目的志向の行動は背内側線条体(DMS)によって制御されています。
「環境が変わった時」「いつもと異なる文脈で行動する時」「報酬の予測可能性が変化した時」
——こうした状況では脳が習慣モードから抜け出し、選択肢を広く再検討する目的志向モードに切り替わる可能性が高くなります。
この現象を「習慣の不連続性(Habit Discontinuity)」と呼びます。
引っ越し、結婚、就職、転居——こうしたライフイベントは、消費者の購買習慣を中断させやすいことが知られています。長年使い続けてきたブランドが「当たり前」でなくなる瞬間、消費者は初めてゼロベースで選択肢を検討します。その瞬間に自社ブランドが「目に入る場所」にあるかどうかが、習慣の書き換えを左右するんです。
ここで重要な概念が「CEP(カテゴリー参入ポイント)」です。
カテゴリー需要が発生する具体的な生活文脈——それがCEPです。
マーケターに求められるのは、自社カテゴリーに関連する主要なライフイベントやライフステージの変化を棚卸しし、どのCEPで自社ブランドが選ばれうるかを設計することです。
花王の生理用品ブランド「ロリエ」の事例が示唆的です。「職場で生理が急にきた時が一番困る」「突然生理がきても生理用品がない」という女性の声を受けて、企業にロリエを入れた専用ボックスを無償で提供しました。ペインが強く、かつフィジカルアベイラビリティが不足している接点を突いた戦略です。
同じく花王の「ビオレ」は、夏の駅のホームやイベント会場に冷却シートの自動販売機を期間限定で設置しました。猛暑・熱気という「強いペイン」が生じる瞬間に、ブランドを物理的に存在させる——フィジカルアベイラビリティを起点にメンタルアベイラビリティを強化する効果的な導線です。
美容機器ブランド「リファ」の事例はさらに興味深いです。ホテルや美容室という「習慣が途切れるCEP」であり、かつ「ヘアケア周りの関与度が高まるCEP」でもある接点でまず体験させ、フロントに設置した2次元コードからECサイトへ誘導し、売り上げの一部をホテルに還元する「3方よし」のビジネスモデルを仕掛けました。
特に成長の踊り場で停滞気味のブランドにお勧めしたいのが、「ペインが強く、かつフィジカルアベイラビリティが不足しているCEP」を探すことです。
ライフイベントを待つだけでなく、企業側が主体となって利用シーンやタイミングを広げ、既存の習慣に割り込むきっかけを作ることも可能です。
季節性との結びつきも有効な切り口のひとつで、戦略的に四季とリンク形成されたブランドはまだ少ないというのも、裏を返せば大きな機会があるということです。
「今、買ってくれている人」だけを見ていたら、習慣の不連続性というチャンスは永遠に見えてきません。消費者の生活文脈の「地図」を広く持ち、習慣が途切れる瞬間を先回りして設計する——それがCEP戦略の本質だと思います。
95:5ルールが教える「時間軸」の戦略——未顧客期間こそ勝負どころ
マーケティングの施策は、往々にして「今すぐ買える状態にある人」に集中しがちです。検索広告、リターゲティング、購買意向の高いセグメントへのターゲティング——どれも「今この瞬間に市場にいる人」を狙う発想です。
しかしアレンバーグ・バス研究所のジョン・ドーズ教授が提唱する「95:5ルール」は、その発想の限界を鮮やかに示します。
95:5ルールとは、「任意の時点でカテゴリーを購買し得る潜在顧客は全体のわずか数%に過ぎず、残りの大部分はそもそも市場にいない」というものです。
例えばあなたのブランドが属するカテゴリーで、平均して5年に1回買い替えが起こるとします。そうすると、任意の1年で買い替える人は単純計算で全体の20%、任意の四半期だと約5%になります。つまり今この瞬間に「買おうとしている人」は、市場全体のごく一部に過ぎないんです。
ここで問うべき重要な問いがあります。「残りの95%の人たちは、何もしなくていいのか?」
答えは明確にNOです。
なぜなら、ブランド選択の8割は「未顧客期間」に形成された記憶によって決まるからです。
実証研究によると、消費者の購買行動の大半は「計画購買」であることが明らかになっています。店頭でゼロから検討するカスタマージャーニーはむしろ少数で、意識的にしろ無意識にしろ、購入するカテゴリーや選択するブランドが最初から決まっているケースが圧倒的に多いんです。
つまり「買う瞬間」に向けた説得よりも、「買う前の長い期間」に記憶の中でブランドの地位を確保しておくことのほうが、はるかに重要だということです。
本書が指摘するのは、マーケターに「時間軸」の視点が不足しているという点です。
ペルソナにしてもセグメンテーションにしても、ある一時点の市場を横断的に切り取った「静止画としての理解」に終始したりするきらいがあります。本来マーケターに求められるのは静止画的なデータから”巻き戻し”や”早送り”ができる「動画再生的な想像力/創造力」なのではないでしょうか。
この「動画再生的な想像力」という表現は、マーケティングの思考様式を根本から問い直すものだと思います。
消費者は今この瞬間、購買検討をしていないかもしれない。
しかし数ヶ月後、数年後に必ず「買う瞬間」がやってくる。
その時に最初に思い浮かぶブランドになっているかどうかが、売り上げの大部分を決める——これが95:5ルールの本質的な含意です。
「なぜニーズも発生していない選択以前の段階に投資しなければいけないのか」という問いへの答えは明快です。そこが将来のキャッシュフローの源泉になるからです。そして「すぐ買ってくれる確度の高い人だけをターゲティングする」戦略では、大してブランドを成長させることができない——下手をすると将来のキャッシュフローがショートするリスクさえあります。
習慣を形成する段階と維持する段階では、異なる報酬スケジュールが求められます。
新たな習慣を形成する段階では予測可能性が高い「継続報酬」が有効であり、すでに形成された習慣を維持・強化する段階では予測可能性の低い「変動報酬」が効果を発揮します。ガチャやポイントプログラムの設計にも、この原理が働いているんです。
最初の数週間から数ヶ月で行動の自動化が急速に進むという研究知見を踏まえると、未顧客期間に「最初の体験」をどう設計するかが、習慣形成の成否を左右する最重要ポイントになります。
文脈想起こそ成長の先行指標——「知っているだけ」でも意味がある理由
「認知度が高ければ売れる」——このシンプルな命題は、本当に正しいのでしょうか?
答えは「半分正しく、半分足りない」だと思います。
アレンバーグ・バスのバイロン・シャープ教授らの研究が示した興味深い事実があります。消費者の購買行動パターンの大半は「最初はよく知っているブランドを選ぶ→よく知らない別のブランドを一時的に試す→よく知っているブランドに戻る」というU字型になることが確認されました。最終的には75%が認知度の高いブランドに戻ってきたというデータもあります。
つまり「知っているだけ」でも、それは習慣的選択の強力な土台になるということです。品質や価格に差がある場合でも、このU字型パターンは維持されます。
むしろ「知っているから」という習慣要因のほうが、品質や価格よりも影響力が大きいことも多々あるということです。
ここから導かれる重要な問いは、「では、どんな認知を目指すべきか」です。
本書が示す答えは明確です。
「カテゴリーを思い浮かべた時にブランドが浮かぶ」という純粋想起よりも、「特定の購買文脈が発生した時にブランドが浮かぶ」という文脈想起こそが、成長の先行指標になるということです。
カテゴリーが利用される具体的な生活文脈をトリガーとした想起が高まらない限り、純粋想起ひいては浸透率に転換されていかないということです。
つまり「コーヒーといえば?」という問いへの想起を高めても、「寒い朝に電車を待っている時」「午後の会議前に集中したい時」という具体的な文脈での想起につながらなければ、実際の購買行動には転換されにくいということです。
文脈想起を高めるためには、「メンタルアベイラビリティ」の構築が不可欠です。様々な購買文脈でカテゴリー需要が発生した時に、ブランドを思い出しやすい状態——あるいはそうした記憶構造をあらかじめ形成し、継続的に維持・更新すること——これがメンタルアベイラビリティの本質です。
想起は「ゼロサムゲーム」ではないという点も重要です。
「あるブランドを思い出すことが他のブランドを思い出す確率を奪う」という前提で語られることがありますが、実際のブランド選択においてこの前提は必ずしも成立しません。
小さなブランドにとっては、むしろ「あるブランドを思い出すことが他のブランドを思い出す確率に影響を与える」という連鎖律を逆手に取った戦略も有効です。大きなブランドのセイリエンスの一部をコピーしながら、文脈価値で少しだけ上回ることで、カテゴリーメンバーシップを確立しつつ浸透率を高めるというやり方もあります。
結局、消費者の「無関心」は道徳的な問題ではありません。
無関心とは人間の生存戦略であり、脳の「仕様」なのだということがよく分かります。つまり道徳以前に、生物として、そもそも我々は全ての事象に等しく関心を払うようには設計されていないのです。
好きと嫌いの間には常に膨大な量の「どちらでもない」あるいは「どうでもいい」が存在している——この事実を思考のベースラインに置くことで、マーケターとしての問いの質が根本から変わると思います。
「話を聞いてもらいたいなら、まず部屋の中に入ってきてもらう必要がある」——この言葉が、本書全体を貫くメッセージです。
消費者が部屋に入ってくる瞬間(習慣の不連続性)を狙い、部屋の外にいる間も記憶に残り続け(95:5ルールと未顧客期間への投資)、部屋に入ってきた瞬間に真っ先に思い浮かぶ存在になる(文脈想起の構築)——これが「無関心な消費者と向き合う」マーケティングの全体像だと思います。
まとめ
- 習慣の不連続性を狙う――ライフイベントや環境変化で習慣が途切れる瞬間こそ、新しいブランドが選ばれるチャンスです。ペインが強くフィジカルアベイラビリティが不足しているCEPを起点に、介入の設計を考えます。
- 95:5ルールの時間軸――任意の時点で購買検討中の潜在顧客はわずか数%。残り95%の未顧客期間にブランドの記憶を刻むことが、将来の売り上げとキャッシュフローを決定します。静止画ではなく動画再生的な想像力がマーケターに求められます。
- 文脈想起が成長の先行指標――「カテゴリー」ではなく「購買文脈」と結びついた想起を高めることが、浸透率向上への正しい道筋です。無関心は脳の仕様であり、その事実を起点に戦略を設計することで、マーケティングの問いの質が変わります。
実践のためのQ&A
本書の内容を踏まえ、読者が直面しやすい「1歩先の疑問」についてまとめました。
この記事を書いた人:増田 浩一(増田みはらし書店 店主/中小企業診断士)プロフィール
ビジョン思考・組織・ブランド・生き方について、良書とともに探究しています。
